拾弐
あたたかい。
肌をなでる、やわらかい温もり。
じんわりとした体温の上昇を感じ、僕は思わず寝返りを打つ。
頬に感じるのは布の温もり。
ふかふかしたそれに思わずにやけつつ、ほおずりしてしまう。
かすかに聞こえるのは鳥のさえずり。
聞きなれたその音に、なんとなく僕は安堵する。
――――今は、朝だろうか。
そんなことを考える。
――――ここは何処なんだろうか。
再び寝返りを一つ打つ。
――――あれから、どうなったんだっけ。
思考が、再び言葉を吐いた。
――――天音は?白夜さんも無事だろうか?
一回考え出すと止まらない。ぐるぐる言葉が回りだす。言葉が浮かんでは消えを繰り返し、僕の脳内が意識を取り戻していく。疑問という言葉たちがあふれ、脳が爆発しそうなその時に。
食器を置くような小さな音が、僕の鼓膜をかすかに揺らした。
「白夜、さん……?」
食器が揺れた音がした。
「……悠乃さん?」
見開かれた彼女の瞳と、僕のおぼろげな瞳が交錯した。
――――悠乃さん
再び呼ばれる僕の名前。
呼びかけたその主である彼女は、自身の瞳にためたたっぷりの滴を、花柄のレースのハンカチで静かに拭う。
「よかった……」
すすり泣く彼女を見つめ、ようやく思考が正常化してきた。
寝ていた体を起き上がらせる。
目の前にあるのは白いテーブル。ベット備え付けのものだ。
そこに置かれたお皿に乗っている、りんご、らしきものを眺める。
これは、うさぎりんご……かな。
可愛い可愛いうさぎちゃん、であろう物体に刻まれる複数の刺し跡。
刻印を刻まれたようなうさぎたちの悲惨な傷跡を凝視しつつ、僕は彼女の名前を静かによんだ。
「……色々、聞きたいことがあるんだ。いいかな?」
こぼれる滴を拭い去り、彼女は顔を上げた。
視線が、まっすぐに僕の瞳を捉える。
「はい。なんなりとお聞きください」
涙で少し腫れた目がちょっと可愛かった。
♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎
ここは市内のとある病院。
あのあと、気を取り戻した彼女は、倒れて気絶している僕と天音を発見。
彼女の電話によって呼ばれた救急隊員により、僕たちはこの病院へ運ばれた。
2人とも目立った外傷もなく、命に別状はなかった。しかし、目を覚ます気配がまったくない。自宅に帰す案もあったが、天音はともかく僕は一人暮らしだ。何かあってからでは遅いということで、念のためではあるが入院するのが妥当だと判断されたらしい。
「そっか」
あれから一週間が経っていた。
天音はぼくより一足先に目が覚めていたようで、すでに退院している。
今日は二人で僕のお見舞いにくる予定だったそうなのだが、天音は野暮用が入ったので、遅れて来るとのことだった。
彼女の話を聞き終え、その後、思案する。
――――外傷がない。
その一言が引っかかったからだ。
おかしな話だった。
確かに天音には鬼神を浄化させるために、ありったけの気を送り込んでいる。
それが癒しの作用を持ち、彼の怪我を治した可能性は十分にあった。
しかし、僕自信は別だ。
あのとき、確かに僕は怪我をしていた。
それも、肩を抉られるという大きな怪我だ。
僕には人の外傷を癒す『ヒーリング』という力がある。
しかし、それはあくまで他人のものだけ。自分の怪我は癒せない。
あのとき自身に行っていたのは、あくまで血を止め、痛みを和らげる程度のいわば応急処置。あれほどの自傷を跡形もなく癒すほどのパワーなど、今の僕は持ち合わせていなかった。
「悠乃さん?」
白夜さんの声により、我に返る。
心配そうな面持ちでこちらを見る彼女に、
「ごめん、ごめん。何でもない」
笑顔を作り、場を取り繕う。
これ以上心配をかけるわけにはいかない。
何とか話題を変えようと、僕は周囲に視線を向けようとした。
ふと、彼女の指に目が行く。
しなやかな細い彼女の指には、いくつもの絆創膏が巻かれていた。
「それ、どうしたの?」
「え?」
僕は自分の手を前に出し、自身の指を指し示す。
彼女は僕の動作を確認したあと、頭上に疑問符を浮かべる。少しの間の後、自分の手を見つめる。はっとしたように慌てた様子で両手を背後に隠し、彼女は恥ずかしそうに俯いた。
僕は首を傾げる。
「こ、これは、その……!私、不器用なので、リンゴが……」
ああ。包丁で切っちゃったのね。
一瞬で察した。
「……申し訳ありません」
しゅん。
そんな擬音が目に見えたかのように、彼女は泣きそうな顔で伏し目になる。
「手、かして」
僕の『ヒーリング』ならば、この程度の傷はすぐに治せるだろう。
そう思った僕は、彼女の手をやさしく取る。
やわらかい、女の子の肌の感触。彼女の体温がじんわりと伝わってくるのを感じつつ、僕は自身の気を掌に集中させた。
数秒後、違和感を感じた。
それはいつもと違う感覚。いつもは自信の内に渦巻く光の奔流を感じ取れるのだが、今回はそれが出来ない。
気が使えない。
――――何で?
再び、気を込める。いつもと同じ要領で。いつもと同じ感覚で。
しかし、結果は同じだった。
――――力が使えない。
「あ、ああああああのあの、悠乃さん?」
「はい?」
彼女の顔を見る。
なぜか、口をぱくぱくさせている彼女に疑問を抱いた。
「てっ、手!あの手を……離して、いただけると……」
「あ」
考え事に夢中になっていた僕は、ずっと彼女の手を握っていた。
「ご、ごめん!」
頬がほてり、身体が熱くなる。
恥ずかしい。
高鳴る鼓動、むずがゆい背中に緊張の汗が一筋垂れた。
逃げる。ここは逃げるしかない。
「ぼ、僕、お手洗いに行ってくるね!」
僕はこれ以上彼女の顔も見れず、思わず席を外す。
ちょっと落ち着こう。
歩きつつ深呼吸を一回。
僕は、とくに行きたくもないお手洗いへと急ぎ足で向かった。
♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎
「はあ」
知らず知らず漏れでる溜息。
なんとなく出した水に手をさらしつつ、僕は深く俯いた。
僕以外には誰もいない、静かな空間。
頭上にある蛍光灯が鈍い光を放ちつつ、一定のリズムで点滅を繰り返している。
錆の目立つ手洗い器を見つめつつ、僕は再度深いため息をついた。
――――何やってるんだ僕は。
先ほどの出来事を反芻し、反省。
彼女のあの焦り顔を思い返し、嫌われたかなと自己嫌悪に陥る。
蛇口を締め、濡れた手を開いては閉じてを繰り返す。
零れ落ちる水滴をとどめることなく、僕はただただ自身の手をぼんやりと見つめていた。
何で力が使えなかったのか。理由が分からない。
いつもは感じる、腹の底から吹き出る源泉のようなエネルギーの熱さをまったく感じない。空気をかくような虚無を思わせるその感覚は、僕の霊力が干からびたことを示唆しているように感じた。
霊力が無くなる。
それは、僕にとっていいことなのだろうか。
思考を巡らした。
――――不思議な力がある。
小さいころ、僕はいじめられていた。
当然だ。僕は『お化けちゃん』だったから。
よく一人で泣いていた。何でこんな力があるのだと。
こんな力があるから仲間外れにされる。
こんな力があるから皆から不気味がられる。
こんな力があるからいじめられる。
何で僕だけがこんな目に。
僕は自分の力が大嫌いだった。
だから、うらやましかった。周りの子供たちが。
幽霊は見えない。不思議な力もない。幽霊に話しかけるという、周囲から見れば奇行としか言いようがない行動をとることもない。
普通の毎日を暮らす皆が、とてもとてもうらやましかった。
一時期、僕は不登校になりそうな時期があった。
人に会わなければ傷つくこともない。
自室に一生引きこもって、外との関わりを一切断ち切って過ごそう。
それが一番自分のためになる。
その時期の僕は本気でそう思っていた。
しかし、転機があった。
『おまえ、すげえな!!』
たった一言。このたった一言が僕の人生を救った。この一言で、僕は自分の力を少し好きになれた。この一言がなかったら、今の僕はなかった。
僕は、この言葉のおかげで自分の力と向き合う機会を得たのだ。
今では、多少自分の力がコントロール出来るようになってきている。
小さいころのような失敗も、今ではほぼ無い。
自分の力についても、昔の様な嫌悪感は最近感じない。
――――しかし、正直なところ、普通の人として過ごしてみたいという思いは、無くはなかった。
そう思うのは、過去の経験から芽生えたトラウマのせいなのか。
それとも、単なる興味本位からの思いなのか。それはわからない。
しかし、どうしてもその願望が捨てきれない自分がいる。それは確かなものだった。
そして、今まさにその願いが叶おうとしている。
これは、嬉しいこと……なのか。
いまいち整理できていない。
頭を空っぽにするように、軽く左右に振る。
そもそも、まだ力がなくなったと決まったわけではない。あれほど霊力を消費したのだ。使えないのは今だけという可能性も十分に考えられる。
すぐに答えはでないだろう。
この問題は、成り行きをみるしかない。考えるのは後にしよう。
頬を叩いた。あふれ出る不安を叩き潰すように、思い切り自身の頬を両手で挟み込む。濡れていた掌はすでにほぼほぼ乾いていたが、先ほどまで水にさらされていた二つの掌は冷え切っている。
自身の掌による冷たい激励を感じるとともに、僕は下げていた視線を静かに上げた。
――――その瞬間。
「いたっ!!」
妙な痛みを脳に感じた。突然の頭痛に、思わず声を上げてしまう。
何だ?
そう考えて間もなく、再び同様の痛みが僕の脳内を襲った。
ずき、すき、ずき。
それはまるで僕の鼓動と同調するかのように、脳内を一定のリズムで駆け巡る。
ずき、すき、ずき。
「うぅ……」
無意識に呻いてしまう。
最初は大したことのない痛みが、加速度的にその痛みの段階を上げていく。
痛い、痛い、痛い!!
つい叫びそうになる。しかし、無理やりに唇を噛み締め、ひたすらに堪える。
しかし、その抵抗をあざ笑うかのように、痛みはどんどん増していく。
だめだ、堪えられない!!
口の中に鉄の味が広がった。
口元からこぼれる自身の血が、洗面器の枠を赤く染めていく。
やばい!!
悲鳴を上げそうになった、
「もう、だめ……無理……!!」
その時だった。
「……あれ?」
痛みが、消えた。
それは一瞬の出来事。
まるで煙のように音もなく消失した痛みに、僕はほっと安堵する。
何か、今日は変な日だ。
先ほどの痛みにくらくら揺れる頭を抱え、僕は踵を返した。
「戻って寝よう」
洗面台の上に設置されている鏡。
それが振り向きざまに、ふと視界の端っこをかすめた。
――――ん?
思わず立ち止まり、鏡の正面に立った後、ゆっくりと目の前のそれをのぞき込む。
頭上の点滅する蛍光灯の光が鏡に反射し、僕の瞳に差し込んだ。
鏡とは、光の反射を利用して顔や姿をうつして見る道具。
つまり、今鏡に映っているのは僕。
――――いや、違う。
汗が額から垂れてくる。
――――これは僕じゃない。
僕はこんな目をしてない。
「あ、あ……」
――――これは、僕じゃない。
髪の毛の色も、こんな派手な色じゃない。
「うえ……」
――――僕じゃない。
耳だってこんなとんがってないし……
――――僕じゃない。僕じゃない。僕じゃない。
こんな、きばだって、はえて……
景色が歪んだ。
色が消えた。
何も聞こえない。
何も見たくない。
あるのは口の中にある、鉄の味。鉄の味だけ。
「ああああああああああああああああ!!!!!!」
消えゆく視界の中、僕は見た。
鏡に反射する、紅い光。
それは、まるで業火のように真っ赤に燃えている。
ひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっ
灼熱色に紅く光るそれは、まぎれもなく僕の瞳だった。
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