「失礼します」



彼女は僕を押しのけるように保健室へ入ってくる。

少し周囲を見渡した後、ゆっくりと天音へ視線を向けた。



「白夜さん、どうしたの?」



僕は彼女の後ろから問いかけた。



「……」



返答はない。


ベージュ色の床タイルの継ぎ目に沿うように、彼女は音もなく歩き出した。

部屋の窓から夕陽の線が差し込む。オレンジに輝くそれは、床のタイルに反射し、雪を思わせるような彼女の白い足が、橙色に着色された。


彼女は天音の前で歩みを止める。

ゆっくりと彼に向って差し出されたのは、小さな握りこぶし。


不思議と、僕たちの視線はそこに集約された。

時が止まったかのように。空気が冷たく張り詰めた瞬間を感じる。


ゆっくりと解かれる彼女の掌を見つめ。


そこに収まる小さな石を確認したその刹那、僕は地面を蹴り出した。



「待って!!」



咄嗟に2人の間に割り込む。

僕は天音をかばうように仁王立ちし、白夜さんと相対した。



「……悠乃さん。どいていただけませんか?」



白夜さんは俯いたまま、つぶやいた。

小さな声だ。耳をすまさなければ聞き逃してしまうほどの小さな声。

しかし、僕は感じていた。



「いやだ」



そこに含まれる明確な敵意を。


彼女は顔を上げない。

代わりと言わんばかりに向けられたのは、彼女の細い華奢な右腕。

拳を縦にした状態で、手に持つ小石が人差し指の上部へセットされる。

小石背部に置かれた親指の先が、今にもそれを打ち出さんと僕たちを威嚇した。



「ま、待ってよ白夜さん!事情を教えてもらえないかな?」



僕の問いかけに、白夜さんは首を振り応答する。

聞く耳もたん。そういうことだろうか。



――――悠乃



背後から天音の呼びかけが聞こえてくる。

ベットの軋む音が聞こえた。



「天音。動かないで」



動き出そうとする彼の気配を感じたため、それを静止させる。

白夜さんの指先はこちらに向けられたままだ。

今下手に動けば、天音は白夜さんに撃ち抜かれるだろう。



「白夜さん。何でこんなことするの?」



口をついて出た疑問。

それはとても単純なものだった。


現状からすると、先ほど外で天音を襲った犯人は彼女だろう。

天音の左手を打ち抜いたものも、彼女が今僕たちへ向けているものと同様に小石だった。


何故。

理由が知りたい。


その一心で出たその言葉に、彼女の返答は一切なかった。



「白夜さん?」



と、いうより微動だにしない。

僕は不思議に思い呼びかける。


ぴくりとも動かず、顔を俯かせる彼女。

思いがけず、僕はこちらに向けられる彼女の手に触れた。



「……っ!!!!」



その瞬間、彼女は肩を跳ね上がらせた。

甲高い、声にならない彼女の声が僕の耳にこだまする。


咄嗟に向けられた彼女の目は、大きく見開かれていた。

それは驚きなのか。

後に、彼女は唇をきつく結び、慌てたように視線を僕からそらす。


彼女の瞳は大きく揺れていた。

動揺?なぜ?


夕陽色に染まる彼女の頬が、紅潮しているかのような錯覚を得る。



「悠乃さん……。よ、よらないで頂けますか」



僕から距離を取るように彼女は一歩後ずさる。


な、なんで?


彼女は自身の顔を左腕で覆い隠す。

それは僕に表情を見られないようにするためか。


向けられた銃口のような右腕も、彼女の揺れる視線のようにその矛先がぶれていた。



――――悠乃



そのとき、再び天音の声が背後から聞こえてきた。


どうしたの?


そう僕が返答する前に、背中に軽い衝撃があった。


これは、おでこか?


恐らく、天音が僕の背中へ頭を預けてきたのだろう。

彼の行動の意図が読めず、僕は一瞬間を置いた。



――――悠乃



再度、聞こえる彼の呼び声。

一体何なのか。

そう問いかけるべく、僕はゆっくりと口を開く。


視界の端に見えた、白夜さんの見開かれた瞳。

それが、とても印象的に僕の脳へ刻み込まれた。



「悠乃」



天音の小さな声が僕の耳へと反響する。



「逃げろ」



ひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっ



視界が、反転した。

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