第六話〈ブランカ〉は使えるんでしょう?

「あ~もう最悪ね」

 サクラはインナー姿のまま、仰々しくベッドへと飛び込んだ。

 凹凸の少なさは成長過程の証であり、身体はまだ一〇代の少女でしかない。

 年齢は十三、栗色の髪は肩まであり、左右の頭頂部にお団子としてまとめている。

 まだ幼さを感じさせる顔つきであるが、目元はやや鋭利で鼻筋は整い端正な顔つきをしている、も不機嫌さが台無しにしていた。

「身体は重いし……」

 地球の重力が月の六倍なのは人工重力下での動作訓練で体験済みであるが、あくまでも訓練時の話。こうして連続二十四時間、重力下に身体が曝されるのは初めてだ。

 それでも悪いことばかりではない。

 何よりこの地球には月にはないものが当たり前のように溢れ返っている。

 どれだけ吸おうと無くならない空気――まだ一度も生身で外界に出ていない。

 天から当たり前に降り注ぐ水――酸性雨かもしれないので浴びる気などない。

 太陽の光により無限に酸素を生産する木々――ワサワサと所構わず生えすぎだ。

 母艦の外部カメラは深海を悠々と泳ぐグロテクスな深海魚を映し出す。

 サクラはリモコン操作で映像をカットした。

「キモチワルイの見せないでよ……」

 現状とダブルパンチで尚気分が滅入った。

『あれはアンコウと言って、かつて日本列島では珍味として親しまれた高級魚です』

「あれが!」

 声に対してサクラは怪訝な顔をするしかない。

 魚であろうと獣であろうと月では貴重なタンパク源だ。

 サクラの祖先は極東の島国、日本に住む日本人であるが、先祖はあのようなグロテクスな魚を食していたのか。

 オートメーションで食材加工される現在と異なり、当時は手作業で食材加工をしたことに……確か、包丁と呼ぶ解体ナイフで……いや思い出したくない。思い出すのを止めよう。想像するだけでおぞましい。

『寒い冬の日に土鍋という土を焼き固めた鍋で出汁と共に下ろしたアンコウを煮込んで食べるそうです』

「あ~もうやめて、想像させないで! あんた、この前、モツっていう消化器官の煮込み料理を紹介してきたでしょうが! やめてよね、あんなゲテモノ料理!」

『ゲテモノとは失礼な』

 嘆息の声と共に天井から光が照射。光は十歳の少女を形作る。

 背中まで伸びた黒髪に、くりっとした瞳と幼い顔立ち、純白のワンピース姿でサクラの前に現れた。

 カグヤ。

 この母艦の管理AIであり人間ではない。人の姿を取っているのは異種である人間とのコミュニケーションを円滑に進めるためだ。

 プログラムであろうと思考は人間に近く、カグヤは手を腰に、やれやれと人間臭く言った。

『食文化も人類が刻んできた歴史の一つです。それを蔑ろにするのは人類として頂けませんね』

「そんなの鼻っからごちそうさまよ! それで現状は!」

 食事の大切さは生命活動を維持させるのに必要だから理解できる。

 だが、ゲテモノ料理、貴様は別だ。

 重力慣れしてない身体を振り絞ってサクラは現状を求め、AIとしてカグヤは答える。

『現在、太平洋上水深四〇〇〇メートルを潜行中です。探査船と思しき艦船が海洋上に展開していますが索敵範囲から離脱済み。この艦の静粛性は高いですからよっぽど接近されなければ発見される心配はありません。ただ……』

 カグヤの語尾が窄まったことでサクラは本題だと悟る。

『大気圏突入時の損壊によりMWD-01〈ロボ〉は使用不可です。ソフトウェアの修復率は一〇〇%ですが、ハードウェアは九九%です。一%である脳波接続システムが修理不能でした』

「生きていただけ儲け、と受け止めたほうがいいかしらね」

 機械とは身体であるハードウェア、精神というソフトウェアで成り立っている。

 有人DTの操縦が、思考にて操縦可能なのは過去の大戦で培われた実戦データがあってからこそ。

 脳波接続による操縦は操縦系統の簡略化に、機体動作をより人間らしく近づけることに繋がった。

 操縦桿による元来の操作方法ならば、一に操作入力、二にシステムが最適なモーションを選定、三に実行となる。

 脳波接続の場合、一に思考した時にはモーションを実行していた。

 思考操作は機体操作において肝心要のシステムだ。

 機体操作にスリム化を与える一方、機械と人を繋ぐ仲介システムがなければマンマシーンインターフェンスは意味がない。

 直接、脳神経と機械を繋ごうならば過剰すぎる情報量で廃人確定である。

『今現在、内部工廠でハードウェアを製作中です。ですが脳波を滞りなく伝達するシステムである以上、安全性と綿密さを要求され、現状の設備では……』

「説明はいいから結果を言って」

『……私の計算では完成まで二〇一時間三七分五四秒かかると出ています』

 重い沈黙が室内を満たした。

「……〈ブランカ〉は使えるんでしょう?」

 沈黙を破るのはサクラの声。

〈ロボ〉が使用不可になっただけで、別にDT全機がダメになったわけではない。

 予備機扱いであるが、同型機種MWD-02〈ブランカ〉がこの母艦に搭載されている。

 予備機といえど性能は〈ロボ〉と同一であり、サクラが予備機扱いしているだけだ。

『はい、あなたなら一〇〇%そう答えると計算していまして、すでにセッティングは完了しています』

「そう。なら、使えない〈ロボ〉は〈ブランカ〉の予備パーツに回せばいいわ。それで生きているエネルギーラインは確認できた?」

 サクラの質疑に応答するようにカグヤは部屋を暗転させて壁面に光を照射させる。

 照らし出されるのは世界地図。世界各地にある虫食いらしき痕は戦争の傷だ。

 一〇〇〇年も続いた戦争により自然環境は瀕死のダメージを受けたというのに、人間の手を借りずに長い時をかけて自力で回復させる地球の生命力には感動さえ覚える。

 ただ月に住まう者として、何故、その生命力を月に別けてくれなかったのか?

 至らない感傷だとサクラは切り捨てた。

『現在、確認できたポイントは五つです。ユーラシア大陸にある集合データベース〈NOAH〉。北アメリカ大陸にある自由主義連合総司令部跡地。東南アジアにある軌道エレベーター跡地。日本列島にあるDT研究所。そしてアフリカ大陸にある〈ドーム〉です。特に〈ドーム〉は他のポイントと異なり一番のエネルギー消費量を持っています』

 ふむ、とサクラは世界地図にマーキングされたポイントを見ながら嘆息した。

 現状から推測できることは……。

 集合データベース〈NOAH〉が稼動しているのは、データ処理しているため。

 総司令部跡地、軌道エレベーター跡地に反応がある理由は現状では見えてこない。

 DT研究所は、何らかのDTを開発していると見ていいだろう。

 一番エネルギー消費の高い〈ドーム〉。

 何かある、と勘が囁いてくる。

〈ドーム〉の中身を確かめる必要がある。

「〈ドーム〉のデータはある?」

『こちらに』

 世界地図から〈ドーム〉へと投影映像は切り替わる。

 建設時のデータによれば、縦二五キロメートル、横五キロメートル、高さ五キロメートルの巨大な箱庭が地下一キロメートル下の位置に建造されている。

 住居だけでなく、人が生きていくための食糧生産施設や工業施設もある。

 流石は完全環境都市として建造されただけあった。

 内部人口が増加しようと年々拡張することで問題なく対応してきたとされているため、今現在の〈ドーム〉はデータと一部異なっているだろう。

 着目すべきは〈千年戦争〉直後に建造された城壁だ。

 戦後に建設されただけあって汚染物質漂う外界を完全遮断する堅牢な壁となっている。

 DTの携行兵器で突破するのは不可能に近い。ましてや禁断の核兵器を使用しても城壁は無傷だろう。もっとも侵入方法は既に確保している。

「ふむ……」

 ざっと目を通したサクラは〈ドーム〉に当たりをつけた。

「この〈ドーム〉にあるのは間違いなさそうね……」

 そう考えればエネルギー消費が高い辻褄が合う。

 合うが単純に合いすぎると危機感を募らせてしまう。

 ならば観測や既存データよりも一〇〇%信頼できるのは一つしかない。

「カグヤ、進路を〈ドーム〉に向けて。協力者をとっとと捕まえて目的の物を頂いていくわよ」

『計算では交戦確立は一〇〇%です』

「そうね。何たってあたしたちは〈マザー〉を機能停止しに来たのだもの」

 箱の中身がなんであるのかは、箱を開けるまで分からない。

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