第4話 現実が迫って
自分で無理矢理に理由を作っていることは分かった。
深く考えないで「取り組みを見学に来ました」でいいし、嘘でも「近くを通ったので知り合いの様子を見に来ました」とでも言えばいいと思う。相談事をよく分からない方向に掘り下げて、対策を実行するにあたって急に資材が必要になったので「やむを得ず」分けてもらいにいく。
私情を自分の職域に落とし込んであたかも仕事であるかのような顔をして搬入口をくぐった。言い訳が必要なのはやましいことをしている自覚があるからだと思う。
けれど、自分の選択が蒼太の今に影響を与えたのだとしたら、どうしたらいい。それも本人が望まない方向だったなら。
まずは自分で作った仕事は片付けよう。事務所にいる面々に挨拶をする。怪しまれるかとも思っていたけれど、それぞれ自分の受け持っている業務で忙しいのだと思う。特にそんなことはなく、むしろ労いの言葉をもらってしまった。後ろめたさにそわそわする。
追い出されても困るので事前に電話はしていたし、担当エリアのSVに相談もして了解ももらった。後で営業部長には怒られるかもしれないけれど、誰かが咎めてくれた方が一穂も救われる気がする。
事務所を出てさらに奥に。すれ違いに挨拶を交わすと、いろいろと尋ねてくる社員がいたが、怪しんでいるというより違うエリアの様子に興味があるだけのよう。担当している部門が違うのであまり詳しくもないし、少し長くなりそうになったので遠慮した。
バックヤード突き当たりにいた担当者は一穂が必要としていた資材を準備してくれていた。相手からしてみれば遠くからわずかなものを取りに来るのだから気の毒に感じたのかもしれない。そんな気遣いは少し痛い。自分がしたいからしたこと。私情なのに……。
また部門の全域会議でよろしくお願いしますと担当者には告げて、受け取った資材を車に。一通り運び終えて、表向きの用事は終わった。
用事が済んだことを報告して事務所を出たときには一時間ほど過ぎていた。
事業所は違っていても業務を管理しているシステムは共通。だから、業務の流れもおよそ同じ。蒼太の担当する部門も慌ただしい時間が終わって、ちょうど落ち着いた頃だと思う。
事務所いて蒼太に会うことは無かった。やはりこちらから会いにに行くしかない。
ここからが一穂にとって本当の用事だ。会ってどんなふうに話したらいいのだろう。何を話せばいいのだろう。
この世界の蒼太は一穂のことをしらないのだ。どんな会話になるのか想像出来なかった。
一穂は普段通り、誰かと言葉を交わすときのように振る舞って、蒼太の何が違っているのか会って確かめる。言葉にするほど簡単なことではないと思うけれど。
一穂は事務所を出て、蒼太がいるはずの作業場に向かった。
間仕切りにもなっているスイングドアを押して、さっきとは反対側の奥へと進んだ。不自然にならないように、なるべく堂々として見えるように。
扉の前に立って足がすくむ。小窓から中の様子をそっと窺ってみた。作業場に音はなく、人の気配はしない。担当者はみんな表に出ているのだろうか。昼の休憩にしてはかなり遅めだけれど、その可能性もなくはない気がする。
「こんにちは。こちらにご用でしたか?」
一穂の背後から声がした。息がとまった。
誰なのかは確認する必要はない。間違えるわけがない。一穂は思考につまって身体が動かなかった。振り返って確かめたいのに、確かめたくない。でも、それは一穂の知っている人ではない。呼吸を取り戻そうと吐く息が震える。平静に。心穏やかに……。
「いえ……。あ、はい」
おかしな答えになってないか。ただ反応を返しただけで、自分の言葉がどんな意味を持っているのかわかっていない。一穂がしたいのは、自然に返答して自然に振り返るだけ。それがとても難しいことのように感じられた。声を聞けたのが嬉しいはずなのに、その一言に距離を感じずにはいられない。心に深く刺さった。そして、その距離は今、実際にあるのだ。
「どうかしまし――」
「いえ、少し迷ってしまいまして……!」
一穂は笑顔を作って振り返る。そこには不思議そうな表情があった。
ああ、そうか……。昨日のことのように思い出される記憶の表情も、目の前の現実には敵わないのか。
無かったことになっていく自分の中の記憶。それは、出来事が削除された瞬間、消えてなくなったはずの可能性の未来。一穂の中で本当の現実が迫ってくる。目の前が現実。逃げ場なんてない。
下手ないいわけだと思う。部門のレイアウトなんてどこもそんなに違わない。一穂の担当部門の反対側が、蒼太の担当しているはずの部門だ。迷うわけなんてなかった。
「あ、第3営業部の狭山一穂です! お疲れ様です」
「狭山さん。あ、今日いらっしゃるのは聞いていました。うちの部門担当者から。……遠くからお疲れさまでした! 『はじめまして』、ここの担当の高崎蒼太です」
蒼太は自分の名札に手を添えて、笑顔でそう言った。そのとき、自分はどんな顔をしたのだろう。ちゃんと笑顔でいられたのだろうか。一穂にはわからなかった。
頼んでもいないのに、蒼太は搬入口まで案内してくれた。やっぱりお節介だ。一穂は、嬉しいような寂しいような気持ちになった。
「……狭山さんの部門はアイテム数が多いですし、レイアウトの作成も大変ですよね!」
「いえ、わたしの部門は原価の変動が大きくありませんし、短い期間での大幅な入れ替えはそこまで……」
蒼太は蒼太なのだ。いつでも仕事に一生懸命で楽しそうだった。それは一穂に会っても会わなくても変わらない。でも違っているのだ。不思議だった。本部にいたはずの蒼太が、どうして現場で担当者をしているのか。
搬入口を出てすぐの自動販売機前。もうすぐ日が落ちる。空はマーブル模様。いろんな気持ちが一穂の中で混ざり合う。
建物の表からは見えない場所にはどこの事業所にも人間模様があった。
息が詰まって休憩時間に外の空気を吸いにやってくる人たち。気分転換に休憩室では言えないような話や、大げさな話をしてみたり。ときには会社や人間関係のグチだったり、将来の夢や野望だったり。そんなことを主任や管理職の面々は話したりもする。
それでも蒼太は変わらない。そう見えた。
「おー、高崎ー!」
建物の中の通路の方からから、声がした。そちらを確認すると、手をあげて何かの合図する人の姿がある。蒼太より少し年上に見える男性社員。合図は蒼太に向けたものだと思う。
「あ、次長、お疲れ様です!」
「休憩かー!……ん、若い子捕まえて、お前、楽しそうだな」
蒼太に次長と呼ばれた男性社員は、一穂を見て笑う。冗談なのはわかっているけれど、蒼太の名誉のために一応否定しておこう。
「お疲れ様です! 第3営業部の狭山一穂です。今日は急にお邪魔して、すみません……! ありがとうございました。助かりました……」
一穂は「申し訳ございません」の角度で頭を下げる。
「いやいや、それがSVの仕事だろ? 大丈夫かー? 気にしなくていいぞ、そんなこと」
「次長、ひどいですね……」
やはり、一穂が誰なのかは知っていたようだ。
次長の名札には棚橋とある。職位は所属長の次席で、SVと変わらないが、年齢も等級も一穂より上のはずだ。蒼太を敬称抜きで呼ぶのだからそうだろう。
棚橋次長の言ったことはもっともだと思う。それがSVの仕事だし、おそらく一穂は大丈夫でもない。
「さすが、高崎。もと本部だけあってやり手だな!」
「初対面ですよ! それに『もと』ですからね……」
何が何のやり手なのか。なんとなくは分かるけれど、言わない。
蒼太はやはり本部にいたようだ。それがどうしてこうなっているのだろう。
「まあ、お前も無理してたんだよな。本部にいるときに、誰か支えになる人でもいたらきっと違ったとは思うけど」
「そうでもないと思いますよ。ネゴシエーション下手なのは致命的だと思います。中途入社で調子に乗ってやり過ぎましたね……」
棚橋の言葉に、蒼太は苦笑いで答えている。
それは違うと思った。こうなるはずではなかった。一穂は知っている。違ったのは「蒼太が一穂と会わなかったこと」だけ。もしそこに原因があるのだとしたら、一穂はとんでもないことをしてしまったのかもしれない。
棚橋は「誰か支えになる人」と言った。蒼太にそんな人がいたのだろうか。
……もしかして一穂は蒼太の支えになれていたのだろうか。そんなまさかもあったのか。
だとしたら、一穂はとても重要な選択を間違ったことになる。一穂の希望にとっても、蒼太の希望にとっても。
一穂は何か言おうとして口を開く。そして固まった。
いったい何を言うのだろう。言い訳を始めるのだろうか。それは何のために。自分の判断を正当化したいのではない。謝罪して許されることでもないと思う。まさか、
そして、何も言えなかった。
「まあ、なるようにはなるってことだよ。お前も再来月にはあれだし、あんまり知らない女の子に声をかけて回ってたら怒られるぞ。狭山さんもまたこれから担当エリアに戻るんだろうし、解放してやれよ」
「……そ、そうですね」
蒼太と棚橋次長とのやり取り。一穂は一瞬聞き流しそうになった。「あれ」とは何だろう。誰に怒られるんだろう。
「……『あれ』って?」
言葉にしてから、一穂は気付いた。聞かない方が良かったこと。それは蒼太の怒りをかうわけではない。一穂がきっと、知らない方がよかったと思うこと。
蒼太本人は、笑いながら少し困ったような表情をして何も言わなかった。
「高崎、結婚するんだよな!」
棚橋次長は横目で蒼太を見た。蒼太は気まずそうに頭を掻く。なんでもないことのように明らかになる事実。おそらくそれは周知されたことで、目の前のふたりにはなんでもないのだ。
「そう……なんだ」
自分で理解したことが何なのかよく分からない。それは明らかに嘘だ。小さな子供でも分かること。一穂だって望んだこと。分からないわけがない。
蒼太が誰かと結婚する。聞いていないけれど、それは当たり前だ。一穂の過ごしてきた日々とは違う毎日を、この蒼太は送っている。一穂の知らない何かがあって、そうなったのだ。
「……次長、あんまり言わないでください」
「なんだ? 狭山さんに気があるのか?」
「違いますよ! 恥ずかしいだけです……」
一穂の前で続くやり取り。誰かすぐに止めて欲しい。自分で止めるべきか。
どうして止めるのだろう。蒼太が恥ずかしいといっているからか。まったく違う。自分が聞きたくないだけだ。自分が苦しいだけだ。そう、苦しい。裂けてそのまま千切れそうだ。
だんだん思考が消えていく。白くなって霞んでいく。
「ずいぶんあの子も入れ込んで積極的みたいだし、俺がこっそり伝えておこうか? 怒られるだろうな!」
「ほんとにやめてください次長……無い事実を理由に破談になります。入れ込むなんて、腐っていたところを引き上げてくれただけですよ」
「……というお熱いふたりだからな。狭山さんはこんなのほっといて彼氏のところに帰った方がいいぞ」
まったく何をいっているのか聞こえるけれど、分かるけれど、破談になって欲しいとかではなくて、彼氏はもういないし、帰るところは自宅だし……。とても幸せなことだけれど、これ以上は聞いていられない。思考を完全に失ってしまう前に言わなければいけない言葉がある。一穂が何を思ってどう感じるかは関係がない。蒼太が望んだことなのだ。そこに一穂がいなくても、蒼太の幸せは祝える自分でいたいと思うから。
「……おめでとう、蒼太」
けれど、そんなこと自己満足ですらない。無理矢理に祝ってもらって、蒼太は嬉しいだろうか。言葉にするのなら、ちゃんと最後までそういう自分でいなくてはいけない。
笑顔でいられるのはここまでだから、もうここにはいられない。
「狭山さん……?」
「いえ、まだ、仕事、残ってますので、戻り……すね! きょう…は、あ……」
感情がこみ上げてきて、正確に発語ができない。もう、蒼太の顔も見られない。
表情を隠して、身を返す。
一穂は逃げるようにその場を後にした。
そのあと蒼太たちがどうしたのかはしらない。
景色がどうなっているのか、どんな意味があるのかもわからない。ただ、駐車場に向かう。そのための情報だけを追いかけた。
一穂は自分を支配する感情に震えながら、現実は凶暴だと思った。
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