くびれおに
壱
息苦しい。
喉に何かがつまるような息苦しさ。
息ができない。
苦しい。
僕は必死に空気をその肺に取り込もうとあがく。
開いた口。
瞬間、大量の空気を取り込もうと吸ったとき、
「……はっ!!」
目の前が真っ白になった。
徐々に晴れる視界のぼやけと比例するかのように、
僕は呼吸のスピードを落ち着かせていく。
そこは病室だった。
消毒液の匂いが鼻孔を刺激し始める。
「悠乃、大丈夫か?」
少し懐かしい声。振り向くその先には、心配そうな面持ちでこちらを見つめる天音と白夜さんの姿があった。
「天音……白夜さん……」
放心した。
現状が読み込めなかった。奔流のように思考が飲まれ、僕は出すべき言葉を引きずり出そうともがく。
整理しよう。
騒ぐ心を落ち着かせ、大きく吸った空気を一気に吐き出した。
ここは病室。入院していた病室の病室だ。
そして僕はベットで目を覚ました。どうやら気絶していたらしい。
「お前、トイレでぶっ倒れてたって聞いたけど、何かあったのか?」
トイレ、倒れる……。
走馬灯のようにそのときの情景が脳内を駆け巡る。
真っ赤な髪に、燃えるような業火の瞳。
鏡に反射する僕の姿が、まるで今の僕を嘲笑うかのように見つめていた。
はっとする。
思わず自信の手を確認した。
そこには何の変鉄もない僕の手が置いてある。
まぎれもない、普通の人間の手だ。『鬼神』のような、爪が延びきり、野太い人間離れした手ではない。
「……いや、大丈夫。ちょっと立ちくらみがして」
「そっか。まああんなことがあった後じゃ、立ちくらみの一つくらいあるわな」
僕は一旦安堵した。
先ほどまであの真っ赤な瞳が脳にこびりついて離れなかったが、今の天音の様子から、僕の姿はいつも通りなのだろうと察する。
僕は視界に入る前髪を払いのけ、流れ出す一筋の汗を手の甲で拭った。
「悠乃さん」
突如呼ばれた僕の名前。
それと同時にハンカチが差し出される。
それは、見覚えのあるハンカチだった。
「これ、僕のハンカチ?」
それを受け取りつつ、不思議そうに凝視する。タグを見ると、そこには僕の名前が油性マジックで書かれてある。
「はい、悠乃さんが倒れたトイレに落ちてました。たぶん倒れた拍子に落としたのかと」
僕には癖があった。
それは自身の持ち物に名前を書くというもの。
それは小さい頃に身につけた習性。
お化けちゃんと呼ばれ、いじめられていた当時の話。
僕は持ち物をよく紛失した。
ただ、僕が無くしたわけではない。
僕が目を離した隙に誰かが、僕の持ち物を隠すのだ。
よくあるいじめの一つ。僕はその対抗策として、自身の持ち物には名前を書くという習性を身に着けた。
「ありがとう」
汗をぬぐう。
しかし、体を支配する熱気が一緒に拭われることはない。
火照る自身の熱を逃がすため、服の裾回りを持ち上げ空気を入れ込む。
「ところで悠乃。体の調子はどうだ?」
入り込む新鮮な空気が僕の火照った体を冷ましていく。
「ちょっとまだ頭が痛くなるときはあるけど……。特に問題ないかな」
「そっか、よかった。ま、倒れた件もあるし、今日はゆっくり休め。また、退院するタイミングで様子見にきてやるからよ」
気障なウインクも天音がすればかっこいい。返答をするように僕は笑いつつ手を上げる。
「長居してもあれなんで、お暇するわ。積もる話もあるだろうけど、それは悠乃が元気になってからな」
「私もこれで失礼致します。込み入った話はまた後日させていただきます」
――――お大事になさってください。
鈴のなるような、澄み切った声が耳に入るのを感じつつ、僕は二人を見送った。
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