第19話 鬼門

第19話 鬼門


 老婆の家を出たその足で、僕らはセントラルへと向かうことした。


「セントラルまでは7日だ。」

「歩きで?」

「ああ、馬が通れない道もあるし、そもそも調達が面倒くさい。」


 もちろん、この世界に自動車などはない。

 違う世界への旅。当然『一生戻れない』なんてのは普通に覚悟しなくてはならないことであったから、

それに比べたら1週間という時間は短く、とても良心的なものだ。


「わかった。よろしく頼むよ。」

「了解。可能な限り安全な旅を約束しよう。」

「『可能な限り』…?」


 アランの言うことには気になる部分があった。


「うーん、100%安全な旅は無理かなぁ。」

「しっかりしてよ!ちゃんとお金払ってるんだから!」

「金じゃ解決できないたくさんの障害があるんだ。鬼門ともいう。」


 アランはひと呼吸ついてから、僕たちの旅路を阻む『鬼門』について話し始めた。


「巨大蜘蛛『アグラゴ』、狐の嫁入り、龍の住むドワーフの遺跡、マンドラコラ草原、人食い植物『星喰い』、黄昏森林、ねじ切り山…、

 足元をすくわれたら命を落としかねないものばかりだ。」

「巨大蜘蛛とか、一歩も動けない自信があるんだけれども…」

「それぞれに適した対処をすれば問題ない。『通るだけなら』、ね。」

「何度も死にそうになったんだ。多少のことは大丈夫。たぶん…」

「その意気だ。何しろ炎龍を倒した英雄だからな。」

「買いかぶりすぎだって、あと銃弾が一発しかないことを忘れないでくれよ。」

「わかってるって。それに、君は出会いにも恵まれているらしい。俺たちに、そして彼女。」


 僕らが話す目の前では、エオウィンと、アランの言う『彼女』、チトセが2mの距離をとって向かい合っていた。

 カーキ色のハーフパンツに、ノースリーブの白のシャツというこれまたシンプルな装いの天使は、髪を後ろで縛って激しい動きの邪魔にならないようにしている。


「それじゃ、チトセ。私の攻撃をすべて防いで。」

「わかった。」

「あんまり体術は得意じゃないんだけ…どっ。」


 天使は右手を引き、打撃の構えをとってから地面を足で蹴り、チトセとの距離を詰めた。それと同時に彼女の手と足からは白色の粒子がまとわりついて、彼女の四肢の軌道に合わせて彗星のような尾を引いた。

 エオウィンの右ストレートをチトセは左腕で難なく防ぐ。次は左足の蹴り、チトセはそれを右手で払う。距離をとってから、右足蹴り、左回し蹴り…ダメだ。もう追いきれない。武道の素養のない僕にとって、それは目の前の光景は少女2人と白い粒子が舞う、ただただ美しいものでしかなかった。


「歩き立ち中段右突き、横突き蹴り、右回し蹴り、手刀、もう一度手刀、左回し蹴り…おお…!左足の裏で防いだ。」


 横でブツブツ言ってるのはアランだ。

 解説ありがとう。でも目が追いつかないからね。

 しばらく少女二人が踊るのを見ていたが(全く何をやっているのかわからないので、こういうエンターテイメントだと思うことにした)、エオウィンが今までより大きく距離を取り、攻撃をやめた。


「次、チトセの番ね。」

「わかった。」


 現在の5mの距離から、チトセは左足で地面を蹴った。

 一歩?いや、一跳躍。エオウィンとの距離を一瞬で詰めたチトセはそのまま腰に据えた拳を前に突き出した。


「わっ。」


 予想外の速さの打撃に天使はたじろいだ。

 しかしすぐにその攻撃が自分の体の芯に届かないように防御する。

 右腕を縦にして、左腕を十字に添えて、拳の芯を捉える。

 左拳が右腕に当たった瞬間、エオウィンの右腕にまとう白い粒子が、ガラスが弾け飛んだときみたいに飛散する。

 防御は難なくできたものの、エオウィンの体はその拳の勢いを吸収しきれずに後ろへ2m押しやられた。

 両足が移動した後の地面はえぐれている。


「やっぱり彼女はうちのパーティに欲しい。アキ、移籍金1億でどうだ?頑張ってローンで払うから。」


 いや、スポーツ選手じゃないし、翻訳魔法のせいか念願のマイホームを買うサラリーマンみたいになってるし、というか。


「チトセは僕の持ち物じゃない。」

「しかし、彼女はアキの言うことしか聞かなそうだし。」

「僕の言うことも聞かないよ。」

「そうかー。どうにか気が変わってくれないかな。…お、回し蹴り。」


 力強い回し蹴りによって再びエオウィンは後退し、その美しさによってか、アランの興味はすぐに2人の演舞へと戻った。


 チトセの攻撃を受けるたびに、天使の白の粒子の光は濃くなっていく。


「右中段突き、左前蹴り、左回し蹴り、回転の勢いのまま右後ろ回し蹴り…」


 再び、エオウィンは足で地を削りながら後退する。


 左腕を右手で掴んで左拳連続殴打。それを防いだ右腕の粒子が弾け飛ぶ。天使の左腕を掴んでいた右手を上にずらし、拳を作り、そのまま顎を強打。あわや、ノックダウンというところだが、一瞬で生成された白い泡が緩衝材となって弾け飛ぶ。


「自動防御。」


 それでも勢いを殺しきれずに後ろへとよろめく。チトセはそれを追って三歩で跳躍。空中で蹴りを繰り出した。エオウィンはよろめきながらも器用に蹴りをさばいていく。二発、三発、四発…。着地と同時に右フェイント、左中段突き、左前蹴り、その体制で上段蹴り…


「少し押され気味だな。エオは魔法を使っているのに、彼女の体は一体どうなっているんだ。」


 エオウィンはチトセの連続攻撃をもはやいなすことができず、腕をクロスした状態で強引に受け切っている。その険しい表情によって、もう余裕がないことが伝わって来る。攻撃を受けた時に飛散する白い粒子の量が増していく。

 すると、白の粒子が次第に青を帯びてきた。


「エオ!チトセ!やめだ!」


 集中しているのか、2人の耳にアランの声はまったく届いていないようだ。

 エオウィンのまとう粒子が完全に青一色になった。そして、

 チトセが両手突きを青をまとう天使の右腕に当てたとき、「パァン!」という高音が鳴り、チトセの両腕は弾かれた。そのまま後ろへとよろめくチトセ。

 青の粒子は弾け飛んだ後、エオウィンの四肢に糸状になってまとわりつく。

 その4本の糸の先は、まるで操り人形の糸のように、天に向かった。

 そして攻撃をしないはずのエオウィンが跳躍し、2回転。


「二回転後ろ回し蹴り…」


 チトセの顔面に当たる寸前、いつの間にかそこにいたアランが妹の蹴りを受け止めていた。


「エオ、やめだ。」


 天使の目の縮みきった瞳孔は元に戻った。

 そして、


「兄さ…ごめんなさい…ごめんなさい…どこか…なくなって…? ごめんなさい……。」


 妹は兄の服をぐっとつかみ、ひたすら謝っていた。


「大丈夫、今回は肌の表面だけ。」


 アランの手のひらは、焼け焦げたように黒ずんでいた。

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