5. 誰がための剣
エデスDG-A地区領主、クワン・サヒラの城への出撃が決まったのは、ナイアが医務室のベッドを引き揚げてから1カ月ほど経ってからだった。
「なんでも、『紅き頂の騎士修道会』が所領として抑えようとした辺境地域を、サヒラが出し抜いて先に抑えたのが原因らしい」
アスメイ・デンのサウンドクラブ「TRAX」のラウンジで、若い男が言う。確か、この男はエドワウとかいう名前だったか――ナイアはアクラム・トニックのグラスを片手に、他人事のようにそれを聞いていた。
「修道会の所領にするつもりが横取りされた形だったからな。怒った修道会はクワン・サヒラに対し、修道会への領土寄進、および免罪金を要求したわけさ」
「でも、サヒラって皇帝派だろ?」
別の男が
「そう、だから修道会も強硬になったんだな。そしてもちろん、サヒラはそれを突っぱねた。領土に教会を作るのは構わないが、免罪金を収める義理はない、むしろお前らが税金を納めろってな」
(そうなんだ……)
ナイアはアルコールと大音量の音楽に酩酊した頭で、その話を聞いていた。出撃の話は聞いていたが、そこまで細かい事情は知らなかった。
「ちょっとぉ、いつまで難しい話してんのよぉ。あたしつまんない」
エドワウの後ろから、椅子越しに肌の黒い女がしなだれかかる。
「馬鹿お前、この話の面白いのはここからなんだぜ」
エドワウはその女の頬に軽く口づけをして、ナイアたちの方へ向き直る。
「修道会はこの戦いに、新型の
グラスを口につけようとしていたナイアの手が止まる。
「画期的な騎体だっていう話だからな……場合によっては、皇帝派と教皇派、今後の趨勢を占う前哨戦になるんじゃないかってのが、今もっぱらの話題だ」
「修道会の新型が強ければ、この街は安全かもね!」
「うーん、でも俺は皇帝派に勝ってほしいけどな……」
それぞれに勝手な感想を交換し合うエドワウたちを見ながら、ナイアは前日の出来事を思い出していた。
* * *
「ナイア・ニタ、君の心には曇り空が広がっているようだ」
駐屯地内の
「……」
誰もいない聖堂内の壇上に立つオイゲン、その手前に設えられた椅子に座り、ナイアは無言で顔を伏せる。オイゲンはそんなナイアに対し、その大ぶりな口を広げ、静かに言う。
「人は、誰しも迷う。だからこそ神は我々を憐れんでくださるのだ。恥じることはない」
「……はい」
「顔をあげたまえ、ナイア」
オイゲンは壇から降り、ナイアの隣へ座る。
「神の御心に、すべてを委ねるのだ。肉ある身であればこそ、人は迷う。大いなる意思に身を委ね、神とひとつになれば、もう人の子が迷う必要はない。さぁ……」
そう言ってオイゲンは、ナイアの腰に手を回し、顏を近づける。大ぶりな目鼻口がより大きくなり、その吐息が顔にかかり、腰に回された手に力が込められていくのを感じ――
「……ありがとうございます、司祭様」
ナイアは立ち上がり、言った。
「私の身体も心も、神に捧げたものです。その御心に背くことなど、どうしてありましょう」
祈りを捧げるように両の手を組んで一礼をし、ナイアは聖堂を出た。内心で気色悪さを覚えつつも、司祭に対してそのように感じることへの罪悪感も同時に感じる。
背後ではオイゲンが「まぁいい」という声が、聞こえたような気がした。
* * *
「ナイア? どうかしたの?」
不意に声をかけられ、ナイアの意識は「TRAX」の店内へと戻る。隣にいつの間にか、ヤオが座ってナイアに微笑みかけていた。エドワウたちは相変わらずなにごとか盛り上がっているが、話題は既に変わっているようだ。
「なにか悩み事かな? 恋の悩みとか」
「……そんなじゃない」
ナイアは中途半端な位置で止まっていたグラスを、口につけてアクラム・トニックを飲んだ。それを見ていたヤオが、不意に言葉を発する。
「……羨ましいな」
「……え?」
「悩むことができる、っていうのがさ」
「……どういう意味?」
怪訝な顔を向けるナイアに、ヤオは柔らかく微笑んで言う。
「わからないことがあるから知ろうとする。知ろうとするから苦しむ。それが人間というものなんだろうね。例えその先に破滅が待っていようとも、知らずにはいられず、それがゆえに悩む。それが無知であることの強さだ」
「はぁ……」
「世界の意思のままに、だよ。お嬢さん」
ヤオはそう言うと立ち上がり、ドリンクカウンターの方へと向かっていった。
「世界の意思のままに……」
ナイアは口の中でその言葉を繰り返し、グラスを飲み干した。
* * *
クワン・サヒラの居城はエデスDG-A地区の北部、川沿いの土地にある。
高台にある城の裾野には街が広がり、川に沿って道路や建物が作られていた。それがネルムダムの街だ。
今、「紅き頂の騎士修道会」の大部隊が、この街の周縁に展開していた。
ナイアは中央の本隊に配置されている。後ろには司祭オイゲンが、紫色に塗られた専用の『マラーク』に乗って指揮を執っていた。
「城を出て平原で部隊を展開するかと思っていたが……」
ラーグが呟く声が、回線を通じて聞こえてきた。
「街を巻き込むなんて……」
ナイアは歯ぎしりをする。自分の領民を守るのが領主であり、騎士である者の務めではないのか。
「こちらの方が数が多いからな。正面からの戦いは避け、時間を稼ぎたいんだろう」
「それじゃぁ……!」
「突入するのか、それとも別の手を考えるのか……」
ナイアの心に否応なく、以前見た幻覚の光景が蘇る。先ほどから、胸の鼓動が抑えられない。下腹部に嫌な感覚がこみ上げている。しかし、あの幻覚のように街を焼くなどということは、いくらなんでもあり得ないはずだが――
「……なにか来る!」
誰かが叫んだ声が部隊内回線に飛び込んできた。
ナイアが視界を上げるのと、閃光が炸裂するのとが、同時。轟音が機甲騎士たちを包んだあと、熱波が襲った。
閃光が止んだあと、それが炸裂した場所にはクレーターと炎、そしてダメージを負った何体かの『マラーク』、破壊された建物の残骸が飛び散っていた。
「
誰かがまた叫んだ。
城から光と煙が放たれるのが見えた。
程なく、離れた場所に着弾するのが見える。砲撃は街道沿いの家やビルを巻き込み、炎の壁を作っていた。
「散開! 狙いをつけさせるな!」
部隊長の指示が飛ぶ。ナイアは『マラーク・セラフ』を走らせた。その間にも砲撃は止まず、衝撃と熱波が街の中へ入ろうとする機甲騎士を阻む。
「……騎士だ!」
誰かが叫ぶ声が聞こえた。
銃撃、剣戟、激しい戦闘音が聞こえ始める。散開したこちらの部隊を、サヒラの側の機甲騎士が各個撃破しているのだ。地の利は向こうにある。
ナイアの近くに、
「そんな、街ごと攻撃してくるなんて……!?」
街を巻き込むつもりで戦えば、地の利を最大に活かすことはできるだろう。防衛戦としては有効な戦術だ。しかし――
「……後衛から伝達! 王国の騎士団がこちらに向かっているそうです!」
部隊の全体通信に、
「時間を稼いで、後方から殲滅ってわけか」
ラーグが舌打ちと共にいう声が聞こえた。
「なんなの……なんなのこれ……」
王国騎士団の大部隊がここにやってくる。それはつまり、街は完全に巻き込まれるということだ。ナイアの視界に映る町並みに、幻覚で見た光景が重なった。
「一度撤退して迎撃態勢を……」
「それには及ばん」
部隊長が叫ぶ声が、全体通信に遮られた。司祭オイゲンの声だ。
「先に街を焼き払ってしまえばいいことだ。そうすれば存分に戦えよう」
「なっ……!?」
耳を疑ったナイアの元へ、オイゲンから続けて通信が入る。
「ナイア、『セラフィック・フェザー』を使う。神の槍を以て、この異端の街ごと、敵を焼き払うのだ」
「……そんな……ッ!」
オイゲンからの指示に反発するよりも早く、腕に甘い火花のような感触が奔る。ナイアの頭の中に、市街を上から見下ろすようなビジョンが浮かんだ。
「……目標設定。『セラフィック・フェザー』展開します」
「やめて……やめて……!」
ナイアの頭の中に流れ込んでくるイメージは、町並みをあらゆる角度から詳細に捉え、建物がどんな配置なのか、敵味方の騎士たちがどこでどう戦っているか、そして――逃げ遅れた住民たちの姿までをも、はっきりとナイアに見せた。
崩れた建物、瓦礫に覆われた道、そして燃え盛る炎と、逃げまどう人々。
その中に、しゃがみ込んで泣いている子ども。その傍らには、その母親と思しき――
そして、『セラフィック・フェザー』の内の1本が、そののたうつ敵意をそちらへと向け――
「だめぇぇぇぇぇ!!!!」
ナイアは叫びを上げた。
その叫びは、高い空へと吸い込まれるように――それに呼応するかのように、『セラフィック・フェザー』から6本の光が空へと向けて放たれる。
その姿はあたかも、光の翼を広げて空へと羽ばたこうとするかのように。
「……なっ!?」
「ナイア……!?」
オイゲンの挙げた声も、ラーグが思わず呼びかけた声、そして周囲のざわめき。そのすべてを、ナイアははっきりとその耳で聞き、そしてその目ではっきりと、戦場となった街を見据えていた。
「神よ……お許しください。私はあなたのためには戦えません」
ナイアは自らの肩から生えた光の翼を、今やはっきりと認識していた。
「強き
そしてナイアの乗る『マラーク・セラフ』は、泣き叫ぶ子どもの前に、それを守るように立ちはだかった。そして、『セラフィック・フェザー』の6本の
「『セラフィック・フェザー』を……まさか、自分の意思で……!?」
オイゲンがわめく声を、ナイアは聞いた。
「き、きさま!? 自分がなにをしているかわかっているのか!?」
ナイアはゆっくりと、
「……大体、財産の所有は戒律で禁止って言っときながら、なんであんただけ専用機を持ってんのよ」
ナイアは呟き、歩を進める。
「おのれ……折角目をかけてやっていたのに! まさか異端の思想に染まっていたとはな! 神の御心に背く魔女め! 貴様には大いなる意思が必ず神罰を……」
「……っるっせぇんだよ! このゲス野郎がぁぁぁぁ!!」
ナイアの雄たけびと共に、『マラーク・セラフ』が駆ける。
ナイアを阻もうと寄って来る他の騎体を『セラフィック・フェザー』で貫き、最大加速した
重量級の騎体が躍動し、踊るように戦場を駆け抜け、一気にオイゲン騎の懐へと入り込んだ。
「わっ、私を殺すのか! そんなことがあっていいと……!」
「黙れ! そして死ね!」
『マラーク・セラフ』がその腕に持った
はぁっ、はぁっ――
両断した紫色の騎体を見下ろし、ナイアは息を吐いた。
と、周囲を何騎かの『マラーク』に取り囲まれていることに気が付く。
「ナイア・ニタ! 貴様、なんという……」
――と、その一騎が何事か言い終わらないうちに、その一角が崩れる。
一騎の『マラーク』が、後ろから包囲を破り、返す
「ナイア!」
「ラーグ!? なんで!」
「やっぱり聖騎士は性にあわねぇ! 転職だ転職!」
ラーグの騎体が、ナイアに槍を向けていた別の騎体に体当たりをしてその体勢を崩す。そのまま、ナイアの背後を守るようにラーグの機甲騎士は
「……ねぇ、ラーグ」
「なんだ?」
「なんのために戦うのかは、自分で選んでいいのよね!」
「……そうだ! 行くぞ!」
「うん!」
二体の機甲騎士が、躍動を始めた。
司祭オイゲンを失った「紅の頂の騎士修道会」は統制を失い、サヒラの騎士たちも状況がつかめず、戦場は混乱していた。
* * *
この戦いで「紅の頂の騎士修道会」は敗走し、この地区の管区長であった司祭オイゲンは死亡した。
時は新帝国歴500年。一説によれば、このことが教皇庁の介入に口実を与え、「異端戦争」における戦いの端緒となったのだという。どちらが勝とうとも、それは同じ結果になっただろう。
その裏で、ナイア・ニタは「紅の頂の騎士修道会」を出奔し、姿をくらました。
彼女がこの戦いで果たした役割については、公式には記録されていない。
<聖騎士の剣は何処へと向かう・終>
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