みけねこ
おあおう。その口を大きく開けて、欠伸。ぐうと伸びをして、顔を手でかしかし擦るようにした。ぱちくり、ぱちくり。大きな茶色の瞳を開いて閉じて、ぶれることなくこちらを見つめている。丸くてふわふわ、可愛らしい見目とは相反して吊り上がった目は、上から伸し掛かるように、重い。視線から目を逸らせないでいると、ふいと興味を失ったように、家と家の合間を通ってどこかへ行ってしまった。
おあおう、おあう。こんにちは。
「ふむ」
「おあおう」
その丸いふわふわの鳴き声を真似れば、隘路はお膳の向かいで、麦湯を啜ってから、「おあおう」と、真似の真似をする。それがなぜか、不思議におかしいものに見えて、ふ、ふ、笑った。隘路は、いつもの通り、ちいとも、笑わなかった。
「黒猫だったか、其れとも白猫だったか、或いは三毛か」
「みけ、みけ、しりません」
ん、と頷いて、隘路は麦湯の入った湯呑みを、お膳の上に置いた。それから右手と左手の人差し指と親指の先を合わせて、丸をつくる。
「茶と、黒と、白の斑ら」
「それは、知りません」
「違ったか」
「猫、猫。ふわふわ、まるまる、茶色のお目々です。初めて、猫、見ました」
「初めて」
ん、考え込むように、顎を撫でる。隘路は暫く俯きながら、顎を撫でた親指で下唇をなぞった。軽く人差し指と親指で食むように摘んで、唸る。隘路のカラーの襟が、息苦しそうにくしゃり、歪んだ。それと反対に、着物はゆったり、隘路の動きを覆い尽くして、あくまでも、身嗜みを整えている。しんと澄ました空気の中で、隘路だけが全く別の、そう、透明な壁を隔てているかのように、浮き上がった。
「きょうは、」
きょうは。
「とても、目が、よく見えます」
ぐー、ぐー、ぐ、ぐー。
どこかの木に、鳥がとまって鳴いている。この鳴き声の鳥が、何の鳥なのか、知らない。知らないけれど、きっと鳥なのだ。鳥だと教えられたから。あれは鳥の鳴き声なのだと、教えて貰ったから。鳥は、鳥で、それ以外の、ものでは、ない。
僕が見ているものが、
みんなの見ている、
形でなくとも。
みんなの見ている、
色でなくとも。
「猫というものを、話しゃれ」
なんの前触れもなく、隘路が口を開く。素直に答えた。
「ふわふわ、まるまる」
「其れは猫か」
質問の、意図がわからず、首を傾げる。すると隘路はつるつるといつもの寡黙は何処へやら、饒舌になった。
「猫、ふわふわ、まるまる。見目形が全てか。では吾々は何であろ。人ならざるものでありながら、人と交わり、人の見目をし、生くる吾等はまして人ではあるまいや。主とて同じ事、猫とて変わらぬ、《それ》が《そう》でなければならぬ訳など有りはせぬであろ。皆の見る見目でなければ、猫と云えぬ訳ではあるまい」
それに、と。付け加えて、平然と、隘路は言ってのけた。
「迷路の瞳は見事だ」
おわおう、おわおう。
塀の上でふわふわ、まるまる、鳴いている。尻尾を上下に大きく揺らせた。
ふと見えた三本の細長いそれを、目に止めて。
「迷路は、嬉しい、です」
もうみえなくなった、鳴き声の主へと、首を傾げた。
三怪猫
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