第五七話 待ってなさいよ!

 消えて行く。

 ソウヤを構成する肉体データが消えて行く。

「あははははっ……――あははははっ!」

 ソウヤは自己の消失だというのに不思議と恐怖は芽生えなかった。

 あるのは目的の達成感。

 己の責任を果たせたという満足感。

 この二つが彼を満たしている。

 満たされている以上、死の恐怖などない。

 ただあるのは寂しさだった。

「……サクラ」

 最期に一目だけサクラに逢いたかった。

 恋なのか、仲間意識か、ソウヤにはよくわからない。

 確かなのは、サクラと過ごしたの時間があった。

「……このバカ」

 夢かと思った。

 幻聴かと思った。

 サクラが目の前に現れた。

 消失直前に発生したバグか、ソウヤの妄想が生んだ賜物か、分からない。

「勝手に飛び出して、勝手に死ぬなんてあんた本当にバカよ」

「バカで結構」

 ソウヤは幻影であろうとバグであろうと素っ気なくサクラに言い返した。

「まあいいや……最後の最期でサクラに出逢えたんだ。夢でも幻でも……」

「だから、あんたはバカなのよ」

 消え行くソウヤの手をサクラが掴む。

 指を絡めて力強く握りしめる。

 薄れ行く感覚より伝わる温かさと柔らかさ。

 あの時、〈ドーム〉で死する瞬間、掴んだ手の温もり。

 どうして今まで思い出さなかったのか、今になって唐突に思い出すのか。

 それでも――

「あっ――もう満足だ。もう充分だよ。ただの人形だったおれが人間になれたんだ。これ以上、嬉しいことなんてあるか」

「死んだら終わりじゃないの、無駄死にじゃないの」

「生きた時間が、共に過ごした時間があったんだ……終わりじゃない。無駄じゃない」

 ソウヤの行動は次に託せる者がいるからこそ無駄でもなければ悔いすらもない。

「このバカ――っ!」

 泣き顔のサクラにソウヤは笑顔で応えた。


『サルベージ完了しました』

 完了を告げるカグヤの声にサクラは涙がこみ上げてきた。

 十全ではないサクラが〈ブランカ〉で駆けつけたと同時に戦闘は終了した。

〈フィンブル〉と思しき原型を留めぬ残骸があり、灰色と黒色、二体のDTが物言わぬ残骸と成り果てている。

 カグヤのサポートを借りてどうにか操縦する中、たどり着いたというのに……。

「……バカ」

 勝手に飛び出して、勝手に死のうとするなんて、腹が立つ以前に殺意が沸く。

 消えさせない。認めない。許さない。

 人一人を残してのうのうと消えて行くことなどサクラは認めない。

『〈シートン〉内のサーバーに特殊領域を構築。サルベージデータ、保全完了しました』

 挙げ句に、サクラを幽霊扱いするなど、わざわざ辛うじて生きていた回線を繋いで〈ロボ〉にアクセスしたというのに、ひどい仕打ちだ。

「バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカンバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカンバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカンバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカンバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカンバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカンバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカンバカバカバカバカバカバカカバカバカバカンバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカンバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカンバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカンバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカンバカバカ―――ソウヤのばかああああああああああああああああああああああああああっ!」

『落ち着きましたか?』

 肩で激しく息をするサクラをカグヤが心配そうに声をかける。

 何が人類再誕だ。

 何が最後の一人だ。

 仲間の犠牲で再誕する人類に何の価値がある。

 使命であった。

 願いでもあった。

 だが、サクラの中でソウヤの存在は大きくなっていた。

 初めての喧嘩相手。

 月で一人となったサクラに人間の喧嘩相手などいなかった。

 初めての友達。

 存在を嘘で騙し続けてきたのに相手は許してくれた。

 初めての――最後の感情はよくわからない。

 男女関係に起因するのかまだ理解できない。

 好きか、嫌いか……ただ言えるのは心許せる相手であること。

 裸を見られてむかついたことも、喧嘩での痛みも、素肌が触れ合う温もりも、手と手と握り合ったことで感じた鼓動も、彼と共にいたからこそ感じ得た偽りなき事実であり現実。

 なのに迷惑な行動を起こす。

 人に重傷を負わせる。

 しまいには勝手に死ぬなんて――

 男という生物は身勝手だと資料で読んだが、本当に身勝手ではないか!

「……〈CIU2315134〉を回収次第、月に帰還。人工子宮の準備と同時に修復作業に移行するわよ」

 サクラは流れ落ちる涙を呑みこみ言う。

 まだ終わっていない。

 終わらせない。

 これから始まるのだから終わりではない。

『計算では……いえ、分かりました。月への帰還準備を進めておきます』

「……ソウヤ、待ってなさいよ!」

 サクラの中で人類再誕とは別の使命が再誕した。

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