第4話

「ベア・クローですか? ちょっと触ってもいいですかな?」

 チャンブレはベア・クローを手渡されると興味深そうに上下左右から観察する。ドノヴァーも横から顔を近づけて見ている。

「……これはどういうものなんですか?」

「簡単に言うと、ギア・ナイトの腕に大きな爪を付けたものなんです」

 ゼンはベア・クローを自分の腕に装着する。肘から右手の指先まで覆う金属の篭手。その指先には長く太く尖った爪が伸びている。篭手の表面にはいくつもの細いパイプが絡み合い、パイプのすき間や指と手首の間接部分には大小無数の歯車が見えていた。

「もしかして……これはエーテル・ギアなの?」

 ドノヴァーの質問にコクリとうなずく。ゼンが爪を動かすとキチキチという歯車が噛み合う音とともに、甲の部分のパイプから白い煙が昇る。

 エーテル・ギア。正式名称、エーテル圧力型歯車機構装置。エーテルの力で歯車を回す機械の総称。ギア・ナイトやエーテル機構車にエーテル機構船、さらにはエーテル灯にエーテル時計といったものもある。飛空船も正式名称は、エーテル浮力式歯車推進機構という。

 ゼンがベア・クローのカバーを外すと、歯車たちに包まれて青い石が鎮座していた。

「本当だ。これエーテル石だ……」

 エーテル石は大気中にあるエーテルが固まった物質。色は綺麗な青色。この石は圧力をかけると中に溜まっているエーテルが漏れ出す性質がある。その漏れ出したエーテルの圧力で歯車を動かすというのがエーテル・ギアの基本構造だ。

「構造はギア・ナイトの腕と同じです。ただ指の先にこの爪を付けただけです」

「しかし、こんな物は見たことありません。ギア・ナイトは全身を包む鎧ですし……これはどこで作られたものなのですか?」

「僕が作りました」

「ええっ!?」

 ドノヴァーとチャンブレは驚いて叫ぶ。口を開けてこちらを見る二人に、ゼンはどうしたのかと目をパチパチさせるだけだった。

「ほ、本当にゼンさんが作ったんですか?」

「うん。そうだけど」

「ええと、では、どうしてこれを作れたんですか? 失礼ながら、ゼン様の年齢で作れるとは思えません」

「うーん。子供のころから近くにギア・ナイトがあったからかな? それで整備とか手伝うようになって、少しずつ勉強していったんだ」

 ゼンの故郷であるロジニア共和国の主産業は、エーテル石の発掘である。国土の七割が山で、そこにはいくつものエーテル石鉱脈があった。ゼンの村はエーテル石の発掘によって発展した村だった。

「たしかに、それなら身近にギア・ナイトがありますね」

「うん。ギア・モンスターの襲撃があるから。ギア・ナイトを使う傭兵たちがたくさんいるんだ」

 ギア・モンスターとは、鈍色に光る金属と歯車で構成された器官を持つ生物のことだ。その大きさは大小様々。種類も世界で数万種類に及ぶ。

 金属と歯車で作られた腕や足はギア・ナイトと同じかそれ以上のパワーがあり、生身の人間なら簡単にひき肉に変えてしまう。それなら近づかなければいいのだが、人間には戦わねばならない理由があった。ギア・モンスターはエーテル石を食べるのだ。

 ギア・モンスターはその口でエーテル石をかじる、または溶かして舐めるといった方法で跡形も無く胃袋へ入れてしまう。ギア・モンスターたちはエーテル石の位置がわかるらしく、エサが大量にあるエーテル石鉱脈を襲撃してくる。

 何もしなければ全て食い尽くされてしまう。そこでギア・ナイトを使う傭兵たちを雇い、エーテル石鉱脈を守らせているのだ。

「それで僕は傭兵のルーさんと仲良くなって、ギア・ナイトの整備を手伝うようになったんだ。そうしたらもっとギア・ナイトのことを知りたくなって、エキュペンド学園で勉強しようと思ったんだ」

「へえー。あれ、でもどうして傭兵が? 騎士団が守るんじゃないの?」

「え。どうして貴族の人たちが?」

 ゼンとドノヴァーはお互いに首をかしげる。

「国によって髪の毛や肌の色だけでなく、制度も違うということです。これがカルチャーショックというものですよ、ドノヴァー様」

「ドノヴァーの国では傭兵がいないの?」

「ううん。いるけど、大体が貴族や商会の護衛しかやってないよ。エーテル石鉱脈とか重要な場所はみんな騎士団が守ってるんだ」

「へえー。でも全部を騎士団だけで守れるの? 人数が足りないんじゃないかな」

「はっはっは。私たちの国ではエーテル石がほとんど無いのですよ。なにしろ国土のほとんどが砂漠ですから」

 チャンブレは楽しそうに笑う。ゼンはなるほどと何度もうなずく。

 ロジニア共和国は山に覆いつくされているといっても過言ではない。その山には豊富にエーテル石が埋まっている。掘れば鉱脈に当たるというほどだ。そのおかげでエーテル石を豊富に輸出して外貨を得て、小国ながら世界でも上位の富裕国になっている。そのおかげで庶民もそれなりに裕福で、ゼンがエキュペンド学園に行けるのだ。しかし、身分格差が激しく、貴族政権と腐敗によって人々に公平に富が分配されているとは言いがたいのが現実だった。

「あの、ソイエ国の主要産業は何なのですか?」

「そうですね……ドノヴァー様、ゼン様に教えてあげてもらえますか?」

 びっくりした表情をした後うつむき加減ながら、それでも小さい声でドノヴァーは説明をはじめる。

「えっと……主要な産業は羊毛や綿と絹で作る織物製品かな。それと、行商……」

「行商?」

「正確に言うと、現在は輸出産業ですな」

 その昔、ソイエ国は様々な物の集積基地だった。大陸西部の海沿いにある国々から多数の貿易品が集まり、東部の国々に運ばれた。東部の国々からも運び込まれた品物は、同じようにソイエ国から西へ届けられた。

 その当時は大小の乱立する国家が小競り合いを繰り返していた。そのために安全なルートが限られていた。そのルート上にソイエ国があったのだ。その理由として砂漠が国土のほとんどであり、攻め込むのは困難で占領する旨味も少なかったためである。そのためソイエ国は一種の緩衝地帯となり、西部と東部の国々にとって外貨を得るための主要拠点となったのだ。

 しかも当時の王(正確には商会連合のトップ。当時はまだソイエ国という国は無く、いくつかの部族が共同統治していた。貿易によって蓄えた資金で建国した)に先見の明があったのか、貿易品にかかる税をかなり少なくしていた。そのおかげで貿易品は膨大な数になり、それがとんでもない額になるのは瞬く間だった。

「へえ。そういえば二人の服もすごい豪華だね」

 ドノヴァーとチャンブレの服は上等な綿で織られたシャツとズボン。さらにシルクのベスト。腰紐には金糸や銀糸が使われているし、ターバンと靴には宝石まで付いている。

 それに比べてゼンの服装は頑丈さだけが取り柄の厚手のシャツとズボン。革のジャケットだけは立派だが、長旅でくたびれていて汚れと傷が目立つ。

「ルチオム商会は国で三本の指に入るほどの大きさですので」

 たしかに普通の商会なら、不時着した先でこんな豪華な馬車や護衛の傭兵を雇えるはずがない。そもそも飛空船に乗れるだけでとんでもない金持ちなのだが。

「それなら、何でドノヴァーはわざわざ遠くのエキュペンド学園に行くの? そんな必要ない気がするけど」

「それはですね、ドノヴァー様には二人の兄上がいるのです。歳が離れていまして、すでに二人は仕事をまかされています。そこでドノヴァー様にはルチオム商会がまだ手を出していないエーテル・ギアについて学んでもらい、将来的にはその分野でがんばっていただこうというわけです」

「なるほど。すごいなあ」

 ゼンが感心したように見つめると、ドノヴァーは恥ずかしそうに身じろぎする。

「ボクよりゼンのほうがすごいよ。自分でエーテル・ギアを作っちゃうんだから。でも、どうしてそれを作ろうと思ったの?」

 ベア・クローを指さされると、ゼンは腕から外す。

「ギア・ナイトを作る練習っていうこともあるけど、これを作ろうと思ったのは狼から村を守るためかな」

「お、狼が出るんですか……」

 ゼンの村を襲うのはギア・モンスターだけではない。山には野生動物も生息している。

 ギア・ナイトはエーテル石鉱脈を狙うギア・モンスターのために、どうしてもそちらへ配備することになる。そのため人や家畜を襲う野生動物相手には、生身の人間が立ち向かうことが多くなる。

「うん。もちろん対策はしてるけど、やっぱり怪我人や死んじゃう人が出ることがあって……だから何とかできないかなあと思ってこれを作ったんだ」

「ベア・クローという名前は、やはり熊の爪に似ているから、ということですかな?」

「……最初は、可動式巨大爪一号っていう名前に僕はしたんだけど」

 そのネーミングセンスに二人はぽかんとした顔になる。

(村のみんなもそうだったなあ……ルーさんなんか「ダサすぎる!」って笑ってたし)

「え、えっとぉ……じゃあ、どうして?」

「村を熊が襲ってきたんだ。その時これでやっつけたから。それでみんながベア・クローにしようって言って」

「……なるほど。熊の爪ではなく、熊を倒したからですか……」

 ドノヴァーとチャンブレの二人は感心とも呆れともとれる不思議な表情になる。

「僕はぜったい可動式巨大爪一号のほうがカッコイイと思うんだけど」

「ボクはベア・クローのほうがいいと思います」

「みんなそう言うんだよね……」

 ゼンはしょんぼりとしてベア・クローをなでると、御者台に出る扉をノックする音がした。チャンブレがそちらへ顔を向ける。

「どうしましたか?」

「はい。本当でしたらこの時刻には町に到着しているはずでしたが、盗賊のせいで遅くなってしまいました。町に到着するころには夕方になっているでしょう」

 チャンブレが腕時計を見る。文字盤は見つめていると目が回りそうなほど小さな歯車が無数にひしめきあっている。カリカリと音と時間を刻む時計は、すでに正午をとっくにすぎていた。

「たしかに。正午前には町に到着して休憩後、次の町に行くはずでした」

「はい。最初の目的地である二つめの町に行くには、夜通し走り続けても翌朝になるでしょう。ですので一旦ここで休憩して次の町で宿泊したほうがよろしいかと」

「そうですね。では馬車を停めて休憩しましょう」

 見通しの良い場所で一行は休憩をすることにした。開けた草原に思い思いに座る。

「ゼン様もどうぞ。保存食の肉の塩漬けとパンしかありませんが」

「わあ! ありがとうございます」

 貧しい旅人であるゼンにとって、肉は最高のごちそうだ。ゼンが携帯している食料といえば、パンを叩いたうえで保存のため固く焼いたようなものと、途中の村で買った数個の果物だけ。旅立った当初は村の人たちからの餞別のおかげで味のある食事ができたが、さすがに一月近く旅をすると無くなってしまった。

 チャンブレは塩漬け肉を串に刺し火で炙ったものをドノヴァーとゼンにわたす。焦げ目がついてジュウジュウと肉汁を垂らす姿と匂いは、胃袋を刺激して唾があふれる。

「いただきます! あー、おいしい!」

 ゼンはガツガツとうまそうに食べるが、ドノヴァーは一口食べると、顔をしかめて舌を出す。良いものばかり食べていた少年にとっては塩辛すぎるらしい。

「……しょっぱい。他にないの……」

「すいません。保存食になりそうなものが、あの町にはこれしかありませんでしたので……」

 その様子を見てゼンはパンと手を叩く。

「そうだ。肉が辛いのだったら、甘い飲み物と一緒になら食べられるんじゃない? ちょっと取ってくるね」

 そう言うとゼンは馬車へと走っていくと、一本の瓶を抱えて戻ってきた。

「これは故郷の飲み物で、すごく甘くておいしいんだ。子供たちや甘いものが好きなひとは大好きなんだよ」

 木杯に瓶の中身をそそぐ。それは蜂蜜色をしていて少しとろみがある。

「たしかに甘いにおいがしますな。これは色といい、蜂蜜が混ざっているのですね」

「……おいしそう」

「それじゃあ、カンパーイ!」

 三人は杯をぶつけると、一斉に飲んだ。


「「ブフォー!!」」


 ドノヴァーとチャンブレは盛大に口から吹いた。

「熱い! のどが熱いよぉっ!」

「こ、これは、酒!?」

「ご、ごめんなさい。口に合いませんでした?」

 のどを押さえて転げまわるドノヴァーと、杯の中身を凝視するチャンブレ。離れた場所で休憩をしていた傭兵たちは、何事かとこちらを見ている。

「く、口に合う合わないとか、そういう問題じゃないよぉ……何なのこれ?」

「村でよく飲まれているお酒を蜂蜜酒で薄めたものなんだけど」

「蜂蜜酒で薄める? それは使い方が間違っているような気がしますが……」

 ゼンの国では普通に飲まれているウォッカの蜂蜜酒割りは、彼らにとって強すぎたらしい。蜂蜜酒がどれだけ多くても、ウォッカのアルコール度数が高すぎるのだ。なにしろウォッカの原酒は燃えるのだから。

「残念だなあ」

 ゼンはそう言いながら、軽々と一杯を飲み干す。さらにもう一杯。

「そうだ。傭兵さんたちなら」

「やめてください! 護衛どころじゃなくなってしまいます!」

「そうかなあ。みんな仕事前に飲んだりしてたけど」

 それは彼らが酒に強いというのもあるだろう。しかしそれには切羽詰った理由も他にあった。真冬の雪が降る山中では、ウォッカを飲まないと凍えてしまうのだ。

「……」

「どうしました、ドノヴァー様?」

 じっと木杯を見つめていたかと思うと、一気にドノヴァーは中身を飲み干した。

「ド、ドノヴァー様!?」

「……ぷはあ! なんだ、慣れたらおいしいね。この肉も十分食べられるよ!」

 一口食べて断念していた塩漬け肉を、ドノヴァーはペロリと平らげる。その目は焦点が定まっておらず、充血して赤い。顔も同じように赤い。完全に酔っ払っていた。

「あははは。ゼン、もう一杯!」

「いいよ。まだいっぱいあるから、どんどん飲んで」

「やめてくださーい!」

 草原にチャンブレの悲鳴が響きわたる。

 次の日の朝、ドノヴァーは見事に二日酔いだった。

「うえっぷ……」

「大丈夫? 二日酔いにはむかえ酒が……」

「やめてください! やめてください!」

 大事なことなのでチャンブレは二回言った。

「あ……オロロロロ…………」

「ドノヴァー様あーっ!」

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