窓枠

 見える、見えない、見える、見えない。

 見えない、見える、見えない、見える。

 この藍色が見ているものは、この世に存在しているのに、他の誰かには見えていないものなのだろう。

 見える、見えない、見える、見えない。

 見えない、見える、見えない、見える。

 この藍色が見ているものは、誰かにとっては理解できないもので、誰かにとっては気味の悪いもので、誰かにとっては馬鹿馬鹿しいものなのだろう。

 見える、見える、見える、見えない。

 見えない、見えない、見えない、見えない。

 僕が見えないもの。

 僕を見てないもの。

 石段が重なる急勾配、灰色の亀裂を残月が冷ややかに見下ろす。犬の咆哮がこだまする。権現様は御顔を隠し、あたりは低い低い黒の世界だ。ぽつ、ぽつ。針で穴を開けたかのような光の点が浮かぶ。固く踏んだ足の裏で砂利が軋む。蹴ったかかとの後ろをやけにふさふさとした尾の小ぶりな猫が通り過ぎていった。ああいたち、と呟く。やれ、やれ、そう真似て口ずさめば、胸のあたりがふわりとあたたかくなる。

 見える、見える、見える、見える。

 あれから––––––

 いろんなことを、学んでいる。

 休みの日は隘路に持ってきてもらった本を読む。気が向けば隘路とどこかに歩きに行く。平日は学校に居残って、できる限りの時間まで学校の図書館の本を読み漁る。節操なく、目につくもの、図書館の本棚、端から端まで、何もかも。図鑑、辞典、それに評論、もちろん物語。馴染むもの、馴染まないもの。理解できないものはなるほどと首を縦に振り、同調するものはやはりと本の角を撫でる。

 そうするようになってから、気がついたことがある。

 この藍色の見ている世界の中には、藍色でない人の見ているものも含まれている、ということだ。そしてまた、どうやら。

 ほんとうに、ぼくはおかしいらしい。

 何が厄介かというのは、この藍色にはどれが他の人も見えるもので、どれが藍色にしか映せないものなのかの判断がつかないことなのだ。例えば、先ほどの鼬は尻尾が三日月のような形をしていて、街灯に照らされぬらりと刃物のように光ったが、それは果たして他の人にもみえているものなのか、それとも藍色にしか映せないものなのか、僕にはとんと判断がつかない。それが厄介だ。当たり前だと思っていたことが、相手には理解できないことであれば、まあそういうこともあるさと思える。だが、最初からのであれば、最早救いようがない。なぜならからだ。見えないものは、仕方ない。もう話にならない、議論の成り立たない、そして僕もとしか言いようがなくなってしまう。

 すれ違いもいいところだ。

 そして、僕が思うことも、きっと違う。みんなが見ているものに対して僕が思うものも。

 けれど、だからこそ。

 僕は本を読む。知識を得る。本だけではなく、隘路や、迷子さんに、いろんなことを教えてもらう。みんなにはどう見えているのか、僕の見ているものに意味はあるのか、只々探すしかない。模索するしかない。目を向け、凝らし、耳を澄ませ、嗅覚を砥いで、そうやって、学ぶしかない。

 僕はそれが嫌いじゃない。

 むしろ、とても楽しい。

 きゃお、きゃお、恐竜の鳴き声がする。音のした方に目を向ければ、なんということはない、窓を開ける音だった。

 くすりと微笑み、僕は足を進める。たん、たん、石段は優しい。足の裏がさらりとする。黒い黒い道を歩くより、ずっとずっとずっといい。

 手に下げたかばんにぎっしりと詰まった本。教科書、ノート、それに。

 やれ、やれ。僕は笑う。

 自嘲じみたその軋みは、夜空に溶けていった。

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