第6話
入学式の翌日、今日はエキュペント学園での初授業だ。
ゼンは自分のクラスへと向かう。エキュペント学園機構科一年E組がこれからゼンが通う場所だ。
教室のドアを開ける。授業開始にはまだ早いのに、すでに数人の生徒が来ていた。彼らの視線がゼンと、見慣れないキャリーバッグに視線が注がれる。それを特に気にすることは無く、自分の席へと座る。
教室を見回す。一クラス約四十人分の椅子と机が並べられている。生徒たちは何人かのグループで談笑している。
ゼンの席は窓側だった。窓から見えるのは、広い訓練場。鉄の柵で囲まれた固い地面がむき出しの場所で、何人かの生徒たちが訓練をしている。ギア・ナイトを装着している生徒も見える。ゼンは目を輝かせてその光景に見入っていた。
鐘の音が鳴り響く。ずっと外を見ていたゼンははっとなる。いつの間にか朝のホームルームの時間になっていた。談笑していた生徒たちは静かに席へ着席する。
教室のドアが開いて教師が姿を見せた。それは昨日ゼンが教科書を受けとる際に話した女教師だった。彼女は教壇へ立つと、鋭く生徒たちを睨んだ。
「おはよう新入生たち。私の名前はケリー・フューマー、このクラスの担任だ。これからお前たちはこの機構科でエーテル・ギアの技術者となるために学ぶ。だが、はっきり言ってここを卒業するには血のにじむような努力が必要だ」
ケリー・フューマー教師は眼鏡の奥の冷たい瞳で、生徒たちを一人ひとりに視線を巡らす。その迫力にほぼ全員がごくりとのどを鳴らす。
「ここでは高度な専門知識を教える。まあ、それは三年になって講義を選択するようになってからだ。二年間は基礎知識をみっちり頭に叩き込む。しかし基礎知識だけでも音を上げ、毎年何人もの生徒が脱落していく。学園長が言っていただろう? ついていけない者は諦めろ。時間の無駄だ」
教室は水を打ったような静けさに包まれる。誰も喋ることができない。
その時、廊下を誰かが走る音が聞こえてきて、それはどんどん近くなってくる。そして教室のドアが勢いよく開かれた。
「すいません! 遅刻しました!」
金髪青瞳の少年は大きな声でそう言いながら教室へ飛び込んできた。よっぽど慌てていたのか、制服のボタンは全部外れているし、スカーフもよれよれだ。
「初日から遅刻か。まあいい。そこの空いているのがお前の席だ。座れ」
どうもと頭を下げながら、その少年は空いている席へ座る。そこはゼンの前の席だった。
「全員そろっているな。ではまず簡単な自己紹介をしてもらおう。そっちから」
自己紹介が始まる。ほとんどの生徒が金髪青瞳のポートデバル国の人間だ。男性が多く、女子は三分の一ほど。全員家名がなく庶民のようだ。やがてゼンの前に座った遅刻してきた少年の番になる。
「俺の名前はグラグル。学園都市出身で、家は時計屋だ。時計の購入と修理はホーロッグ時計店でよろしく!」
次はゼンの番だ。
「えっと、僕の名前はゼンです。大陸北にあるロジニア共和国から来ました。こっちへ来たばかりで迷惑をかけると思うけど、みんな仲良くしてください」
自己紹介をすると教室のあちこちからざわめきが上がる。ジロジロと、または横目で生徒たちはゼンを見る。首をかしげながら座ると、グラグルで振り向いてニッと笑った。
「なに?」
「いや、オマエ大陸から来たんだろ。珍しいな」
「そうなの? でも毎年たくさんの人が外国からこの学園に来るんじゃないの」
「そうだけどさ……」
「そこ! 無駄話をするな」
ケリー教師に見咎められ、グラグルは肩をすくめる。
「おっかねえ。話は後でな」
「……さて、自己紹介が終わったな」
タイミングよく鐘が鳴る。ホームルーム終了の時間だ。
「さて。この後から授業がはじまる。一年のときはほとんどの授業をこの教室で行うが、いくつか特別教室を使うものがある。この学園は広い。慣れないうちは学園の地図を持ち歩くほうがいいだろう。遅刻は厳禁だ。では」
ケリー教師が颯爽と教室を後にすると、生徒たちはにぎやかに喋り始める。
「さてと、オマエの名前はゼンだったっけ」
「うん。君はグラグルだよね」
「ああ。で、オマエのことなんだけど、家名が無いってことは一般庶民なんだよな」
「そうだよ。自己紹介でも言ったけど、ロジニア共和国から来たんだ」
「それだ。何で遠く離れた外国の庶民が、わざわざここに来たんだ?」
グラグルは心底不思議そうに聞いてくる。
「僕の国にも高等教育学校はあるんだけど、貴族のひとしか行けないんだ」
「なるほどな。けっ、貴族様だけ特別ってわけか」
「うん。でもエキュペント学園なら庶民でも通えるから。外国から何人も留学してるし、それにエーテル・ギアのついてはここが最先端だし」
エキュペント学園は世界一のエーテル・ギア教育機関と言っても過言ではない。この学園には何人もの優秀な研究者が所属している。彼らから様々な知識と技術を手に入れた卒業生たちは、その後は国の研究機関や民間の工房でその腕を遺憾なく発揮する。それによりポートデバル国のエーテル・ギア技術は常に世界の最先端を走っているのだ。
それは三代前の国王、バルテット・ポートデバルがエーテル・ギアの重要性にいち早く気づき、エーテル・ギア専門の研究機関を作った功績によるものだ。どの国の世界史の教科書にも書かれている。彼がいなければエーテル・ギアの発展は一世代遅れていただろう、と。また一部の書籍にはこう書かれている。彼がギア・ナイトの開発を推し進めなければ、世界は亜人たちに征服されていたかもしれない、と。
「たしかに留学生は多いけど、全員貴族だぞ。庶民が留学してくるなんて聞いたことないな」
「それ本当なの!」
「ああ。寮が貴族専用なの知ってるか? いちおう庶民でも住めるっていう規則になってるが、払えるような額じゃないからな」
「たしかにそうだった」
エキュペンド学園についてゼンが調べたとき、その金額を知って驚いたことを思い出す。何しろ金貨五枚だ。庶民が一年遊んで暮らせる。
「ドノヴァーの部屋に行った時も驚いたなあ。部屋が三つもあるし、しかも広い。お風呂もあったし。そうだ、寮の食堂が無料っていうのも羨ましかったなあ」
「は? オマエ貴族の知り合いがいるのか」
「うん。ソイエ国の大商人の子供なんだよ。すごいよね」
「凄いどころじゃないだろ。どこで知り合ったんだ」
「こっちへ来る途中で馬車が盗賊に襲われていたんだ。僕がそれを助けたんだけど……」
「待て。盗賊をやっつけたっていうのか、オマエが?」
ゼンは小柄で優しそうな少年だ。こんな人物が盗賊より強いなどと、グラグルにはまったくもって思えなかった。
「本当だよ。可動式巨大爪一号、じゃなくてベア・クローを使ってギア・ナイトを動かせなくしたんだ」
「……すまん。俺には理解不能なんだが、何がどうなってるのか最初から話してくれ」
二人の会話は途切れることなく続いていった。
授業終了の鐘が鳴る。そして今の音は昼休みの始まりを教えるものでもあった。
「おっしゃー、メシだあー!」
グラグルは立ち上がると、両手の拳を天井へ向けて伸ばして叫ぶ。
「ゼン、一緒にメシに行こうぜ……って、あれ?」
振り向くとゼンはいなかった。ゼンは教室前方の教壇へ向かっていた。
「ケリー先生」
「ん? どうしたゼン」
教科書類をそろえて教室を出ようとしていたケリーは、ゼンに声をかけられて顔を向ける。冷たいほどの無表情。授業中にグラグルが「恋人がいますか」という質問をされたときも一切揺らぐことは無かった。そのあまりのクールビューティーぶりに、グラグルは「アイツは鉄仮面だ」と震えるほどだった。
「どうした。何か質問か」
「いえ。キャリーバッグなんですけど、いつ見せたほうがいいかなと思って」
ケリーの眉毛が微かに動く。
「そうだな。よければこの昼休みでも……」
「おーい、ゼン。メシに行こうぜー」
「……また今度にしましょう」
「はい、ケリー先生。行こう、グラクル」
エキュペント学園の敷地は広大だ。二万人以上の生徒、学園に所属する教授や職員は数千人。しかし休憩時間は有限である。
「しかし、でかすぎるだろこの学校。食堂まで遠すぎる」
「あはは。早く食べたいね」
学園の建物が集まる場所は、大きく三つに分けられる。縦長の長方形の上側三分の一は、様々な分野の研究が行われる研究室がいくつも集まっている。
真ん中の部分には生徒たちの教室がある。素材研究科、商業科、機構科、騎士科それぞれ四つの大きな建物が建つ。
下の部分には校門から見えるあの高い塔がそびえる建物がある。ここには学園長室と職員室、そして一階に食料や嗜好品と文房具などを販売する売店と、ゼンたちが目指す食堂がある。
「しかし、なんで俺たちの教室が一番遠いんだ」
「素材研究科もいっしょだよ。隣だし」
四つの学科の建物は、正方形の角にそれぞれ存在していた。上の両角に素材研究科と機構科の建物がある。下側には商業科と騎士科。そのため素材研究科と機構科の建物が他の学科より食堂までの距離が遠くなるのだ。
「やっと中庭の真ん中に来たぜ」
それぞれ学科の建物が作る正方形の中心に、広い中庭がある。花や木が植えられ、ところどころにはベンチが設置してあり、春の日ざしの中で多くの生徒たちがランチタイムを楽しんでいた。中庭の中心には大きな噴水がある。普通なら美麗な彫刻がされた石で作られているのだが、カラフルな色のパイプで作られた噴水なのがエキュペント学園らしい。
「おい、見ろよ。あのカップル、人前でいちゃつきやがって。爆発しろ!」
「爆発しろって、どういう意味?」
「あー、こっちのスラングだ。幸せそうな奴は死ねってことだよ」
食堂の前に到着したが、あまりの人の多さに立ち止まる。
いったい何人の生徒がいるのだろうか。注文した料理を受け取るカウンターは黒山の人だかり。怒号と悲鳴が飛び交い、ときおり誰かが弾き飛ばされている。人いきれで蒸し暑く、初春だというのに汗ばんでしまうほどだ。
「うわあ。すごいなあ」
「なんだこりゃ。まるで戦争だな。基礎教育学校でも昼はかなり騒がしかったけど、これは全く別物だな……」
呆然と二人が立ち尽くしていると、後ろから誰かが声をかけた。
「あっ、ゼン!」
「この声はドノヴァー!」
「よかった、ゼンに会えて」
「僕に会いに来たの? でも、どうしてここへ」
「昨日ゼンがお昼は食堂で食べるつもりだって言ってたから、行けば会えるんじゃないかなと思って」
「そうなんだ」
「おいゼン。知り合いか?」
グラグルが目を細めて見ると、人見知りのドノヴァーはゼンの後ろへ隠れる。
「なんだコイツ。俺ってそんなに怖いか?」
「あはは。ちょっと人見知りなだけだから。彼はドノヴァー。ソイエ国の大商会の子供。ここに来るまでの話で説明したよね」
「おお。そうか。一口飲んだだけで酔っ払ったドノヴァーか!」
「ちょっとゼン、どんな話したの!」
「僕がドノヴァーと出会ってからの話をしただけだよ」
「とりあえず並ぼうぜ。腹がへって死にそうだ」
時間がかかったが、三人はそれぞれ頼んだ料理を持ってテーブルに座る。
「食券なんていうものがあるんだね」
「うん。初めて見たよ」
「オマエら食券のこと知らなかったのか」
ゼンとドノヴァーは一緒にうなずく。
この食堂は料理を頼む前に自分が食べたい料理の食券を買い、それをカウンターに提出して料理を受け取るシステムになっていた。食券は専用の販売所があり、そこで買うようになっている。
「先に料金を払っておけば料理の受け取りがスムーズにできるね」
「それにこれだけの人数だと、誰が何を頼んだとか覚えるのは無理だろうし」
ゼンは故郷で酒場で働いて、そこでは客が注文したものは必ず覚えておかなければいけなかった。記憶力には自身があったが、こんな数千人規模で頼んだメニューを覚えるのは絶対に不可能だろう。
「ドノヴァーは貴族様だから知らなかったとしても、ゼンは基礎教育学校に食堂はなかったのか?」
「僕の村は山奥だったから、子供はそんなに多くなくて小さな学校だったから。食堂が無くてみんなお弁当を持ってきてたんだ」
「……ボクは学校行ってなかったから」
「へ? それって、不登校ってやつか」
「違うよ。家庭教師に教えてもらってたんだ」
「さすが貴族様だ」
昔は家庭教師に教えてもらう貴族の子供は多かったが、最近では学校の質も上がり、貴族の子供専門の学校もあるので誰もが学校に通うのが一般的だ。しかしドノヴァーは晩年にできた子供だった。二人の兄はとっくに成人していて、それゆえに両親は末っ子を溺愛したのだ。
「……貴族様って言うのやめてよ。それにボクは貴族じゃないし」
「ああ。悪かったなドノヴァー。たしかにわざわざ庶民が集まる食堂に来る貴族なんかいないしな」
「そういえば、貴族の人はみんな寮の食堂で食べるんだよね。ドノヴァーも食堂で食べるって言ってたと思うんだけど」
「……貴族たちは同じクラスにまとめられるんだけど、人間関係がもう固まっちゃってるんだよね」
その言葉にゼンは疑問を浮かべるが、グラグルは何もかもわかっているというように大きくうなずく。
「どういうこと?」
「つまりだ、貴族っていうのは自分の地位や所属っていう繋がりを何よりも大事にするんだよ。なにしろ常に誰かを蹴落とそうとか足を引っ張ってやろうとか、裏切りと騙しあいが仕事みたいなものだからな」
ドノヴァーは唇の端を少し吊り上げる。
「ここに留学してくる貴族は、ボクみたいに一人で来る人はいないんだよ。自分の取り巻きを何人か連れてくるんだ。それで、その中から出ようとしない。そもそも興味が無いみたいだったけど」
「ウチの貴族たちも同じ。家同士の繋がりや権力構造を学校の中まで持ち込む。すでに仲良しグループは出来上がってて、誰も入れさせやしない。それどころかグループ同士で敵対しあって、たまに騒ぎを起こしやがる。そして庶民をそこらの虫みたいに見下して笑う。最低のやつらだよ」
グラグルやれやれといった風に肩をすくめ、ドノヴァーはうつむく。
「たしかに、そんなヤツらばっかりの中で一人メシを食ったってマズイしなあ。あー、クソ! こっちまでメシが不味くなる」
そう言うとグラグルは猛然と料理を食べ始めた。
「オマエらも早く食え。冷めるぞ」
「そうだね。食べようよドノヴァー」
「う、うん」
ゼンとドノヴァーも食事をはじめる。
「しかし、何でわざわざ食堂でメシを食べてるんだ? こんなもんより寮の食事のほうが数倍うまいだろ」
「寮の食事は美味しいけど……こっちに来るまでにいろいろな屋台で食べて、舌がそれに慣れちゃったっていうか……」
「あー。そういや飛空船が不時着して馬車でいろんな国を旅したんだったか」
「そうは言っても、二三国だよ」
「この国から出たことがない俺からしたらすげえよ。でだ、ゼンがギア・ナイトを着た盗賊を倒したってのは本当なのか?」
「うん。本当だよ。ねえゼン。今はベア・クローを持ってないの?」
「あれは大きいから、学校に持ってくると荷物になるから。そのかわりにコレはあるけど」
「なんだこれ?」
などと話をしていたら鐘が鳴った。予鈴だ。あと十分で授業が始まる。
グラグルは腕時計で時間を確認すると悲鳴をあげる。
「ヤバイ! 時間が無えぞ。早く食え」
「ええっ。ボク……」
「いいからドノヴァー、なるべく早く食べようよ」
三人は会話もせず、ひたすら食事に専念するのだった。
入学してから二週間、何事も無く過ぎていった。
ゼンとドノヴァーとグラグルの三人は友人として仲良くやっている。休日はこの学園都市で育ったグラグルにいろいろな場所を案内してもらったり、ゼンが故郷から持ってきた酒で酒盛りをやって騒いだり、特に何事も無く楽しい毎日だった。
そんなある日の放課後、ゼンは学園の掲示板を見上げていた。
「うーん……」
掲示板の前でうんうん唸っていると、背後に誰かが立っていた。
「何をしているのだ、ゼン」
「あ、ケリー先生」
ケリーは掲示板を見る。それはエキュペント学園の生徒たち用の求人広告だった。この学園の卒業生は誰もが優秀で、どの工房も欲しがる。それはアルバイトでも同様だ。生徒であっても、そこらの研究者や技術者より優秀な者は何人もいる。
「アルバイトを探しているのだな。それほど生活が大変なのか」
「いえ。生活に困っているわけじゃなんですけど、夏の長期休暇に実家へ帰郷するお金が無くて……」
ゼンの家は彼を留学させられるぐらいには裕福だが、金持ちとは言えない。大陸北部のロジニア共和国はなにしろ遠く、旅費がひどくかかる。エキュペンド学園に来るときも、なるべく馬車を使わずに徒歩で歩くつもりだった。あの場所でドノヴァーと出会えたのは、ゼンにとっても幸運だったのだ。
「なるほど」
「ですけど、やっぱり一年生だと仕事が無くて……」
報酬の良い仕事は、優秀な能力を求められるのは必然だ。そうなると求人対象は五年生や六年生といった上級者になる。一年生相手の仕事もあるにはあるが、報酬も安く港での荷降ろしなどの力仕事しかない。小柄なゼンの細腕では無理だ。
「やっぱりこの清掃作業にしようかなあ……」
ゼンがため息を吐くと、ケリーは手を顎に当てて何やら考え込む様子になる。
「そういえば、キャリーバッグを見せてもらっていなかったな」
「あ、はい、そうですね」
キャリーバッグは足元にある。ゼンはこれを通学用鞄として使っているのだ。
「よし。ついてこい」
ケリーは踵を返すと、スタスタ早足で歩いていく。ゼンがぼうっとしていると、ケリーが顔だけ振り向く。
「どうした。早く来い」
冷たい声で言われると、ゼンは慌ててケリーへと小走りで向かった。
ケリーに先導されて学園の奥に広がる、いくつもの研究室が建ち並ぶ場所をゼンは歩いていた。時刻はすでに夕方。太陽は下弦が地面に触れていて、影が長く伸びている。
「ケリー先生、どこまで行くんですか?」
「行けばわかる」
にべもない言葉にゼンは黙って後について歩く。
ケリーはどんどん奥まった場所へ歩いていく。綺麗に整備されていた道もひび割れや煉瓦が抜けて穴ができている。雑草が生え、紙くずやよくわからない金属の塊などが片隅に転がっていたりする。まるでスラムだ。
だんだんゼンは不安になってきた。
「あの……先生……」
「ここだ」
「えっ」
それは崩れかけの建物だった。煉瓦はひび割れ、周囲に雑草が大量に生えている。ボロボロのエーテル・ギアらしき物が転がり、大小の歯車がうず高く積まれていた。
そんなゴミに埋もれてその建物は建っていた。
「これですか」
「あまり驚かないのだな。初めて見る人間は、全員目を丸くするのだが」
「僕の家も同じようなものなんで。木造ですけど」
その言葉にケリーの目が微かに大きくなる。
「……そうか」
「それで、ここに何があるんですか? もしかして、ここがケリー先生の研究室?」
「……ここが私の研究室なわけがないだろうが。入るぞ」
ケリーはノックもせずに扉を開ける。何かが崩れる音がした。
「ちょっと、もっとゆっくりドアは開けてくださいっていつも言ってますよね?」
「うるさい。片付けないほうが悪い」
中から言い争うような声が聞こえて、ゼンがどうするべきか迷っていると、ケリーが顔を出す。
「なにをしている。早く入れ」
「お、おじゃまします……」
室内はとにかく散らかっていた。部屋中に本がおそらく何百冊と積み上げられていて、歯車やパイプなどのガラクタがそこらじゅうに散らばっている。一つだけある机の上にも本や紙束が積み上げられていて、机として使用できるのか疑問に思える。
「あーあー、崩れちゃったなあ」
白衣を着た男性が散乱した本を集めていた。
「ふん。どうせいつも汚い部屋なのだから、その程度は気にならんだろうが」
「これはちゃんと分類してあるんですってば」
「それよりだ、お前に会わせたい生徒をつれてきた」
「私に?」
本を拾っていた男性がゼンを見る。
「君は?」
「は、はい。はじめまして。機構科一年のゼンです」
男性はにっこりと笑う。大人とは思えないほどあどけない笑顔だ。
「私は、コリオル・レナーギといいます。この学園の教授です」
コリオルを見てまず目が行くのが、その頭だ。まるで爆発したかのように膨らんだ波打つ金髪。前髪で目が見えないほど長い。白衣を着ているのだがしわだらけで、全体的に薄汚れている。裾の一部がまるでインクに浸したように真っ黒になっている。
まるで浮浪者のような格好の教授を見て、ゼンは瞬きをくり返す。
「教授さんですか……」
「あはは。よく言われるんだよね。教授に見えないって」
「笑ってる場合か。それらしく見えるようにしろ」
笑うコリオルをケリーは凍えるような目で睨む。しかし気にした風も無く、コリオルは頭を掻いている。掻くたびにフケが飛ぶ。
「お前……また風呂に入っていないな。最後に体を洗ったのはいつだ」
「えっと、まだ一週間ぐらいしかたってないよ」
「一週間ぐらいじゃない。今日は絶対に体と頭を洗え。いいな!」
ケリーはそう言いながら白衣をつかんで、コリオルの体を前後に揺さぶる。頭がガクンガクンと激しく動く様子を、ゼンはぽかんと口を開けて見ているしかなかった。
「……ふう。それで話はなんだったっけ?」
「お前に会わせたい生徒がいると言っただろう。こいつだ」
ケリーがあごでゼンを指す。どうも、と頭を下げる。
「この子がどうかしたの?」
「僕もよくわからないまま連れてこられたんですけど」
「キャリーバッグを見せてみろ」
言われるがままキャリーバッグを見せると、コリオルは勢いよくしゃがみこみ、顔がくっつくほど近づけて観察しはじめた。
「これは!」
コリオルはキャリーバッグの周囲をぐるぐると回りながら、時折フムフムやなるほどと独り言を言いながら集中した様子で検分する。どうすればいいいのか分からずゼンが戸惑っていると、十分ほどしてコリオルは立ち上がると、腕を組んで唸りだす。
「ふーむ、これは鞄なのかな。でもエーテル・ギアが装着された鞄なんて見たことが無いなあ。どうやら下部に付いている車輪を動かすようだけど……これはどこの研究室で作られたものなんだろう?」
「これは、そこ生徒が作ったものだ」
その言葉でピタリとコリオルの動きが止まり、一瞬の後叫ぶ。
「ええええ! これを君が!」
「は、はい。そうなんです……」
「ほ、本当に? じゃあどうやってこれを作った……じゃなくて、どういう機能なのか教えてほしいんだけど」
「慌てるな。機能については私も知りたい。とりあえずお前は落ち着け。飲み物ぐらいあるんだろ」
「あ、そうだね。お茶を入れるから、ちょっと待ってね。カップはどこにいったかな」
コリオルは本の山の中からカップとポットを取り出すと、奥にある部屋へ向かう。そちら側にキッチンがあるようだ。姿が見えなくなると何かが崩れる音がして、ゼンは大丈夫なのかなと心配になる。
五分ほどしてコリオルがお茶を持って戻ってきた。三人は椅子へ座る。テーブルが無いのでカップは本の山の上に置く。
「お待たせしました。安いお茶ですけど」
「ありがとうございます」
「ではゼン。説明してもらえるかな」
「はい。これはキャリー・バッグという名前で、この車輪で移動させる鞄です。通常は手動で動かします。重い荷物を運ぶときにエーテル・ギアを作動させます」
「重い荷物といっても、この鞄に入るぐらいならエーテル・ギアを使うまでも無いんじゃないかな?」
「はい。大きい荷物を運ぶときはこうやって……」
ゼンはキャリーバッグの金属フレームを持つと、それを動かす。フレームは折り畳まれていて、それを展開させると横幅一メートル、縦幅一メートルと半分程度の荷台になった。
それを見てコリオルは目を丸くする。
「これはすごいね!」
「しかし、これはどの程度まで動かせるのだ」
「ギア・ナイト一着なら十分運搬できます。実際にできましたし」
その言葉に二人は驚く。コリオルは声に出して、ケリーは声こそ出さなかったがいつもの無表情が崩れている。ギア・ナイトは大人が五人がかりでも運ぶのが大変なほどの重さなのだ。そのため運搬するときは分解するか、直接人が着て移動するのが普通だった。
「この大きさのエーテル・ギアでか。エーテル石の大きさはどれぐらいだ」
「手のひらぐらいの大きさです」
ゼンはキャリーバッグの裏側のカバーを開ける。そこには確かに手のひらほどのエーテル石が設置されていた。
「この程度の大きさで……」
エーテル石は大きいほどエーテルを貯蔵する量が多い。小さい石でも高い圧力をかけることで強いパワーは出せるのだが、そのぶん燃費が悪い。そのためギア・ナイトは体と同じほどの大きさのエーテル石を使用する。エーテル機構車やエーテル船ともなれば、ギア・ナイトに使う大きさのエーテル石を何十個も使っていた。
「よくこの大きさでそれほどのパワーを出せましたね」
「そのぶんスピードは出ないです。歩くより少し遅いぐらいですから」
「いや、でも一人でそれだけの重さを運搬できるというのは凄いよ。大型化して改良できれば荷物運搬の革命に……いや、それだけじゃなくて個人の……」
「おい、コリオル。自分だけの世界に入ってないで戻って来い」
「はっ。ごめんごめん。そういえば、車輪のところに動かすだけじゃない、何か違う機構があったような気がするんだけど」
ゼンはキャリーバッグの持ち手にあるダイヤルを回す。鈍色のパイプからプシューという音とともに白い煙が出ると、キャリーバッグの底部から何かが出てきた。
それは金属と歯車でできた肢だった。見た目は昆虫のものに似ている。見た目はまるで鞄の昆虫だ。鈍色に光る肢がやけにグロテスクだ。
「重いものを乗せると、段差を移動するのが難しくなりますよね。そこで考えたのが、この汎用移動式駆動肢です。少々の段差なら十分乗り越えられます」
「うわあ! これはすごいなあ」
「ん? これは……ギア・モンスターのものを流用していたのか」
「はい、そうです。それが分かるなんて、さすが先生ですね」
「この程度は自慢にもならないさ。ところで、なぜギア・モンスターの部品を?」
「知り合いの人に分けてもらったんです」
「ギア・ハンターが知り合いにいるのか」
ギア・モンスターが持つ金属の体。それに使われている鈍色の金属は鉄よりも固くしなやかだ。そのためギア・ナイトやエーテル機構車などの高い強度を求められるエーテル・ギアにはこの金属が使われる。これは自然界には存在していないので高く取引され、それによってギア・モンスターを狩り、手に入れた金属『ギア・メタル』を売って稼ぐ人々が現れた。それがギア・ハンターだ。
「僕の村はエーテル石鉱山があるんです。だからギア・モンスターから守るために傭兵さんがいて、その人からパーツを分けてもらって作ったんです」
分けてくれたのは村の傭兵のルーだ。ゼンの誕生日にプレゼントを贈ろうと思ったのだが、長年傭兵として暮らしてきた彼女は何を贈ればいいのかわからなかった。延々悩んだ結果が、ギア・モンスターの部品だった。するとゼンは飛び跳ねて喜び、それからは頻繁にルーは部品をあげるようになり、それを集めてキャリーバッグを作ったのだ。
「なるほど。しかし、これを君ひとりで作るなんてすごいねえ。上級生でも難しいんじゃないかな」
「ああ。だから実力は一年とはいえ申し分ないだろう。どうだ」
グラクルはキョトンとした顔になる。ゼンも首を傾げる。
「お前、助手を欲しがっていただろう。こいつなら問題ないはずだ」
「ああ、そうだね」
ゼンは自分抜きで進む話に、ケリーとコリオルを交互に見る。
「えっと、誰が助手に?」
「お前だゼン。アルバイトを探していただろう。給料は高いとは言えないが、そこらのアルバイトよりはいいはずだ」
「えっと」
「よっかったら、やってくれないかな? 募集はずっとしてるんだけど、誰も来てくれなくて困ってたんだ。お願い」
コリオルは深く頭を下げて頼む。
「えっと、僕なんかでいいんですか?」
ゼンは入学したばかりで、雛どころか卵にひびすら入っていないような生徒だ。そんな人間に高等教育学校の教授の助手など、どう考えても務まるわけがない。
「僕の専門分野は高度な知識はあんまりいらないんだ。というより、まだ未発達というか……」
「誰からも見向きもされていないからな。必然的に学問としては未発達ということだ」
キツイ言葉に、コリオルは胸を押さえてのけ反る。
「うう、相変わらずケリーちゃんはキツイなあ」
「ケリーちゃんと呼ぶな!」
「えっと、コリオル教授の専門分野って何ですか?」
「僕の研究テーマは、かつてあったとされるエーテル・ギア文明とその歴史についてだよ」
「エーテル・ギア文明ですか?」
聞いたことの無い言葉を、ゼンは不思議そうに言う。
「あまりなじみの無い言葉だろうね。だって基礎教育学校では教えてもらわないからねえ」
「この学園でも、わざわざお前の講義をとらないと知らないだろうしな」
皮肉げなケリーの言葉にコリオルは苦笑する。
「ゼン君はエーテル・ギアは誰が作ったか知っているかな?」
「たしかレオナルド・ダヴィンチが作ったんですよね」
エーテル・ギアの始祖はレオナルド・ダヴィンチ。これは基礎教育学校で教えられて、誰もが知っていると言っても過言ではない。
「たしかに教科書にはそう書いてあるよね。だけど彼はゼロからエーテル・ギアを開発したんじゃないんだ。正確には、エーテル・ギアを復活させたんだ」
この世界にはいくつもの遺跡がある。それは崩れて風化していたり、深い地中に埋まっていたりする。そういった遺跡の中には、エーテル・ギアと思われる遺産がいくつも存在していた。
しかし最初はそれが一体どう使用する物なのか誰もわからなかった。何しろそのころはエーテル・ギアなど存在しなかったのだ。エーテル石も、ただ硬くて叩くと光る石だと思われていた。またその硬さはダイヤモンドと同じほどだったので、太古の時代には棍棒に槍といった武器に使用されていた。
ある時、科学者だったレオナルド・ダヴィンチは実験でエーテル石を調べるために砕いてみた。すろと目もくらむ青白い光とともに、凄まじい衝撃波が発生した。それによってダヴィンチの研究室は半壊したと伝えられている。それによって彼は、エーテル石は光るだけでなく、それとともに何らかの力が発生していることを発見したのだった。その後研究を始めたダヴィンチは、遺跡に転がっているガラクタがエーテル石を使うことで動く機械だということに気づく。そしてエーテル式無限軌道装置を発明する。これは小型のエーテル機構車で、この業績からレオナルド・ダヴィンチはエーテル・ギアの始祖と呼ばれるようになったのだった。
「という真実が隠されていたんですよ」
「そうなんですか! でも、どうしてそんな凄いことを誰も知らないんでしょう?」
自分が知らなかった隠された真実に興奮しながらゼンが質問すると、コリオルは頭をガリガリ掻きながら口元を引きつらせる。
「まあ、たぶん誰も興味が無いからだろうねえ……遺跡が作られた時代のことを太古エーテル・ギア文明と呼んでいるんだけど、なにしろ資料が無いんだ。世界中にある古文書を読んでもエーテル・ギア文明について書かれたものは無いんだよ。その古文書は数千年前の事が書いてある。ということはそれより前に遺跡が存在したことになるんだけど、そんな昔にエーテル・ギアが作れるような高度な文明があったなんて誰も信じないよね」
「でも実際にあるんですよね?」
「うん。だから無視したんだ。実際に知らなくても問題無いしね」
そう言ってコリオルは力なく笑う。
「だけど僕は無視するなんてできなかった。だからエーテル・ギア文明について研究しているんだ」
「どんな研究をしているんですか?」
「古文書を読んでどこかにエーテル・ギア文明についての記述がないか調べたり、実際に遺跡に行って調べたり、遺跡にあるエーテル・ギアや遺産を調べたり……まだわからないことばかりだから、とにかく調べてばかりだね」
「そうなんですか。でも、どうして僕が? 他にも優秀な人はいっぱいいますよね」
「そ、それは……」
「誰もそんなわけのわからない昔の文明についてなんて、全くもって興味が無いからだ」
温度の感じられないケリーの声にコリオルは横を向く。
「歴史に詳しい人間など、どこも欲しがらない。必要なのは新しいエーテル・ギアや強力なギア・ナイトを開発する研究者や技術者だ。そして、そんな役に立たない研究を手伝う馬鹿もいない。そういうことだ」
容赦の無い辛辣な言葉に、コリオルは椅子から崩れ落ち、床に膝と両手をついてうなだれる。
「たしかに今は役に立たないけどさ、研究すれば新しいエーテル・ギアについての発見があるかもしれないし、ギア・モンスターの発生原因とか他にも…………」
コリオルはぶつぶつと何かを地面に向かってつぶやき続けている。
「えっと……」
「おい。いつまでそうやってるつもりだ」
「……はっ。ごめんごめん。まあそういう訳で僕の助手になろうって思う人がいないんだ。部屋を見てもらうとわかるんだけど、資料の整理をすることもできなくて困ってたんだ。だからお願いします。助手になってください」
自分の二倍近く年上の人物に深々と頭を下げられたゼンは慌てる。
「頭を上げてください。助手をやりますから」
「本当かい! ありがとう!」
「おい。ゼンにちゃんと何をするか説明してやれ。お前もそれを聞いてから受けるか決めろ」
「ああ、そうだね。えっと、まずはこの部屋の資料を整理してもらいたいんだ」
「でも、僕は素人でなにもわからないんですけど」
「大丈夫。資料のリストはあるから。それを見て分類してもらえれば大丈夫だから。それと、よかったら遺跡から見つかったエーテル・ギアの復元をやってもらえるかな?」
「えっ! そんなの出来ないですよ!」
「大丈夫。このキャリーバッグを作れるんだから実力は十分あるよ」
「ああ。お前ならそのへんの上級生より技術がある」
「でも……」
「だめかな? 給料はひと月に銀貨五枚出すよ」
「そんなに!」
銀貨五枚はちょっといい借家の一月分の家賃だ。ちなみにゼンの住むあの部屋は、一月銀貨一枚だ。しかも二部屋で。どれだけ部屋がボロいのかわかるというものだ。
「いいんですか、そんなに高くて?」
「大丈夫だ。コイツの家は金持ちでな。だからこんな金にならない研究を続けていられる」
「そういえば、教授は貴族様でしたよね。すいません」
「いやいや。僕はただの放蕩息子だからね。家督は弟に譲ったし、そんなにかしこまらないでいいよ」
「そうだ。コイツはただのバカ貴族だからな」
「ひどいなあケリーちゃんは」
「ちゃん付けで呼ぶな!」
「それじゃあ、いつから仕事を始めればいいですか?」
「よかったら明日の放課後から頼めないかな」
「はい、わかりました。明日からよろしくお願いします教授」
「教授かあ……いい響きだなあ……」
「どうしたんですか教授は?」
「……コリオルは誰からも相手にされないからな。誰かに教授と呼ばれることが無かったから嬉しいのだろう。ところでゼン。どうしてアイツは教授と呼ぶのに、私は先生なのだ?」
「ケリー先生は教授っていうより、先生って感じだからかなあ」
「どのあたりが」
「えっと、白衣を着ているところと雰囲気?」
「いいことを教えておこう。先生は主に基礎教育学校の教師たちを表すことが多く、そう呼ばれると不快感を示すやつらも多い。研究者や教授連中は貴族意識が高い。ここでは教授と呼ぶようにしろ」
「はい先生」
「……まあいい。私以外には言うなよ」
「先生、怒ってます?」
「いや。こいつが教授で、どうして私が先生なのかと不思議でな」
「あれ? ケリーちゃんどうして僕の頭を掴んで……痛い痛い! ギャアアアアア!」
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