弐
お化けちゃん。
そう呼ばれ始めたのはいつ頃だったか。
そんなことを、僕は走りながら考えていた。
きっかけがあった。お化けちゃんと言われるようになったきっかけが。
それは僕がまだ6歳、つまり小学生だった頃の話まで遡る。
『神名家』
僕が生まれた家系は、代々霊感が強い。
僕の母方の祖父、現在の神名家当主は陰陽道にも通ずる、日本でも指折りの霊能力者らしい。正直なところ、あまり面識はないので噂レベルだが……。
また、神名家の血筋である母親も霊感が強い。
今は、巫女として家の仕事に携わり、祖父の右腕として働いている。
僕はそんな霊能力者の家系の末裔である。
――――代々霊感が強い。
その言葉は、僕自身も例外ではない。
小さいころはとても大変だった。
何が大変かというと、普通の人間と幽霊との違いを認識することが出来ないことである。
僕は昔、中々活発な子供だった。見知らぬ人に人懐っこく笑いかけたり、話しかけたりしていたらしい。
これが普通の子供だったら何の問題もないだろう。ただただ微笑ましい限りだ。
しかし、僕の場合は違った。本当に洒落にならないのである。
僕の場合、見知らぬ人に笑いかけた際に、冥界へ連れていかれそうになったことがある。
どうやら一人で逝くのは寂しいと感じた霊が、自分に向けられた僕の笑顔を「一緒に逝ってあげるよ」という意味と勘違いしたそうだ。
その後、冥界へ逝かされそうになる僕を母親が引き戻し、僕を連れていこうとした霊の誤解を、巫女自慢のトーク力で解いたのだという。何そのコミュ力。
そう。こういった具合に、小さいころの僕は、普通の人間と幽霊との違いを認識することが出来なかったのだ。
小さいころの自分に伝えたい。
もう少し、自分の力について知っておくべきだったと。
♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎
あれは僕が小学1年生の頃、その事件は起こった。
入学したてのとある日の教室。
少し落ち着かない様子の僕は、辺りをキョロキョロと見渡していた。
無邪気な笑い声、叫び声が室内に響き渡る。
入学したてなのにも関わらず、周囲の子供達は既に打ち解け始めていた。
あるものは皆でお絵かき。
あるものは友達とおしゃべり。
あるものは室内で鬼ごっこ。
皆、楽しそうに各々の時間を満喫しているようだった。
そんな明るい雰囲気に乗り遅れた僕は、なんとなく面白くなさそうに机につっぷす。
その時だ。
不意に、妙な気配を背後から感じた。
僕はつっぷしていた身体を起き上がらせ、ゆっくりと振り返ってみる。
背後の気配を確かめるために。
教室、後方の隅っこ。掃除用具入れ手前。
少女が泣いていた。
一瞬ぼやけて見えたその風景に、目を細め焦点を無理やりに合わせ、再度しっかり確認する。
『……っう、ひっく』
やはり少女が、泣いていた。
体育座りの形で顔を自分の膝に埋め、嗚咽しているのが遠くから見て取れた。
今考えると明らかにおかしかった。
明るい教室にぽつりと存在する、小さいけど大きな違和感。
黄色一色のパレットに黒の絵の具を一滴だけ垂らした時のような、妙な異物感。
それを感じ取れなかったのは、このとき自分がまだ未熟だったからであろう。
僕はゆっくりと自席から立ち上がり、教室後方の掃除用具入れへゆっくりと向かう。
そして、
『どうしたの?どっか痛いの?』
僕は、思わずその少女に話し掛けてしまった。
『えっ……?』
その少女は驚いた様子で顔を上げた。
僕の顔を、泣きすぎで真っ赤になってしまっている瞳がじっと捉える。
その行為は、僕への訴えだったのだろう。
何で私が見えるの?
そのときの僕には伝わらなかったが。
『大丈夫?』
僕は再び少女に話しかけた。
すると――
『うわっ、何だこいつ!掃除用具に話しかけてるー!』
クラスメートの一人が僕の行動に気付いてしまった。
『ねぇー皆聞いてぇー!こいつ掃除用具入れに話しかけてるよー!』
そのクラスメートは、僕の行動をからかうかのごとく、クラス中に聞こえるくらいの声で叫んだ。
するとどうだ。
『えー、何それ』
『気持ちわるーい』
瞬く間に、僕はクラスメートの視線のターゲットになってしまった。
その得体の知れない物を見るような侮蔑を含んだ視線は、小学生にはきついものだったという。
そして、ここでようやく僕は気付いた。
自分の話し掛けた少女が幽霊だったということに。
『いや、あのここに女の子の霊が……』
言ってから、しまったと思った。
今の世の中そんなことを信じる人はいない。
ここに幽霊がいる。
そんなことを言ったら、あいつは変な奴だと後ろ指をさされ、白い目で見られる事も小学生ながらに理解もしていた。
けれど、咄嗟に出てしまった。
自分の見たものをそのまま口にしてしまった。
何か言わないと、そう思い、一番言ってはいけない事を言ってしまった。
『えぇー!ゆーれー!?何言ってるの!?』
『うわっ、何こいつ怖ぇー』
こんな風に馬鹿にされるのは分かっていたのに。
僕は何も言えずにそのままその場で立ち尽くした。
悔しさに握りこぶしを震わせながら。
♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎
どのくらいの時間、馬鹿にされたろうか。
よく分からない。が、昔の僕にはとてつもなく長く感じた。
そんな時だった。
クラスメートのとある男の子。
その子がこんなことを言ったのは。
『ゆーれーなんか俺が退治してやるよ!』
幼いながらの純真な正義感。
それは時として、とても残酷なものに成り代わるものだ。
『おりゃー、しねー!』
嘲た叫び声が僕の耳の鼓膜を揺らした。
男の子はどこかのヒーローのようなポーズを取ったあと、掃除用具前あたりに蹴りを繰り出す。
『いやっ!やめてよぉ……』
少女のか細い声が聞こえた。
少女が声を上げた理由。
それはもちろん、男の子の蹴りが当たったからではない。
霊に物理的な攻撃など当たるはずがない。
では、少女が声を上げた理由は何なのか。
『おらー!』
『いやっ……!』
それは、男の子の「敵意」が少女を傷つけているからである。
霊とはいわば「想い」の塊。
霊が一般的にネガティブな感情を好むとされているのは、霊がネガティブな「想い」から形成されている場合が多いからである。
そして、「感情を好む」ということは、感情は霊に少なからず影響を与えるということも意味している。
ここでは男の子の明確な敵意が、少女に干渉してしまっている。
だから少女は声を上げているのだろう。
『やだよ、何で……?』
か細く、震えた小さな声が聞こえる。
『なんで、みんな私を虐めるの……?』
もちろん聞こえたのは僕にだけ。
男の子は気付くそぶりさえみせていない。
しかし、そんな声が聞こえても僕の足は動かなかった。
これ以上変な目で見られたら、そんな考えが浮かんでくるだけ。
僕の足は、まるで地面に根を生やしたように張り付き、ぴくりとも動かなかった。
そして、
『よしっ!』
男の子は自分の傍にあった椅子を勢いよく掴む。
『これで……』
それを両手で自分の体より上に持ち上げ、
『終わりだー!』
振り下ろす――
『や、やめろぉ!!』
その瞬間、僕の足が動いた。
僕は少女と男の子の間へ入り込み、振り下ろされる椅子に両手でつかみかかる。
椅子は思い切り宙を舞い、そのまま地面に音を立てて落ちた。
『な、何するんだよ!』
男の子は声を荒げるが、僕は臆さなかった。
皆に嫌われることより、目の前の少女を助けたいと思ってしまったから。
『それはこっちの台詞だ!幽霊だからって女の子を泣かすな!』
そこからは僕と男の子との殴るわ蹴るわの大乱闘。
その騒ぎ事態は様子を聞き付けた先生によって収められた。
が、しかしこれにより僕の名前は一躍有名になってしまった。
お化けを庇った男の子がいる。
そんな噂が学校中に流れ、いつしか僕はこう呼ばれることになった。
――――お化けちゃん。
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