5話 視線

黎は返事にまどう。

彼も、ただ自己紹介をするだけでよいとは分かっているのだが、あまりの美しさに、言葉の何もかもを奪われた。


「はじめまして、竹田黎と申します……」


やがて練られた言葉は、簡素な挨拶と、名前のみであった。


反射的に、視線が横へとずれる。

このままでは、意識までもが根こそぎ奪われる、と感じたからであった。


すると、藍梨はのぞきこむように、顔を近づけた。


再び視線がぶつかる。

えっ……と、声がもれて、黎は吃驚きっきょうする。


そのとき、藍梨の顔は涼しく凝結ぎょうけつしていた。

元の通りに、笑顔は無くなっている。


……やがて、その視線の当たり具合の悪さを感じ、黎は再び顔を背けた。

しかし、それでもなお、藍梨は構わずに黎の視線を真っ向から捉えようとしている。


「…………」


ただ静かに、凝視ぎょうしされる。


黎は諦めた。

何度視線を外そうと、直視されるであろうことは理解したため、意識は離すまいと意識に働きかけながら、彼女の視線に耐えることにしたのである。


……とはいえやはり、美しい。

口角が上がっていくのには気付かず、黎も藍梨を見据えた。


……近くで見ると、その瞳はある種の芸術のように思えた。

というのは、深く青みがかった藍梨の瞳が、水晶のように透き通って見えたのである。


……そのとき、あやうく意識が捕らわれるところであった。

その瞳のさらに奥を覗こうとしたところで、藍梨が口を開いたのであった。


「なるほど、君はイケメンなんだな。でも、イケメンは真っ先に食われがちだ。気をつけろよ。私は、妖怪からなら君を守ることはできるが、強情ごうじょうな女から守ることはできないから、そこだけは自分でなんとか落ち着かせてくれ」


からかうような口調だが、顔は一切笑いの形を作っていない。

その顔は、いまだ涼しい。


笑うべきなのかどうか、黎は曖昧にしか判断できなかった。

小さく笑うという判断を取ったのだが、気まずいのに変わりはない。


……無言の重々しさが広がる。

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