第7話

 翌日の放課後からゼンはコリオルの助手として働くようになった。

 まずは積み上げられた本や古文書の分類整理からはじめた。これが大変な作業で、リストが存在していても、どこになにがあるのかわからない。本なら一冊にまとめられているが、古文書はクリップでまとめてある物もあれば、散らばってバラバラの物もある。

 ひたすらリストを睨んではチェックする作業。ある程度は大雑把に分類されて積まれてあるのが救いだった。その作業が終わるのは、休日も使ってまるまる一週間かかった。

「……んんー、ふぅー」

 ゼンは大きく背伸びをする。

「大丈夫? 一週間ずっと助手の仕事してたんでしょ」

「疲れてるのはたしかだけど、やっと終わったっていう充実感のほうがあるかな」

「休日まで仕事してたんだろ。そういや、こうやって三人で昼メシ食べるのも一週間ぶりか。昼休みも研究室で本の整理してたもんなあ」

「うん」

 ゼンは中庭で青く晴れた空を見上げる。ずっと室内にこもりきりだったので、暖かい日光が気持ちいい。

「人が多いな」

 中庭に設置されたベンチや芝生の上では多くの生徒たちが、弁当や購買で買ったパンなどを食べながら談笑している。

 ゼンたちは食堂で昼食を食べずに、購買で買ったパンを中庭で食べようと思っていた。しかし、どこも人が多く、広い芝生広場でさえも人があふれている。

「あっ、あそこのベンチが空いてるよ」

 そのベンチでは一人の女子生徒が座っているだけだった。ベンチは長いので五六人ぐらいなら十分座れそうなのに、他の生徒は座っていない。

「え、でもよゼン……」

 何か言いかけたグラグルに気づかず、小走りでそのベンチへ駆け寄り、女子生徒に話しかける。

「ねえ、ここ空いてるかな?」

「……」

 女子生徒は無言でサンドイッチを食べるのを止めて顔を上げる。

 上目遣いのその瞳を見て、ゼンは驚く。瞳の瞳孔が縦に長かった。色は緑で、髪の毛も同じ色。短く刈られた髪は少年のようだ。

「その、いいかな?」

「……好きにしろ」

 グラグルがゼンに追いつくと、おずおずと声をかける。

「おい、ゼン……」

「あ、二人とも、ここ空いてるって。よかったね」

 明るく言うゼンに、グラグルは顔をしかめる。

「いや、オマエ……」

「……そうだね。座らせてもらおうよ」

「おい、ドノヴァーまで」

 グラグルの戸惑った様子に、ゼンとドノヴァーは顔を見合わせて疑問を浮かべる。

「……わかったよ。他に場所も無いしな」

「ちょっとお邪魔するね」

「…………」

 緑髪の女子生徒は何も言わず食事に戻る。

「お腹減ったなあ」

 ゼンたちは袋から買ったパンやサンドイッチを取り出す。

「グラグルはそんなにいっぱい食べきれるの?」

「ああ、このぐらい楽勝だ。てか、ドノヴァー、そんな小さいパンだけで足りるのかよ?」

「これ、中にジャムがたくさん入ってるから」

「でもドノヴァーはもっと野菜を食べたほうがいいよ。栄養が偏るし」

「ゼンが食べてるような生野菜が入ったサンドイッチは苦手なんだよ……ボクの国では野菜もちゃんと味がついてるから」

「だからオマエはサラダ食べないのか。でもドレッシングやソースがついてるだろ?」

「生野菜を食べないんだよ。どの料理も焼くか煮るかしてあるのが普通なんだ。そもそも、生の野菜を食べるなんて変だよ。動物みたい」

「でも、東方の国では魚を生で食べるらしいよ」

「生で魚食べるなんて無理だろ。臭すぎるって」

 三人はそんなことを言い合いながら、仲良く昼食を食べる。

 しばらくして、横に座っていた女子生徒の食事が終わり、立ち去ろうとしたときゼンが話しかけた。

「ねえ。僕は機構科一年のゼン。君は騎士科の人なんだね。すごいね」

 女子生徒はジロリと鋭い目で睨む。緑色の瞳孔が縦に裂けた瞳がやけに冷たい。

 ゼンたちと同じくまだ新しい制服の胸にあるバッヂは一つ。一年生という印。スカーフの色は赤。騎士科の証。ゼンとグラグルのスカーフは緑。ドノヴァーは白。

 スカーフの色はエキュペント学園にある、四つの学科のどこに所属しているかを表す。騎士科は赤色。機構科は緑色。商業科は白色。素材研究科は青色だ。

 その見てわかる事実を言っただけなのに、女子生徒は眦を吊り上げた。さらに口は憎々しげに歪められ、噛みしめる歯の音が聞こえそうなほどの怒りの表情になる。

「それは、厭味のつもりか?」

「え? なんのこと?」

「私が女のくせに騎士科なんかにいると、馬鹿にしていたんだろうと聞いたんだ!」

 女子生徒は勢いよく立ち上がり、ゼンを怒りに燃える瞳で見下ろす。ドノヴァーとグラグルはその迫力に引いている。ゼンはどうして怒っているのかわからないので、ただ戸惑っていた。

「女がギア・ナイトを着て何がいけないんだ。言ってみろ!」

 彼女は今にもゼンを殺しそうな雰囲気を発していた。

 騎士科という名前は、その名の通り騎士を育成することを目的としている。騎士とは剣や槍で戦い、馬を駆って戦場を行く者。騎士科では剣と槍での戦い方を教えるが、馬の乗り方は教えない。馬ではなく、ギア・ナイトの乗り方だ。

 今は騎士というと、ギア・ナイトを着ている者を指す。正確にはギア・ナイトを装着する権利を持つ者だ。

 ギア・ナイトは高価で、配下の騎士全員に配備することができる国は少ない。なのでギア・ナイトを使えるのは優秀な一部のエリート騎士だけになる。そして今も昔も、騎士といえば男性のことだ。女性騎士は非常に少なく、女性差別もいまだ根強い。

「そ、そんなこと思ってないよ!」

「嘘をつけ! すごいとか、そんな見え透いた事を言うなっ!」

「本当だよっ」

 まわりの生徒たちは、何事かとゼンたちを見る。ケンカか、などという声も聞こえた。

「ちょっ、ちょっと待ってよ。ゼンは馬鹿にしてなんかいないから!」

 ドノヴァーが慌てて仲裁に入る。しかし女子生徒に睨まれると、悲鳴をあげて身を縮める。

「お前も私が女だから、亜人だからといって見下しているんだろう! ふん、チビ貴族が」

「……あー、ドノヴァーは貴族じゃない、らしいぞ」

 グラグルが恐る恐るといった様子で言う。

「貴族じゃないだと? こんなわけのわからない帽子に宝石までつけてるやつが、貴族じゃなくて何だと言うんだ!」

「ドノヴァーは貴族じゃなくて、ソイエ国の大きな商会の子供なんだよ。ね?」

 ゼンがドノヴァーに同意を求めると、彼はコクコクと頷く。

「ソイエ国? そういえば、西の方の民族がそんな格好をしていたような……」

「そうそう。ドノヴァーはそこの国の人なんだよ」

「そうか……っ、そんなことはどうでもいい。お前は私のことを馬鹿にしていただろ!」

「馬鹿になんかしていないってば。女の人でギア・ナイトを使えるから、すごいんだなあって思って」

「女のくせにって思ってるんだろ!」

「思ってないって。女の人でギア・ナイト使ってる人知ってるもん。村で一番強かったよ」

「ああっ! って、はあ……?」

 怒りから気の抜けた表情になった女子生徒に、ゼンはにっこりと笑った。

「あーっと、とりあえず座らねえか?」

 グラグルの言葉にゆっくりとベンチに座る。

「まずは落ち着こうぜ。頭を冷やさないと話もできないからな。えっと、俺はグラグル。ゼンと同じ機構科の一年だ」

「……ボクはドノヴァー。商業科の一年、です」

「…………ロイラだ」

 ロイラはぶっきらぼうに名前だけ言うと、持っていた瓶に口をつける。が、中身はもう空だったようだ。眉間にしわを寄せて舌打ちする。

「よかったら僕のを飲んでよ」

 ゼンが瓶を差し出す。ロイラはその笑顔を忌々しそうに睨み、ひったくるようにして奪う。蓋を開け、そして一気に飲む。


「ブファー!」


 ロイラは盛大に口から液体を吹き出した。陽光で光って綺麗だ。

「も、もしかして……」

 その光景を見て、思い当たる事があったドノヴァーは青くなる。

「ごめん。苦手だった?」

「もしかしてゼン、それって……」

「うん。ウォッカだよ」

「確かそれは、オマエの故郷の酒だったよな。とんでもなく強い……」

 グラグルはこの前の酒盛りのときを思い出す。

 ゼンとドノヴァーは休日にグラグルの家に招待された。その時ゼンはウォッカを持ってきてそれを振舞った結果、グラグルの家族だけでなくグラグルの家の時計店で働く職人たちも巻き込んで、とんでもない騒ぎになったのだった。次の日はゼン以外の人間は全員ひどい二日酔いに悩まされることになったのは言うまでもない。

 ゲホゲホと盛大にむせた後、ロイラは瓶を突きつけながら叫んだ。

「お前はなんてものを飲ませるんだ!」

「ごめん。お酒苦手だった」

「苦手とかそんな問題じゃない! のどと胃が焼けそうだ!」

「他の国の人には合わないのかな?」

 付き返された小瓶を残念そうに見やる。

「……それは合う合わないの問題じゃないと俺は思うぜ……」

「くそっ。で、お前はなんなんだ」

 吊り上った目で睨まれるが、ゼンは首をかしげるだけ。それにイラついたロイラは口をわななかせて拳を強く握る。

「ああっ! お前は私を馬鹿にしているのかどうなんだ!」

「だから、してないってば」

「……くそっ。さっきギア・ナイトを使う女を知ってるとか言ってたな」

「うん。知ってるよ。だからその人と同じですごいなあって言ったんだよ。女の人でギア・ナイトを使うのは大変なんでしょ?」

 ギア・ナイトは簡単に言ってしまえば、自分の筋力を何倍にもしてくれる鎧だ。巨大な武器やギア・ナイト自体の重量は歯車機構でほとんどゼロになると言っても、結局は自分の体を動かす体力がものを言う。そのため、どうしても男性が有利になるのだ。

「その人はルーさんっていうんだけど、傭兵になって戦ってたときは苦労したって言ってたよ。あいつらは全員筋肉馬鹿だって」

「傭兵なのか……」

「うん。でも村のギア・モンスター警備隊になってからはずっといるから、もう村の人って感じだけどね」

「そうか……」

「そういえば、騎士科には他に女の人はいるの?」

「……いや。一年には私ひとりだ」

「……上級生に何人かいるみたいなんだけど、正確には知らないなあ」

「でもよ、ロイラだったか。よく騎士科に合格できたな」

 その言葉にゼンはグラグルへと顔を向ける。

「どういうこと?」

「騎士科はその名前の通り騎士になるための学科だろ。他の学科は金払えば入れるけどさ」

 基礎教育学校は誰でも入学できる。授業料も安い。そして高等教育学校は授業料がかなり高いが、それが払えるなら入学できる。なぜなら元々高等教育学校は貴族専用の学校だったからだ。もしも「成績が悪いので入学できません」と言われたらプライドの高い貴族は怒り狂うだろう。それを防ぐために授業料が払えるなら誰でも入学できるのだ。なので入学できない貴族は、貧乏貴族として周りから笑われることにもなっている。

「騎士科には実技の入学試験があるんだよ。どれだけ戦えるかっていう試験が。たしか筋肉の塊みたいな傭兵の男と戦うんだろ? よく平気だったな」

「たしかに相手は熊のような大男だった。パワーで勝てはしない。だが、スピードなら勝てる」

「いや、それでも普通は勝てないだろ。普通のやつなら」

 ロイラはベンチから無言で立ち上がる。背が高いので、座ったゼンからは表情が見えない。

「……私は、傭兵だ」

 そうつぶやくと、ロイラは歩き去る。ゼンたちは何も言えないまま見ているしかなかった。彼女は一度も振り向くことは無かった。

 しばらくは三人とも言葉を発することができなかった。

「……傭兵って」

「僕はロイラみたいに若い女の人の傭兵は見たことないなあ」

「……そもそも、なんで傭兵がこの学園に来るんだ?」

「ギア・ナイトの使い方を教えてもらうためじゃないの?」

 ゼンの質問にグラグルはため息を吐く。

「傭兵がわざわざ学校にギア・ナイトの使い方を習いに来るわけ無いんだよ。その場で覚えて慣れるしかないんだよ。そうじゃなきゃ死んでる」

 自分のギア・ナイトを持ってる傭兵は、かなり腕利きの傭兵だけだ。戦場でギア・ナイトを着ている者は雇い主が貸し出しているか、誰かから盗んだものだ。

 ただ、ギア・ナイトは個人の体格に合わせて微調整しなければ、本当の実力は出すことができない。しかしその力は生身の人間では圧倒的な差があり、到底立ち向かえるものではなかった。

 だが互いにギア・ナイト同士ならどうだろう? そうなれば勝つのはギア・ナイトの扱いに慣れた者だ。そうして傭兵は徐々にギア・ナイトの扱い方を覚えていく。戦場で戦うことが傭兵の勉強方法なのだ。

「ということは、ロイラはギア・ナイトを使えるんだ。やっぱりすごいなあ」

 無邪気な表情でそう言うゼンに、二人は顔を見合わせて苦笑いするだけだった。

「いやいや。あんな恐ろしい思いをしたのに、ゼンは大物だぜ」


 数日後、ゼンは研究室がいくつも並ぶ一画を歩いていた。ゴミを捨てに行くためだ。ゴミ捨て場は西側の奥まったコリオルの研究所からは真逆にある。

 ゴミの詰まった袋を、キャリーバッグのフレームを展開させた荷台に乗せて運んでいる。たまにすれ違う生徒や教授が驚いた様子でキャリーバッグを見る。しかしゼンはそんなことに気づかずゴミ捨て場へ向かう。

「ふう。よいしょっと」

 ゴミを置いて、ゴミ捨て場の扉を閉める。

 ゴミ捨て場のすぐ横には、騎士科の生徒が使う訓練場が広がっている。

 金網のフェンスに囲まれた場所は広く、そこで何人かの生徒が訓練をしていた。時刻は放課後なので自主的にやっているのだろう。

 ギア・ナイトを着て摸擬戦をしたり、剣や槍の使い方を練習している人が多い中、目立つというより異様な集団がいた。

「おーし、お前ら! 筋肉をもっと酷使しろぉっ!」

「「「ウッス!」」」

「いくぞおっ! 腕立て千回!」

「「「ウーッス!」」」

 腕を組んで仁王立ちしている男性がいる。スキンヘッドで上半身は裸。岩のような筋肉を全身に纏い、二メートル以上はあろうかというその姿は熊よりも恐ろしい。

 彼の前では何十人もの筋骨隆々とした男たちが腕立て伏せをしていた。全員上半身裸で隆起する背中の筋肉は、まるで切り立った岩山のよう。そんな男たちが並ぶ光景は、まるで大陸を横断する山脈のようだ。

「うわあ」

 汗を散らしながら腕立て伏せをするマッチョな男たちの集団を、なぜかゼンはキラキラとした目でみつめる。まるで宝物を見た子供のようだ。

「よーし、お前ら! 筋肉は好きか!」

「「「大好きです!」」」

「まだ鍛えたいか!」

「「「まだ物足りません!」」」

「筋肉は美しいか!」

「「「美しいです!」」」

「よーし、整列!」

 掛け声とともに男たちは綺麗なポージングを決める。

 両腕を曲げて腕と胸の筋肉を強調させた。そして流れるように次のポーズへ。背中を正面へ向けるように体をねじる。強靭な背中の筋肉が盛り上がる。そこから片手を伸ばし、弓を構えるようなポーズ。まるで英雄の石像のようだ。

 ゼンは感動して無意識のうちに拍手をしていた。その音に気づいたスキンヘッドの大男が振り向く。

「ぬ? 誰だ」

「えっと、機構科一年のゼンです。すごい筋肉ですね。かっこよかったです!」

 賞賛の声に、男の大胸筋がピクリと動く。

「坊主、筋肉が好きか?」

「はい!」

 その答えに男は破顔する。笑った口から見える白い歯が、キラリと光った。

「いい返事だ。よし筋肉を触らせてやろう」

「本当ですか!」

 ゼンは走って訓練場の中へ入る。

「うわー。すごく太くて硬いなあ」

「どうだ、ワシの自慢の筋肉は」

 ゼンは自分の腰周りほどの太さの腕を、両手で撫でる。

「すごい! 太い! 硬い!」

「ガッハッハッ! そうだろう、そうだろう!」

 男は大声で豪快に笑う。ゼンはそんな男の顔を尊敬の眼差しで見る。

「俺たちの筋肉も触ってみるかい?」

「いいんですか!」

 何十人もいる男たちの筋肉をゼンは次々と触っていく。綺麗に割れた腹筋、山脈のような背筋、熊のような腕、馬のように太く逞しい腿。

「どうだい俺の腹筋は?」

「すごいです、割れてます!」

「見よ! この鍛え上げた太腿を!」

「膨れ上がってる! 短パンが破れそうなぐらいパンパンだ!」

 ゼンは嬉しそうに男たちの筋肉を、触ったり撫でたり叩いたりして堪能する。その度に男たちの表情は、体とは不釣合いにだらしなく崩れる。

 男たちは筋肉を愛し、筋肉に全てを捧げた『筋肉愛好クラブ』である。たとえ他人から敬遠され後ろ指をさされても、自分たちが鍛え上げた筋肉に誇りを持っている。しかし、やっぱり誰かに認めてもらいたいという気持ちは持っていた。同好の士である筋肉の塊のような男たちだけでなく、一般のできれば可愛い女の子とかに。

 しかしゼンは男である。だが小柄で華奢で童顔で、守ってあげたくなるような小動物っぽい顔で、嬉しそうに自分たちの筋肉を触ってくるのだ。嬉しくないわけがない。

 彼らはこれまで「キモイ」「くさい」「怖い」と言われ続けてきた。その悔しさを筋トレにつぎ込み、さらなる筋肉の高みを目指した。そして、その成果がいま実ったのだ。

 この場にいる全員が思う。筋肉に神は答えたと。

「あはは。すごい、すごい」

 笑顔で筋肉を触るゼンと、周囲を囲む笑顔のマッチョ。その様子を見た周囲の生徒たちから「あれ、ヤバイんじゃないか」「ショタがマッチョに襲われてる……じゅるり」「だれか教師を、いや、憲兵隊を……」「アーッ」などといった声があがっていた。

「十分筋肉を堪能できました。ありがとうございます」

「うむ。ワシは騎士科の五年、名前はマウルス・ブロイラーだ」

 そう言ってマウルスは右手を差し出す。ゼンも右手をだす。握手なのだが、手の大きさが大人と赤ちゃんほども違う。ゼンの手はすっぽりと包み込まれ、握手というより手を握りつぶされているような状態だ。

「あの、みなさん騎士科の人なんですか」

「いや、そうじゃない人間もいる。ワシら『筋肉愛好クラブ』は筋肉を愛する者なら誰でも歓迎する。坊主もな」

「……でも、僕は……」

 自分の細い腕を悲しげに見つめる。するとマウルスはゼンの肩を、両手で力強く叩いた。

「筋肉があるかどうかが問題では無い! 筋肉を愛する心があるかどうか、心に筋肉があるかどうかが問題なのだ! 坊主にはそれがあるか?」

「あります!」

「ならば坊主も筋肉愛好クラブの一員だ!」

 男たちがゼンへと駆け寄ってくると、担ぎ上げて胴上げをはじめる。

「「「わーっしょい! わーっしょい!」」」

「ありがとう! みんな、ありがとう!」」」

 マウルスは腕組みをして、何度もうなずきながらその様子を見ていた。

 彼らにとっては感動的な、周りの人間にとっては意味不明の光景だった。


 胴上げから下ろされると、金属がぶつかる音が聞こえた。その方向を見ると、ギア・ナイトが倒れていた。地面には引きずったようにえぐれていて、かなりの勢いで転倒したことがわかる。

「またか」

「また?」

「うむ。あの一年は毎日ここでギア・ナイトの訓練をしているのだが、なかなかうまくいっていないようでな。ああやって転倒してばかりいる」

 マウルスはむっつりとした顔で腕を組む。

「一年生なんですか」

「多かれ少なかれ、慣れるまでは戸惑うものだ。しかし入学して一月だからな。もうそれなりに出来るようになっているはずだが」

 倒れたギア・ナイトはゆっくりと体を起こす。なんとか立ち上がったが動きがぎこちなかった。

 ギア・ナイトはどうしても生身のときより関節の移動範囲が狭くなる。そのため倒れた状態から復帰するにはぎこちなくなってしまうし、スムーズに起き上がるコツを覚えなければならない。だが、それにしても動きが変だった。

「女だてらに頑張っているというのに、不憫なことだ」

「えっ」

 走り出したギア・ナイトが十メートルほどでバランスを崩し、つんのめるように地面へ激突した。大きな音とともに土煙があがる。巻い上がった土煙が消えても、倒れたギア・ナイトは動かない。

「だ、大丈夫なのかな?」

「クソッ!」

 ギア・ナイトの中の人間が悪態を吐く。かすかに聞こえた声は、ゼンが知っている人物の声に思えた。

 苦労して立ち上がったギア・ナイトは、ヨロヨロとした足取りで訓練場を歩き出した。

「どうやら、今日の自主訓練はこれで切り上げるようだな」

 心なしか肩を落としているように見えるギア・ナイトの背中をゼンは見つめていた。

「よし。もう少し筋トレをやるか!」

「「「オイッス!」」」

「坊主もやるか」

「はい……って、そうだった! まだ仕事が残ってたんだ!」

 ゼンはゴミ捨ての後に論文の整理を頼まれていたことを思い出した。

「すいません、失礼します!」

「うむ。ワシらは大体ここで筋トレをやっているからな。また来い」

「はい。それじゃあ」

 ゼンは筋肉愛好クラブの男たちに手を振りながら、全速力で研究室へと戻るのだった。


「今日はギア・ナイトの点検工程を見学します。全員ちゃんとメモを取るようにしてください。次の授業までにレポートを提出してもらいますから」

 今日ゼンたちのクラスは授業で、上級生がギア・ナイトの点検する様子を見学しに来ていた。

 場所は訓練場の北にあるギア・ナイトの倉庫や製造工場が建ち並ぶ一画だ。エキュペント学園はエーテル・ギアやギア・ナイトを作るための設備が整っている。もちろん設備は最新型のものが揃っていた。さすが世界最先端のエーテル・ギア教育学校だ。

 ここはギア・ナイト専用の倉庫。何十台ものギア・ナイトが整然と並んでいる。本格的な点検は分解作業が必要になるので、専用のドックを使う。しかし今回は簡単な点検なので倉庫の中で行う。

 一つのギア・ナイトに点検する人間は一人。それを見学する生徒は三四人づつ。

 点検作業はまず各関節の状態を確認する。関節部分の歯車やジョイント部分に破損箇所があると、ギア・ナイトの動きが悪くなるだけでなく、最悪の場合断裂する危険性がある。関節部分は金属でできたギア・ナイトを支えるために需要な部分だ。もし支えられなくなった場合、生身の体にその重量が全部圧し掛かる。そうなってしまえば人間の力で支えきれるわけが無く、関節は粉々に破壊されてしまうだろう。

 それを理解している上級生は、慎重に慎重を重ねて関節部分を点検する。手に持った点検用紙の項目に印をつけ、気になった部分や気づいたことを備考欄に書き込む。

 ゼンが見学している上級生が小さく舌打ちをする。無理も無いかもしれない。なにしろ担当しているギア・ナイトは、見るからにひどい有様だった。

 傷ついていない箇所は無い。体中の装甲はいたる所にへこみがあり、背後から伸びる排熱用のパイプは、何本かがあさっての方向へ向いている。つぶれていないのが奇跡のような状態だ。ここにあるのは初心者訓練用のものだが、ここまで壊れているものは他に無い。

 ゼンはこのギア・ナイトに見覚えがあった。この前見た、訓練場で何度も倒れていたものだ。

「これは、全身を分解整備しなきゃならないだろうなあ……」

 上級生はつぶやきながら関節部分のカバーを取り外す。大小何百枚という歯車で構成された関節が露わになる。

 単純な歯車だけでなく、クランクシャフトにつながれたものや、三方向にある歯車と噛み合っているものもある。それはまるで歯車で作られた生物の体内のようだ。

 肩、腕、指関節、腰、股関節と点検を行っていく。見学する生徒たちはできるだけ近づき、食い入るように点検の様子と関節部分を見る。そして膝関節を点検しているとき、ゼンは目を細めた。

「……よし。特に異常は無いかな。でも磨耗が激しいから」

「あの、先輩」

「ん?」

 ゼンの声に上級生が振り返る。

「どうしたのかな」

「そこ、ちょっと変じゃないですか?」

「えっ、どこがかい」

「この奥にあるエーテル供給用パイプなんですけど、左右で接続している場所が違う気がします」

 それは膝関節の奥深くにある場所で、よく目を凝らして見ないといけないような場所だ。最初は見間違いだろうと思った上級生だが、これも一年生の勉強のためと思い確認することにした。しかし確認してみると、本当にパイプの接続場所が違ったので目を剥いた。

「確かに接続している場所が違っている。そうか、ここはエーテル供給のタイミング調整の場所だから、どっちにしても正解なんだ。だから左右の違いを見落としていたんだな」

 ゼン以外の生徒は目を丸くして彼を見ている。まだ入学して一月足らずなのに、上級生が見逃した異状に気づいたゼンに驚愕していた。

「すごいな。よく見つけたね」

「昔からギア・ナイトの整備を手伝っていたので」

 もっと嬉しそうな顔をしているのに、ゼンは目を細めてギア・ナイトを睨んでいる。

「先輩、この部分ってこんなふうに接続を間違えることがあるんですか?」

「うーん。ここは膝関節にエーテルを送るタイミングを調整する場所なんだけど、調整する場合は両方いっしょにやるんだよね。そうしないと左右で出力がバラバラになっちゃうから」

「ここの調整は誰でも簡単にできるものですよね」

「そうだね。接続部分のナットを外してパイプをつなぎ直すだけだから」

「……」

 ゼンは難しい顔で黙り込む。なぜそんな表情になっているのか、上級生と他の生徒たちは困惑するばかりだった。


百人以上の生徒たちが建物の中にひしめいていた。

 場所はエキュペント学園第八ギア・ナイト倉庫。ここには初心者練習用のギア・ナイトが、だだっ広い敷地に整然と立ち並んでいる。天井は高く、いくつものエーテル灯がぶら下がっている。

「さっさとギア・ナイトを着用し、訓練場に整列しろ!」

 大柄な男性教師の声が倉庫内に反響する。

 生徒たちは自分たちに割り当てられたギア・ナイトの背後へ向かう。鍵穴に鍵を差し込んで開錠すると、背中が音とともに大きく開く。生徒はそこからギア・ナイトの中へ体を滑り込ませる。

 ここに並んでいるのは二世代前のギア・ナイトだ。旧式とはいっても、まだ十分現役で使えるものである。そんなものが練習用として生徒一人ひとりに行き渡るのは、ここがギア・ナイト研究の最先端であるエキュペント学園だからだろう。

「今日はうまく走れるといいな、蛇女」

 ロイラが眉間にしわをよせた表情で、手袋をいじりながら自分のギア・ナイトへ向かっていると、心から人を馬鹿にしたような声をかけられた。

「……またお前か」

「ああん? 俺にそんな口をきいていいと思ってんのか、汚らしい亜人が」

 男子生徒は唇を歪めてロイラを睨みつける。しかしロイラは平然と無視して歩き始める。

「おい。ラッド様を無視するんじゃねえ!」

「てめえ、自分の立場わかってんのか?」

 ラッド・ドズークと手下の二人は、いつもロイラに嫌がらせをしているグループだ。

 彼らはいちおう貴族なのだが、かなり下級の家柄だった。そのため騎士科の三分の二を占める貴族たちの権力構造では、ピラミッドの最下層に位置している。それなのにプライドだけはやたら高く、その不満の捌け口として亜人であるロイラに目をつけたのだ。

「……お前等の相手をするだけ無駄だ」

「ああ、そうだな。早く倒れずに走れるようにならなきゃいけないもんなあ」

 ロイラが怒りをこめた剣呑な目つきで睨みつけると、ラッドはいやらしく笑う。

「いつになったら模擬線をやれるのかなあ? そうすればお前をぶちのめしてやるのに」

「……ッ!」

 入学してから約一月。他の生徒たちは剣や槍を使っての訓練をしている中、ロイラは初歩の初歩である、ギア・ナイトで走ることに躓いていた。

「さっさと走れるようになってくれよ。赤ん坊みたいにハイハイしているやつなんかと戦いたくないからなあ」

 三人はギャハハと下品な笑い声を上げながら歩き去って行った。

「クソがっ!」

 ロイラは血が出そうなほど両手を握り締める。噛みしめられた奥歯は、まるで鉄を擦り合わせたような音を発していた。

 足音荒く自分の練習用ギア・ナイトへ向かうと、作業服姿の生徒が作業をしていた。周りにはドライバーやペンチにパイプと歯車などが転がっている。

「何をしている?」

「あ、これを着る人かな? ちょうど作業が終わったところだよ」

 作業服姿の生徒は首と肩を回しながら、やれやれと息を吐く。

「さっきこのギア・ナイトを簡易点検してたらさ、異常が見つかったから調整してたんだよ。ついでに全体の見直しや、歪んだ装甲カバーの取替えもやってたから、けっこう時間がかかっちゃたんだ。間に合ってよかったよ」

「異常とは何だ」

「膝関節のエーテル供給タイミング調節パイプだね。左右でその位置が違ってたんだ。動くとき足回りに異常がなかった?」

「……走るとバランスが取れなくて倒れた」

「それは左右でタイミングがズレていたからだね。ギア・ナイトは重いから、動かすタイミングがズレると簡単にバランスが崩れちゃうんだ。それを立て直そうとしても、脚がうまく動かなかったらどうしようもないからね」

「だが、点検では問題なかったはずだ」

 ごく簡単な動作確認だけだが、訓練開始前と終了後に点検を義務付けられている。ロイラはチェックシートに沿って確実にそれを行っていた。放課後の自主訓練のときもそうだ。

「これは練習用だからね。かなり駆動系の自由度を削ってるんだ」

 ギア・ナイトは人体の動きを妨げないように作られている。しかし人間と同じ可動域を関節に持たせるには、高度に複雑な歯車機構を使う必要があった。複雑であればあるほど壊れやすくなってしまう。なので初心者が基本的な動きを練習するためのギア・ナイトは、関節の可動域を狭め、その機構も簡略化することで故障を減らしメンテナンスも簡略化できるようにしてあった。

「本当は何百、何千っていう調節箇所があるんだけど、簡略化されてるから一箇所がズレているだけで、大きな障害になってしまうんだ。本来ならちょとした違和感ですむ程度の異常がね」

 ロイラはむっつりと黙り込み、床を睨んでいる。

「しかし、よくあの一年の子はこれに気づいたなあ」

「一年?」

「あ、そうなんだ。一年が見学に来てたんだけど、そのなかの一人が異常に気が付いたんだよ。名前はたしか、ゼンだったかな?」

「……!」

 その名前にロイラが目を見開いて顔を勢いよく上げると、男子生徒はびっくりした顔になる。

 そのとき、教師の声が聞こえた。

「まだ倉庫にいるやつは、早く外に出ろ!」

「わっ! えっと、脚の調整は直したし、ほかの部分も点検と調整しておいたから。たぶん前より動きは良くなってるはずだよ」

「……」

 ロイラは無言でギア・ナイトを装着する。まずは両足を開いた装甲の隙間から入れる。

 ロイラは革のプロテクターを身にまとっていた。各関節部分に金属のパーツがついている。そこへギア・ナイトの内部から突き出ている金属の棒を接続する。足首、膝、股関節。これによって人間の動きをギア・ナイトに伝え、自分の思い通りに動かすことができる。

 腰にも接続して、次は腕。肩、肘、手首と接続。専用の皮手袋の指にも、接続用のパーツがある。ただし指関節ごとではなく、指一本につき一箇所だ。

 胴体と一体化した兜の中へ頭を入れる。細いスリットから見える世界は狭い。

 腕の動作確認をすると、腰部左右にあるスイッチを同時に回す。すると微かに空気が漏れるような音とともに、開いていた背中がゆっくりと閉じる。完全に閉じたことを確認すると、ゆっくりと足踏みをして動作確認。異常がないことを確認すると、ロイラは訓練場へと向かう。

 ギア・ナイトを調整していた上級生は、その様子を見ながら満足そうに何度も頷いていた。


 整列した生徒たちの前に、同じくギア・ナイトを装着した教師が腕を組んで立っている。

「全員いるな。まずは基本の素振りを百回。その後は模擬戦だ。しかし、ロイラ。お前はこっちだ」

 一人訓練場の端へ連れて行かれるロイラを見て、他の生徒たちから嘲笑や侮蔑の言葉があがる。しかし、それを咎める者はいない。

「さて、今日も走る練習だ」

「……」

 ロイラは無言で位置につく。

「用意、走れ!」

 ロイラは一歩目から全力で地面を蹴る。爆発したように地面がえぐれた。

 強力なエーテルの力で動くギア・ナイトは、人間の何倍もの速さで走る。爆発したような土煙と、背中の排熱用パイプから白い煙を上げながら、あっという間に百メートルを駆け抜けた。そこで急制動。ガリガリと地面を削りながらスピードを落とし、爆発したように逆方向へUターン。

 数秒でスタート地点へ駆け戻ったロイラは、挑むように教師を睨む。教師は兜の中でニヤリと笑った。

「ふふ。まるで人が変わったようだな。いや、ギア・ナイトが変わったようだな」

「……知っていたのか」

 ロイラの刺すような視線を受けても、教師はおかしそうに肩を揺らすだけだった。

「何年この学園で教師をやっていると思うんだ。まあ、この程度で諦めるならそれまでだったってことだ」

「誰が諦めるか」

「ふはは。次は武器の扱い方だ。できるか」

 肩に置こうとした手を振り払い、ロイラは背を向けて歩き始める。

「できる。私は元傭兵だ。あそこにいる坊ちゃん貴族などに負けるか」

 荒々しく歩く姿に、教師はふんと鼻で笑うと彼女の背をゆっくりと追うのだった。


「ふぅっ! しいっ!」

 ロイラは素振りをくり返す。振り下ろし、薙ぎ払い、突きからの斬り上げ。

 洗練された剣技とは違う、荒々しい傭兵の戦い方。相手をただ叩き潰す動き。その力強い動きは、ギア・ナイトの身長を超える巨大な剣には良く似合っている。

「ああっ!」

 何度も素振りをくり返した全身は、流れるほど汗にまみれていた。

「全員集合!」

 ロイラは素振りを中止して整列する。

「これから模擬戦を行う。四ブロックに分かれて総当りだ。戦ったやつは一戦は休むように。無理だと思ったら休めばいい。ただし三戦以上は行うこと。では、分かれろ」

 ロイラは今日が初めての模擬戦だった。興奮で剣の柄を強く握る。

「おいおい。今日になってはじめて剣を持ったやつが、模擬戦なんてできるのかねえ?」

 背後から聞こえてきた嫌味たらしい声は、もちろんチンピラ貴族のラッドだ。

「怖い思いをしたくなかったら、向こうで素振りでもしてるんだな」

「……お前こそ逃げなくていいのか」

「ああん?」

「私に負けて、泣きべそかいて逃げることになっても知らないからな」

「なんだと!」

 激昂したラッドは剣を振り上げる。

「そんなに早く負けたいか。いいだろう、相手をしてやる」

「ふざけんなっ! 蛇女が! ぶっ殺してやるよ!」

 地面に引かれた白い円の中へ二人は向かう。円の端と端に立った二人は、互いに剣を構える。背中のパイプから白い煙が上がる。戦闘準備ができている証だ。

「泣き喚いても許さねえからな!」

「泣き喚くのは、そっちだ!」

 二人は真正面からぶつかっていく。全力で勢いを緩めることなく、一直線に。

 同時に剣を振り下ろす。剣と剣がぶつかり合い火花を散らす。

「ぐう!」

「ふうううううう!」

 剣を全力で押し合う。しかし同じギア・ナイトなので力は互角。ギリギリと互いの剣とギア・ナイトが軋む。

「なんでだ? お前のギア・ナイトがそんなに動くはずがない!」

「……ッ!」

 一瞬、ほんの少しロイラが後ろへ下がる。前へ押し続けていたラッドは上体が前に泳ぐ。その瞬間を狙い、ロイラが剣をかち上げる。

「ああっ!」

「なっ?」

 大きな音とともに、剣を殴られたラッドの両手が上に弾かれる。がら空きになった胴体へ剣を突き出す。慌てて体をひねったラッドはバランスを崩す。

「うおおお?」

 それが功を奏して地面に倒れながらも、突きは体の装甲を削りながら脇へ逸れた。耳障りな金属音が響いた。

 重い音とともに地面に倒れたラッドは慌てて立ち上がろうとするが、ロイラが駆け寄るほうが早かった。彼女は倒れた相手に剣を振り下ろすのではなく、厚い装甲に包まれた足で、腹部を思いっきり蹴りあげた。

「ぐえええ!」

 腹部の装甲は陥没して、相当な重量のギア・ナイトが数メートル吹き飛ぶ。剣も衝撃で手から離れる。ロイラの脚部装甲も破損していた。しかし動きに遜色は無い。地面に穴を開けながら、飛ぶように駆ける。剣を振りかぶり肉薄すると、頭上から一直線に振り下ろす。

「ひいっ!」

 剣の切っ先は、頭に振り下ろされる寸前で止まっていた。

「まだやるか?」

「ま、まいった……俺の、負けだ……」

 ロイラは剣を突きつけたまま、ふんっと鼻で小さく笑った。

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