失せ物ななつ、往路に劈け。

ひととせとじるもの

 ひととせとじるもの


 桜の葉が枯れかけている。

 今週に入って気温は急に冷え込んだ。ほんの二、三ヶ月前は大きな緑色の葉を瑞々しく広げていたのに、茶色に変色させて地面に落としている。空は青く遠く透き通り、小さな雲を並べていた。ああ、あれを鱗雲というのだったかなあと、迷路は思い出す。きっとこの桜が満開に咲いていたなら、散った花びらが空に吸い込まれていたのだろうな。迷路は柄にもなくそんなことを考えた。

 ふと、疑問を覚えて。

「隘路、隘路」

 その深緑の袖を引く。隣で迷路と同じように顎を上げて葉の落ちた桜の木を見ていた彼は、いつもと変わりなく目のみを動かして迷路をちらと見た。

「桜はなぜ咲く時葉がないのですか」

「む」

 隘路の目はいつも閉じられている瞼の中にひそめられていて滅多に見ることができない。その色を、その赤紫を感じることはできたとしても、その先が見えない。どんなふうにその瞳を睫毛が彩るのか、見開いた時の瞳は何を映すのか、全くわからない。だから迷路が真っ直ぐ真っ直ぐ真っ直ぐに、見開き見上げ映したとしても隘路にそれがそう映っているのか、迷路にはとんとわからない。

 桜の木は美しい。その樹液で染めた着物は淡い桃色になるという。その蜜を吸いに小鳥が集うのだという。啄んだ傷からぽきりと折れて、桜の花は椿のように首を落とす。俯せに道路に浮かんだ花は赤い星に似て、夜空を思わせる。花は美しく様は愛らしく、寿命は人と同じだという。仙人天女も降り立つと言われるほどに神秘を感じさせる。なんという生き物だろう。

そもそもが、間違うている」

「そもそも」

「葉がついた後に花が咲くのではない、順序が逆よ」

「順序」

 こてりと迷路は首を倒す。ああ、と隘路は首肯する。

「花が咲いた後に、葉がつくのよ」

「花が」

「どの植物とて同じ事。言うであろ、春に咲くにあらず、春に散って一年ひととせ閉じるもの」

 そうかあ、

 そうなのかあ。

 迷路は、はあ、と、曖昧に頷く。

「隘路、隘路」

「隘路は一回」

「隘路」

「なんぞ」

「この木は、今、さなぎなのですね」

 隘路は先ほどの迷路の行動を反芻するように、うん、と、曖昧に頷いた。

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