4. 迷いの向く先

「脈拍、脳波、その他の身体機能は当面、安定しています。しかし……」



 薄暗いモニタールームで投射映像ビジグラフに表示された情報を覗き込みながら、白衣の男が言った。その男の後ろには、白い外套を纏った広い肩幅の男――司祭オイゲンが立っている。



「『セラフィック・フェザー』は、ブーストした騎士の認知機能をフィードバックし、空間内のターゲットを6体、同時に攻撃します。やはり、媒介となる騎士の身体にはそれなりの負担はあるでしょう」



 白衣の男の言葉を聞き、オイゲンはその口を満足げに笑わせて言った。



「だが、威力は満足のいくものだ。教皇猊下にもきっとお喜びいただけるであろう」


「……ですが、光銃ブラスターのような銃火器は戒律に反するのでは?」


「あれは銃ではない、光の槍なのだ。だから問題はない」



 オイゲンは誇らしげに言う。



「実地試験は成功なのだろう?」


「一点だけ、気になる点が」



 白衣の男はタブレットのコンソールを操作し、ディスプレイにデータを呼び出す。その一点を指さし、オイゲンに示して言った。



「ターゲットを追従する精度に、どうもムラがある……『フェザー』のアームが迷っているかのような……」


「ふぅむ」


 オイゲンは再び口元を歪めた。


 * * *


 ナイアは暗闇の中にいた。


 手足は重く、自分のものではないようだ。しかし、その足はなにかに操られるかのように歩みを進めている。


 次第に周囲が明るくなってきた。


 紅い光に照らされた自らの手足を、ナイアは見た。


 それは、鋼鉄の装甲に覆われていた。


 紅い光は、炎。ナイアの周囲で街が、燃えているのだった。


 足元に、動くものがあった。


 見下ろせばそこには、ひとりの子どもが、母親の身体にすがって泣いていた。


 子どもが、ナイアを見上げる。その瞳には、恐怖の色が浮かんでいた。



「お願い……助けて……」


「……なにもしないよ……!」



 ナイアは手を差し伸べようとした。しかしその鋼鉄の手には、剣が握られていた。



「やだ、殺さないで……」


「殺さない……殺さないよ!」


「……本当に?」


「私は、あなたを助けたいの……!」


「……これでも?」



 子どもの姿は、甲皮に覆われた魔獣となっていた。


 魔獣はその両腕を広げて弱弱しい声をあげ、ナイアに近づき――その手に持った剣に、貫かれた――



 目を開けると、白い天井が目に入ってきた。


 身体の上下に、柔らかいものがあるのを感じる。目と首を巡らせると、それが医務室のベッドの上であることが理解できた。



「……大丈夫? まだ寝ててもいいぞ?」



 横合いからした声の方に顔を向けると、ラーグがベッドの傍らの椅子に座っていた。


 ナイアは上半身をベッドの上に起こす。



「寝てていいってのに」


「……ん、大丈夫」



 口ではそう言ってはたが、頭はくらくらとしていた。ラーグが差し出してくれたコップの水を、口に含む。冷たい水が喉へと沁み込んでいくのを感じながら、ナイアは自分に何が起きたのかを思い返した。


 あの新兵器――『セラフィック・フェザー』を起動させたとき、あのホールみたいな場所の全体が、頭の中に入り込んできた。それで、あそこにいた陸鰐獣魔ブレイたちに、軒並み殺意を向けて――



「あの新しい騎体……そんなに辛いのか?」


「……気分のいいものじゃなかった。私の意思とは無関係に、勝手に……」



 ナイアの表情を見てか、問うラーグに、ナイアは絞るように答え、シーツを握りしめた。



「……あの魔獣……あそこで卵を育てていて……卵を守ろうとした母親も、その子どもも、全部……」



 ナイアの頭の中で、先ほど見た夢が蘇っていた。



「……人に害なす魔獣だぞ? いくら子どもだって言ったって、放っておいたら危険だろう」


「そんなこと、わかってる」



 ナイアは窓の外を見た。曇り空の下で、誰かが『マラーク』を動かしていた。鋼鉄の足に踏みしめられた地面が、ひどく頼りなく見えた。



「偽善はよせよ、ナイア。狭い視野では正しくないと思えることも……」


「そういうことじゃない!」



 ナイアは、意図せず荒げた自分の声に戸惑った。ラーグは無表情にこちらを見つめている。片手に持ったままだったコップから、水を飲み干し、息をつく。



「……騎士ってさ、偉いから機甲全身鎧フルプレートに乗るの? 機甲全身鎧に乗るから偉いの?」


「……」


「騎士の家に生まれて……上に兄がいたから私は、家を継がなかった。それでも、力を持つ者の義務として神に代わり剣を振るい、力のない人々の力となるのが、騎士の務めだと私は思った。聖騎士になったのは、騎士修道会こそがそうだって思ったから。神の法をこの世にき、秩序をもたらす……それが騎士たるものの務め」



 ラーグの視線を避けるように、ナイアは手元に目を落とした。



「……それが今じゃ、夜な夜な駐屯地を抜け出して、サウンド・クラブで遊び歩いてる堕落者だものね。兄が知ったらなんていうか……」


「……別に、いいんじゃないか? みんなやってることさ」



 ラーグの言葉に、ナイアははっとして顔をあげた。



「人々の普通の幸せを知ってればこそ、それを守ることに意義を見出せるってもんだ。サウンド・クラブは楽しいんだろう?」


「楽しいっていうか……」



 ナイアはふっと、肩の力が抜けるのを感じた。



「……みんな、バカなの。でも、私もバカなの。修道士の衣も着てない、機甲鎧に乗ってもいない、ただのバカな私で、それで……」



 そこから先が言葉にならず、ナイアはラーグを見た。窓から差し込む西陽にその顔を染め、ラーグは口元に笑みを浮かべた。



「……俺の師匠がさ、言ってたことがあるんだ」


「師匠?」


「まぁ、俺が勝手に師匠って言ってるだけなんだけどな」



 ラーグは座っていた椅子を逆に向け、背もたれを前にしてそこに顎を乗せ、話し始めた。



「うちの親父はカタルーロMQの騎士団にいた。だから俺も、成り行きでそこの騎士見習いになったんだ。まぁ、騎士って肩書きだけは欲しかったし、なにも考えずにな。ところが、最初の年にいきなり、隣国との領土争いが起こった」


「……それが初陣?」


「大した戦じゃなかったんだけどな。でも俺、ビビっちまってさ。なんで戦いに出なくちゃならないんだって、俺が起こした喧嘩でもないのに、ってな。騎士として戦う覚悟なんてなかったんだ」


「……うん」


「その時、その騎士団に客分として来ていた騎士がいた。『悪魔殺しダイモンスレイヤー』の称号を持っている、歴戦の勇士だ」



 少し懐かしそうな表情になって、ラーグは語る。


 

「俺、その人に喰ってかかったんだ。なりたくて騎士になったわけじゃない、なのに君主に命を捧げろなんて、理不尽じゃないか、ましてやあんたは、故郷でもない国の、主君でもない王のためになぜ戦える?、ってね」


「……怖いもの知らずだなぁ」


「思い出すのも恥ずかしいけどな」



 ラーグは苦笑し、ナイアも笑った。ラーグは話を続ける。



「……でも、そしたらその人、なんて言ったと思う? 『まったくその通りだ』って言うんだよ」



 笑いながら言うラーグの顔は、しかしどこか誇らしげでもあった。

 


「『だけど生まれちまったもんは仕方ない。だから、なんのために戦うのかくらいは好きに選べばいい』……って、そう言われた。肩をすくめながらね」


「……好きに選ぶ……」


「こうも言われたよ。『忠義のために理由なく戦って、死んでくれたら、君主にとってはそりゃ都合がいいさ。だから、戦う理由は人のせいじゃない方がいい』ってね」


「……」



 ナイアは再び窓の外を見た。『マラーク』はもうそこにおらず、夕陽が雲の隙間から、天と地を繋ぐ光の柱を形作っていた。



「人間は迷うと人のせいにするんだ。迷ってる自分を認めたくないからな。それでも迷い、選べるのは心が強いからなんだと思う」



 ラーグはそう言ってしばらく、紅く染まるナイアの横顔を眺めていたが、その内椅子から立ち上がり、部屋から出て行った。ナイアはその後長いこと、雲の隙間から差し込む光の柱を眺めていた。

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