捌
「失礼します」
彼女は僕を押しのけるように保健室へ入ってくる。
少し周囲を見渡した後、ゆっくりと天音へ視線を向けた。
「白夜さん、どうしたの?」
僕は彼女の後ろから問いかけた。
「……」
返答はない。
ベージュ色の床タイルの継ぎ目に沿うように、彼女は音もなく歩き出した。
部屋の窓から夕陽の線が差し込む。オレンジに輝くそれは、床のタイルに反射し、雪を思わせるような彼女の白い足が、橙色に着色された。
彼女は天音の前で歩みを止める。
ゆっくりと彼に向って差し出されたのは、小さな握りこぶし。
不思議と、僕たちの視線はそこに集約された。
時が止まったかのように。空気が冷たく張り詰めた瞬間を感じる。
ゆっくりと解かれる彼女の掌を見つめ。
そこに収まる小さな石を確認したその刹那、僕は地面を蹴り出した。
「待って!!」
咄嗟に2人の間に割り込む。
僕は天音をかばうように仁王立ちし、白夜さんと相対した。
「……悠乃さん。どいていただけませんか?」
白夜さんは俯いたまま、つぶやいた。
小さな声だ。耳をすまさなければ聞き逃してしまうほどの小さな声。
しかし、僕は感じていた。
「いやだ」
そこに含まれる明確な敵意を。
彼女は顔を上げない。
代わりと言わんばかりに向けられたのは、彼女の細い華奢な右腕。
拳を縦にした状態で、手に持つ小石が人差し指の上部へセットされる。
小石背部に置かれた親指の先が、今にもそれを打ち出さんと僕たちを威嚇した。
「ま、待ってよ白夜さん!事情を教えてもらえないかな?」
僕の問いかけに、白夜さんは首を振り応答する。
聞く耳もたん。そういうことだろうか。
――――悠乃
背後から天音の呼びかけが聞こえてくる。
ベットの軋む音が聞こえた。
「天音。動かないで」
動き出そうとする彼の気配を感じたため、それを静止させる。
白夜さんの指先はこちらに向けられたままだ。
今下手に動けば、天音は白夜さんに撃ち抜かれるだろう。
「白夜さん。何でこんなことするの?」
口をついて出た疑問。
それはとても単純なものだった。
現状からすると、先ほど外で天音を襲った犯人は彼女だろう。
天音の左手を打ち抜いたものも、彼女が今僕たちへ向けているものと同様に小石だった。
何故。
理由が知りたい。
その一心で出たその言葉に、彼女の返答は一切なかった。
「白夜さん?」
と、いうより微動だにしない。
僕は不思議に思い呼びかける。
ぴくりとも動かず、顔を俯かせる彼女。
思いがけず、僕はこちらに向けられる彼女の手に触れた。
「……っ!!!!」
その瞬間、彼女は肩を跳ね上がらせた。
甲高い、声にならない彼女の声が僕の耳にこだまする。
咄嗟に向けられた彼女の目は、大きく見開かれていた。
それは驚きなのか。
後に、彼女は唇をきつく結び、慌てたように視線を僕からそらす。
彼女の瞳は大きく揺れていた。
動揺?なぜ?
夕陽色に染まる彼女の頬が、紅潮しているかのような錯覚を得る。
「悠乃さん……。よ、よらないで頂けますか」
僕から距離を取るように彼女は一歩後ずさる。
な、なんで?
彼女は自身の顔を左腕で覆い隠す。
それは僕に表情を見られないようにするためか。
向けられた銃口のような右腕も、彼女の揺れる視線のようにその矛先がぶれていた。
――――悠乃
そのとき、再び天音の声が背後から聞こえてきた。
どうしたの?
そう僕が返答する前に、背中に軽い衝撃があった。
これは、おでこか?
恐らく、天音が僕の背中へ頭を預けてきたのだろう。
彼の行動の意図が読めず、僕は一瞬間を置いた。
――――悠乃
再度、聞こえる彼の呼び声。
一体何なのか。
そう問いかけるべく、僕はゆっくりと口を開く。
視界の端に見えた、白夜さんの見開かれた瞳。
それが、とても印象的に僕の脳へ刻み込まれた。
「悠乃」
天音の小さな声が僕の耳へと反響する。
「逃げろ」
ひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっ
視界が、反転した。
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