3. 翼
数日後、ナイアは進軍する「紅き頂の騎士修道会」の部隊の中にいた。
海に近いこの地方は、天気がいいとそれこそ抜けるような青緑の空が広がる。例え鋼鉄の機甲鎧の中であっても、晴れやかな好天というのは気分のいいものだ。特に、今回のような任務なら――
「……新型の調子はどうだい? ナイア」
直通通信から、ラーグの声がした。
「……こうして動かしてる限りは、普通のと変わらないように思うけど」
ナイアが今日乗っているのは、いつもの『マラーク』ではなかった。
『マラーク・セラフ』――ベースは通常の『マラーク』とは変わらないが、肩の後ろにあたる部分にコンテナ型のオプション・ユニットが増設されている。変化したバランスを補助するために足回りが強化されている以外、他の部分に変化はない。重量は増加しているため、機動性は落ちているようだ。
今朝、出発前に突然、司祭オイゲンからこの騎体に搭乗するように言われたのだ。戸惑いはしたが、特に異存があるわけではない。
「いいなぁ、新型。俺も自分の専用機が欲しいよ」
「これは私の騎体ってわけじゃない。それに個人所有は戒律に背くことだ」
「ははは、内心の欲求があるからこそ、戒律には意味があるのさ」
朗らかに言うラーグの声は、ナイアの眉間に皺を作った。
通常、
新型機を新調するなどということになれば、それこそ家を建てるくらいの覚悟をしなくてはならない。まれに、仕える国の王侯からなんらかの褒美として騎体を賜る、などということもあるが、そのためにはもとからある騎体で手柄を立てる必要があるわけだ。
だから、新しい騎体に乗るナイアをラーグが羨むのも無理はない。それも、荘園や寄進などで築いた莫大な財産を背景に、常に最新の装備を整えている騎士修道会が開発した新型騎なのだ。
とはいえ、俗界の一般的な騎士と違い、ナイア自身は騎体に凝る趣味はない。しかし、そのナイアでもやはり、真新しいシートに身を埋めるのはいい心地だった。
(――それに今日は、この騎の刃を人に向けなくてもいいのだし)
今日、ナイアたちの部隊が向かう先は、辺境の集落ではなく、山肌の廃墟。
周辺の街道を脅かす魔獣を駆除することがその目的だ。
「ねぇ、ラーグ」
少しだけ砕けた調子で、ナイアは通信越しのラーグに話しかける。
「どうした?」
「『聖騎士』の剣は……弱きもののためにあるのよね」
通信の向こう側で、ラーグが微笑んだようだった。
「俺たちが働けば、それだけ市民が安全になる。そのために俺たちは神に身を捧げたんだ」
「……うん」
ナイアはアクセル・ペダルを踏む足に力を込めた。
* * *
山を回り込むように延びる街道、街と街とをつなぐ動脈の途中、領土の狭間となるその辺りは、苔と低木に覆われ荒れ果てた土地だった。
片側に湿地帯を見ながらその街道を進むと、逆側に果てしなく伸びる山肌に、アスファルトの残骸が現れる。街というには殺風景な感じのするその廃墟はしかし、なにかの施設だと考えるには大きすぎる。旧文明の遺構なのだろうが、それが元々どんな場所だったのか、推し量るには風化しすぎていた。
「この奥が、
指揮官が全体通信回線で部隊に告げた。
「この廃墟が通路となる形で街道に出てきて、
指揮官の号令に従い、機甲騎士たちは廃墟の中に踏み込んだ。
アスファルトを突き破って立つ樹木、崩れ落ちた緑に覆われたビル。広がる街路はほとんどそのまま残っているものの、文明の匂いは消えて久しいと感じさせる。斜面を削って水平にした部分が階段状に折り重なって立体的な構造を形成し、また急激な斜面はそれがそのまま構造物として活かされていた。
ナイアたちの部隊は、機甲騎士が4騎、そして
「なにも出ないな……」
誰かが呟いた。
「……そんなことない」
ナイアは全体通信に向かい、そう呟いて
「こいつら、こんなに……なんでセンサーに反応がなかったんだ!?」
「泥の中に隠れて獲物を待つのか。案外辛抱強いやつらだ」
ラーグが感心したように呟いたのに応えるように、先頭の一匹が蛙のような、犬のような鳴き声をあげた。それを合図に、左右の個体が甲皮に覆われたその身体を躍らせ、ナイアたちへ襲いかかる。
「……ふん!」
機甲騎士たちは左の腕の
「うりゃあっ!」
ナイアはそのままペダルを踏み込み、前へと出る。弾き返した魔獣が着地してその体勢を整えるよりも速く、右の手にした
――ゲェェッ!
蛙がつぶれたような声をあげ、
「全騎、散開! 魔獣を個別に駆除せよ!」
* * *
ナイアは魔獣を駆除しながら、廃墟を奥へと進んでいった。
その上、『マラーク』は同時代の他の騎体と比べても、一段上の性能を誇っている。そんな騎体に騎士が一体となった機甲騎士には、
何体目か、数えるのも面倒になりながら、ナイアは甲皮に覆われたその身体を、斧で両断する。魔獣と言っても、個体差はある。身体が大きく、甲皮の厚いものや、中にはナイアの攻撃をかいくぐってその牙を『マラーク・セラフ』へ突き立てるものもいた。
「……知能もそれなりに高いのね」
先ほどの待ち伏せといい、集団での戦い方といい、やはり危険な魔獣だ、とナイアは思う。今後この辺りまで人間の街や集落、交通施設などが作られるときに、障害となるだろうことは間違いない。
力を持たぬ人々のために、力を振るう。それこそが騎士としての努め。
ナイアは身の引き締まる思いがした。
苔と蔦に覆われた巨大な建物が、断崖に沿って聳え立つ、その前で何匹かをナイアは屠る。
「……この中、いるな……」
「……これは……っ!?」
そこは、外見よりもさらに巨大な空間だった。建物の後ろ、絶壁の中にまでひと続きの部屋のようになっているのだろう。ホールのような広い部屋、高い天井、そして――大量の
「魔獣の……家?」
呟いたナイアの足元に、動くものが目に入る。目線を下げてナイアがその姿を捉えると、そこにはいくつかの卵と、何匹かの
――グェァァッ!
威嚇するように、魔獣が鳴き声をあげる。その大きな魔獣は、ナイアと卵の間に立ちはだかる様に、後ろ脚で立ち上がり、前脚を広げた。
――ガァァッ!
もう一度、鳴き声をあげる。そして、その魔獣はナイアの『マラーク・セラフ』へと、踊りかかった。
「くっ!」
上からその腕を振り降ろす魔獣に対し、ナイアは右の手の
鈍い衝撃。そして振動。
斧の刃がその身体を捉えるよりも一瞬早く、ナイアの騎体を袈裟がけに殴りつけたその太い前腕による一撃は、ナイアの平衡感覚を奪うのに充分な威力を持っていた。
たたらを踏む『マラーク・セラフ』をナイアが立て直した時、すでに次の攻撃が目に前に迫っているのが、
――ガイン!
『マラーク・セラフ』はその左腕の
「ええい、くそぉぉっ!」
ナイアは
「……!」
白い卵の手前で身体を折るように倒れた魔獣の遺体の、その前に小さな
「卵を……守っているの?」
小さな
「……その騎体は、ナイアか」
不意に、通信が入った。ナイアが周囲を確認すると、入り口から『マラーク』が一騎、入って来ていた。紅いエンブレムの入っているあの騎体は、指揮官のものだ。
「これはすごいな……魔獣どもはここで繁殖して、数を増やしていたのか」
指揮官騎がナイアの方へと近付きながら、通信が続く。
「ここを潰せば、仕事は終わりだな」
ナイアは息を呑み、足元を見た。小さな魔獣たちは、まだナイアを威嚇していた。彼らの足元にある母親の遺体は、先ほどよりも随分小さく、儚げに見えた。
「ちょうどいい。ナイア、『セラフ』の新装備を使え」
「……え?」
「新型の実戦テストも兼ねてだ。この中をひとつずつ潰して回るのは大変だが、あれなら早いしな」
「いや、しかし……」
ナイアは、足元から目を離せないまま、指揮官へと返す言葉を探していた。ここを潰し、この魔獣を一掃して近隣の安全を確保することが、聖騎士である自分の努めだ。それはわかっている。
「……
ナイアの様子を知ってか、知らずか、指揮官は話をさっさと進めていた。
「……『翼』を起動します。ナイア、コントロールはそちらで」
従騎車からの通信に、ナイアは戸惑った。
起動? コントロール? なにを? それで、なにをするの?
ナイアの思考を余所に、
『セラフィック・フェザー 起動』
火花のような感覚。それが甘味のような感覚となり、脊髄へ、そして脳へと奔っていく。そしてその火花は脳裏に、ビジョンを結んだ。
ナイアの脳裏には、ホールが見えていた。コックピットのスクリーンから見る映像ではない。上から全体を俯瞰しながら虫めがねで細部を観察するかのように、今、ナイアの脳裏にはホールの中のあらゆる場所、あらゆる角度からの全貌が見えていた。
『マラーク・セラフ』の肩についたオプション・コンテナが展開するのも、ナイアには見え、そして感じられた。コンテナはそのまま、3本の
次の瞬間、「翼」の先端から光が迸った。
6本の
光の翼が羽ばたきを止めたとき、その場に動くものは、なにもなくなっていた。
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