第2話

 駐車場はまるで慌しかった。救急車の赤色灯がそれを物語っていた。

「百帆子!百帆子!」

 担架に乗せられて救急車に運び込まれるジャージ姿の死島に、父の芳路が幾度と無く呼びかけている。隣にいる母の真弓も目に泪を浮かべていた。先程までお好み焼きを嗜んでいたであろう数々の常連客も歯に青海苔を付けながら心配そうに事の成り行きを見ていた。マヨネーズが髪に付着した者もいた。

「うそやんっ!あれ私やん!」

 死島はわけがわからないといった表情で立ち尽くしていた。

「あれはお主の抜け殻じゃ」

 いつの間にか足元にモーラが鎮座していた。遠くを見るような目のその顔はいつになく険しかった。

「えっ!私、死んどるんっ!?」

「いや、死んではおらん、意識を失っているだけじゃ」

「どういうことなん!私どうなっとるん!?」

 モーラは立ち上がると死島に背を向け、蠟細工の入ったショーケースの角で爪を研ぎながら言った。

「お主も鈍いのう…お主は意識そのものじゃ。向こうに居る百帆子の意識が今の透明なお主といったら分かるかのう」

「全然わからんのやけど?」

「ではお主は今肉体と精神が分離した状態だといったら分かるか?」

 爪を研ぎ終え満足したかのように伸びをするモーラの言葉に死島ははっとしたように息を呑んだ。

「お主はあの肉体の精神…つまり心そのものじゃ。あの肉体を動かしている」

 モーラは平然と言った。

「じゃあ、私は今二つに分離してるってことなん?」

「まぁ、そういうことになるかの。ただ、この状況は長く続かない。お主が何もアクションを起こさなければ、あの抜け殻は植物人間になるか、そのまま死に至る」

「えっ!」

「お主、昔ワシに言ってたのう。ワシを抱きながら。人生つまらない、何も生きがいが無いと。このまま楽に死ねればどんなにいいかと。泪を浮かべてワシにそう言った。ワシはお主のすべてを知っておる。だから逆にチャンスではないのかの?このまま放置しておけばいいんだからの」

 死島は思い出した。悲しいとき、悔しいとき、辛いとき。側にいたモーラに自分のそのときの思いを独り言のように呟いていたのを。そしてその殆どが、自分のマイナス感情であったことも。モーラは知っている。自分の本当の心を。誰も気付く事のない自分の気持ちを…

「そか、このままにしておけば私は自然といなくなれるんか…」

 死島が乗った救急車に父と母が乗り込み、ハッチが閉められるのを見ながら言った。

「お主の肉体は、、だがな…それでもよいならこのまま事の流れを見てればいい」

「えっ?どういうこと?」

「いいか、お主はあの体の精神なのじゃ。肉体がこの世から消えるだけの事だ。だが精神は違う。このままこの世界に居残り続ける」

「えぇっ!それって霊って事!」

「そうとも言えるの。つまり、お主の身体が植物人間、或いは死に至ったとしても、意識だけは残り続けている。ということは何を意味するか分かるかね?お主が居なくなった世界を精神であるお主は嫌でも覗いていかないといけない」

 死島はぞっとした。自分がいなくなっても世の中は動いている。そしてそれは同時に父と母の悲しい人生を垣間見ることを意味する。何も触れられず、声すら届かず、その後の世界を今のようにずっと眺めている…

「そんなん嫌や!嫌や!嫌や!」

 死島は気が狂ったように絶叫した。

「理解できたようじゃの」

「こんなん嫌や!モーラ、どうしたらええのん私? さっき言ってたアクションを起こせばええのん?」

「解決策はただ一つ、お主があの肉体に入り込めばいい」

 救急車が大きなサイレンを鳴らして発進した。死島の肉体が離れていく。

「急げ!急がんと間に合わんぞ!」

 モーラが慌てるように言った。

「でも、もう間に合わへん。あんなに遠くにいってもうた」

「まだ目に入るうちは間に合う。お主は精神だ。障害物はいくらでもすり抜けられる」

「でも歩く速度は変わらへんやん。こんなん走っても無理やわ」

「大丈夫だ。呪文がある」

「呪文?」

「これからわしが教える呪文を唱えればお主は空中移動できる。しかも猛スピードじゃ。その勢いのまま救急車を追いかけてとりあえず中に入れ!」

「ほんまっ!早よ教えて!!」

 死島はモーラから教わった呪文を唱えた。

『鼻くそほじってピンっ!』

 刹那、死島は浮遊し、救急車と逆の方向へ猛スピードで飛んでいった。

「ばか者!救急車はあっちだ!」

 モーラの声が聞こえた。どうやら離れていても彼のメッセージは届くようだ。

「ど、どうすればええのん?」

「これを唱えれば一回転して逆向きにできる!」

 死島は大きな声で教えられた呪文を唱えた。

『ごちそうさまでしたっ!!!!』

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