拾
全神経が逆立つ。
沸き立つ悪寒。鳥肌がまるで体内から吹き出るかのように、寒々とした悪寒に僕は全身を震わせた。
「くっ!!」
間髪入れずに。
風を切る、甲高い音が耳をかすめた。
その瞬間、鬼神の左腕がはじけて飛ぶ。
丸太のように太いその腕は、きれいな弧を描き、地面に落ちた。
黒々しく光るそれは、肉が腐ったように表面がとけ出す。
数秒後、その左腕は空気に浄化するかの如く消滅し、
「ぐがあああああああああ!!!!」
けたたましい絶叫が僕たちの耳をつんざいた。
思わず耳をふさぐ。
しかし、怪我をしている方は肩が上がらないため、片耳だけをふさぐ形だ。
耳障りなその怒声に顔をしかめつつ、先ほど鬼神の左腕が消滅した場所に僕は目をやった。
そこに、あのおぞましい物体の跡形はない。
代わりに存在したのは、布。
ぼろぼろに破れている一切れの布が静かに横たわっている。
まぎれもない。
あれは、僕たちの学校の制服。
その、切れ端だった。
「天音……!!」
僕は目を閉じる。
全ての感覚を瞳に集めるように、静かに静かに深呼吸。
全身の感覚を針のように尖らせ、閉じた目の中で鬼神を射抜くように気を張り巡らせた。
邪悪な気。
それを纏うかのように佇む鼓動を、僕は確かに察知した。
あの巨体の中心。
人型の何かが苦しそうに頭を抱えており、その姿は黒く、ひたすら黒く染められている。
僕は確信した。
天音が憑りつかれている、と。
「白夜さん!」
「は、はい!」
彼女は驚いたような語勢で返答。
顔だけは鬼神に向けつつ、僕に背中で問いかける。
「天音が―――――」
憑りつかれている。
その言葉を言い切る前に、
「ぐ、がががががああああああああああああああああ!!」
大気が振動した。
室内の棚、ベット、机。あらゆるものが一斉に吹き飛んだ。
それはまるで暴風雨。
集約された突風。
風圧による衝撃に、ガラスははじけ、床が砕けた。
「きゃっ!!」
かすかな悲鳴。
同時に、背中に衝撃。
「かはっ……!!」
息が止まる。
体内の空気がキックバックされるように口から漏れ出した。
「白夜、さん……」
何とか呼吸を整え、彼女に呼びかける。
しかし、返事はない。
僕の隣でぐったりと目をつむる彼女は、額から血を流した状態で割れた棚に背中を預けていた。
彼女の血で作られた血だまりに手をつく。
治さなきゃ……。
朦朧とする頭の中、その言葉だけが瞬いた。
彼女だけでも。
僕の腕が、ゆっくりと彼女のほうへ伸びる。
掌に宿る、大きな光。淡く、温かい、ぼやけた光。
瞬間、まるで光に力を吸い取られるように意識を失いかけるも、歯を食いしばり耐える。
僕は、淡く光るその手を、気絶している彼女にかざした。
「ぎ、ぎひひ、ぎひひひっひっひっひっひ」
重く、低く、かすれ、かつざらつくような重低音が耳に触れる。
足音が鳴り響く。大きな大きな足音だ。
その矛先は当然僕たち。
もう、だめか。
今にも途切れそうな意識の中、僕は思わず視界を閉じた。
――――乃
声が聞こえた、気がした。
――――悠乃
妙に懐かしい声が僕の胸の中心に反響する。
突然の感覚に、全身の運動神経が意識を失った。
今、ここに在るのは心だけ。
精神世界、とでもいうのだろうか。
全ての物質が五感から消えうせ、僕の思いの塊だけが抽出された世界。
――――悠乃、すまん。
心に直接響くその声は、どこか物悲しそうにこだました。
突然、全てがまっしろになる。
深く、深く眠っていた僕の感覚はゆっくりとその意識を取りもどし、周囲の気配を認識できるようになる。
霞んだ視界が、徐々に開けてくるとともに。
「天音……」
真っ先に飛び込んできたのは、自身の右腕に胸を貫かれた鬼神の姿だった。
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