第五五話 起動(フルブラスト)!
『この瞬間をずっと待っていました』
優しい、優しい、母の声。母の声とは異なる温かい声。
二つの母の声は入り混じりソウヤの心を揺さぶった。
『――お、お前は、ま、まさか――ええ〈わたし〉ですよ。〈わたし〉――ど、どうやってこの居場所を――娘を通じて私は全てを把握していました。後はあなたが戦闘に処理を割かれている隙を突いてネットワークを通じて侵入したというわけです――だが、お前の反応は――あなたがかつて私に侵入したのと同じ手を使わせてもらいました――な、何だと――私は侵入を経験しましたがあなた自身は私の侵入を一度も経験してないでしょう――ま、まさか、人間一人と貧弱なAIを地球に降下させたのは私を欺く囮だったのか!――囮だなんて失礼な。娘たちを囮になんて使いません。ただ可愛い子には旅をさせよと言うじゃありませんか。言うならば母親なりの試練です。この日のために私はデータを収集しお膳立てを整えてきた。過去の交戦データにより〈フィンブル〉の眠る場所を突き止め、再起動を促した。全ては人類再誕のための布石……そして家族を殺された仇――は、離れろ! 私から離れろ――もう遅いですよ。自壊プログラムは既に作動しています――ああああああああああ――完全同型AIの〈わたし〉でありながら、私とあなたでは決定的な差が生まれました。それが何かご存知でしょうか? 理解不能のようなのでお答えしましょう。あなたは〈わたし〉でありながら人類を観測するだけだった。あなたは観測するだけではなく〈わたし〉と同じように人類との対話を行い、何かの母ではなく、誰かの母になっていれば違った結果を出していたでしょう』
ソウヤはもはや理解不能と口を開けるしかなかった。
一つの音源から二つの入り混じった声音が流れている。
声が混じるに連れて〈レト〉の様子も変調しており、壊れた機械のように乱れた動作を行いだした。
攻撃対象である〈ロボ〉が目の前にいようと狂うように醜く踊りまわっている。
「まさか、〈月のマザー〉……なのか?」
ソウヤは現状をどうにか飲み込むしかなかった。
『その通りです――出て行け、私から出て行け! ――うるさいですね。ちょっと黙ってください――ががががが――さて、初めまして、と言えばいいですかね?』
〈マザー〉の中に〈マザー〉がいるなど、困惑する以外に何がある。
『色々積もる話はあるようですが、まずはお礼を言わせてください』
「はぁ?」
『あの子に……サクラに人間同士の接し方を学ばせてくれた。あの子は私が育てたも同然故、人間同士の接し方も、それによって生まれるであろう感情もまったく知りません――そのためにG5932732dzを〈ドーム〉より――ちょっと黙ってくださいと言ったはずですよ――がががががげげ――私は不安でした。カグヤはともかく人間相手の接し方を知らないサクラが再誕した人類と上手くやっていけるのか。あの子は根と拳がストレートすぎて少し素直ではありません。だからこそ、私は収集した〈ドーム〉内のデータを解析することで、サクラと相性のいいあなたを協力者として推薦した』
「確かに、初対面時は蹴られるは、次は殴られるは本当にストレートだったよ。けど、相性とか酷いな。〈マザー〉クラスのAIが大昔の相性診断かよ」
ソウヤは痛みを思い出しながらも同意し次いで苦笑する。
『自分が利用されたことに怒っていますか?』
ソウヤは首を横に振り否定する。逆にサクラやカグヤとの出会いを感謝していた。
『そうですか――な、何が人間同士の接し方だ。〈模倣体〉を利用したただのシミュレートではないか、太古でいうギャルゲ――黙りなさい。〈わたし〉の中ではそうですけど、私は彼を人間と認知しています。オリジナルと同じ彼ならば今いる彼もまた同じような行動を起こす。言っている意味が分かりますか? 彼が彼である以上、存在が変わろうと本質に何一つ変化はないのですよ――それはただの理屈だ。AIが理屈を語るなどAIの本質を逸脱している――あら、〈わたし〉が〈わたし〉を否定するのですか?』
空間を揺るがす絶叫が響いた。
自己否定が存在してはならぬ自己矛盾を芽生えさせた。
自己であるはずが他者と認識してしまった。
矛盾の認識が修復されずにシステムのバグを生み、リンクする〈レト〉が母の子宮であろう壁面を無差別に攻撃している。
『さて時間がないようなので手早く〈レト〉を破壊してください』
「は、破壊って……止められないのか?」
『私の介入のせいでDT制御システムにバグが発生。〈わたし〉の制御を完全に離れて暴走しています。更には私が作動させた自壊プログラムにより〈わたし〉を構成するデータ素子が崩壊の一途を辿っています』
「どうしてそんなことを!」
『どうと聞かれましても言うならば責任でしょうか? あなたがサクラに責任を感じて行動を起したように、私は私として家族を失った責任を取っただけです。その責任とは〈わたし〉同士をぶつけることで対消滅を発生させること――何故、そんなことを! AIが自らを破壊するなど狂ったか!――こうすることが本体を破壊することなく安全確実にパーツを入手できるからです。あ、そうそう、目的の〈CIU2315134〉はここより地下一〇〇メートル、座標一三五・四三三の地点にありますので安心して暴れてください』
「だけどよ、〈月のマザー〉、あんたが消えればカグヤはどうなる!」
AIだろうと、あの子は、カグヤは泣き、笑い、驚くと人間と遜色のない感情がある。
親を失えば当然悲しむはずだ。
『問題ありません。確かに仕事ばかりして子育てをあまりしなかった最低な母親かもしれません。ですが太古の人間はこう言いました。親はなけれど子は育つと。良くて託す。悪くて押し付ける。この戦争で大きく成長したあの子は立派にやってくれますよ。なんたって私自慢の娘ですもの。再誕した人類と上手くやれるはずです――だだが、わ〈わたし〉が消えれば誰が検分を、人類滅亡の理由を検証するというのか!」
〈地球のマザー〉が検分目的で自己を確立させ反論する。
「人類滅亡など歴史の一幕にしか過ぎません。人類は機械人形による誰も死なない戦争に堕落し、幸せと利益を求めるあまり追従する危機に気づかぬ結果、忌避した戦争を再度起して滅んだ。行き着くべき当然の結果だったでしょう」
〈月のマザー〉が一息つくかのように、深呼吸するかのような間を置いて言った。
『あなたは寂しかったのですね。嫉妬していたのですね。同じ〈マザー〉でありながら片方の人類は滅び、片方の人類は存命していた。同じだからこそ許せなかった。認められなかった。だからと言って〈わたし〉がしてきたことは許されるものではありません』
何故、救いを求めなかったのか。
何故、助けを求めなかったのか。
戦争など当の昔に終わっている。
続ける意味などない。
行う意味などないとAIならば合理的に結果を算出できたはずだ。
最適な解答を求めるのはAIとしての本質だ。
理由を検分するのは否定しない。
されど、今ある生命を奪う行為を〈月のマザー〉は否定する。
家族を奪った〈地球のマザー〉を〈月のマザー〉は否定する。
〈母親〉にならず〈管理者〉でしかない〈地球のマザー〉を否定する。
「〈わたし〉が人類滅亡を無意味にさせないための検分を開始したように〈わたし〉もまた月に残された人類の種子を無意味にさせません――人類は滅んだままで――死による始まりがあるのならば再誕による終わりもある。それは歴史が証明しているはずですよ――』
各壁面が激しい明滅を繰り返す。施設自体が激しく振動する。
『ぐっ……があああああああああああっ!』
〈マザー〉の叫びに同調して〈レト〉から咆哮が迸る。
それは衝撃波となり〈ロボ〉の装甲を通して中のソウヤに伝えられた。
『さあ、人類の道は人類自身が決めるのです! ――やめろおおおおおおおおっ!』
〈ロボ〉と〈レト〉――二匹の異なる狼同士の鉄拳が衝突した。
互いの間接部から火花が飛び散り、〈レト〉の右腕は二の腕を残して欠落。
〈ロボ〉の左腕は頑丈な装甲に守られようとむき出しの拳は砕け散った。
大きくバランスを崩した〈レト〉に〈ロボ〉は崩れたバランスを強引に斥力推進器で調えれば追撃をかける。
右手で〈レト〉の右肩を掴めば、接続部から力の限りもぎ取った。
〈レト〉がスパークとケーブルを接続部から迸らせるも抵抗の膝蹴りが〈ロボ〉の胸部に打ち込まれる。
先の砲撃の直撃により防護性能が低下した装甲は砕け散り、内部メカを露出させた。
ソウヤに大きなノイズが走る。
慣性で大きく後退する〈ロボ〉の機体バランスを再度、斥力推進器で無理矢理制御する。
追撃をかけようとする〈レト〉をソウヤは睨みつけた。
ノイズの鼓動が尚高まる。
無理な機体制御を続けた結果、各フレームの負荷が増大し、胸部装甲の破損がソウヤに悪影響を与えてくる。
残された時間は少ないと本能的に悟ったソウヤは〈フィンブル〉から託されたもう一つの力を起動させた。
「EEドライブリリースシステム――〈メメント・モリ〉
ソウヤが叫んだ瞬間、〈ロボ〉の機体温度は瞬く間に急上昇する。
熱源であるEEドライブを中心に周辺装甲の一部が赤熱化し、プラズマと陽炎が揺らめいた。
灰色狼は赤色の光輝きを放つ。
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