〈九〉お嬢さんと秘密
「――っな、脅されてるって……」
「あら、違いました? どうしよう。わたし、何か可笑しなことを言ったかしら、幸大」
「さあ。直生さんが変なのはいつものことなんで」
「幸大」
「ささ。君たち、正直に白状したまえ。直生さんに隠しごとをしてもいいことはないぞ」
「っはあ? なんで隠しごとしてるって言い切れんだよ」
そりゃあ僕の唯一無二の主君が言っているのだから、としか言いようもないけれど、理由はそれだけじゃないことには僕も気付いている。
直生さんに横目を向けると、ひとまずお嬢様探偵としての推理を披露するつもりらしい。別にディナーのあとというわけでもないが、後ろに控えるようにして先を促した。
「なぜならお二方は嘘を吐いているからです」
白い両手をスカートの前で重ね、背筋を伸ばした直生さんが僕とは対照的に前へと進み出る。
気圧されたように二人の上半身が傾ぐが、儚きお嬢さんに迫力負けするわけにはいかないのか、後ずさりはしないまま持ちこたえた。
「嘘?」
「……俺達がどんな嘘吐いてるっていうの」
「お二人が吐いた嘘は二つ」
白く細い指が、ピースサインをするように持ち上がる。
「ひとつは、河原口さんがいらっしゃらない理由について。委員会というのは嘘ですね」
「なっ、なんでだよお!」
泣きそうな顔で言ったのは佐々木である。
そんなに怖がらなくても、タネは簡単である。
「だってわたし、河原口さんとは同じ委員会ですもの」
山崎が小さくため息を他所に放ったところを見るあたり、こいつには真相が見えていたのか。ひょっとすると、知っていたのかもしれない。
「それに、勉強をするつもりで集まったというのも嘘」
直生さんは続ける。
「さきほど幸大が指摘しましたけれども、勉強を行うつもりなら勉強道具が広げられていてしかるべきですし、そもそもパソコン室は全ての机にパソコンが設置されているのですから、教科書やノートを広げるスペースが極端に少ないでしょう? こんなに勉強に適していない場所もありません」
「……そこまではいいよ。でも、だからといってなんで河原口が脅されてることになるんだ?」
「伺ったところ、河原口さんは基本的に写真にしか関わっていませんね。よほど写真がお好きなんでしょう。カメラを常に持ち歩き、傍を離れる時は常に鍵のかかるロッカーに保管するほどの徹底ぶり」
このあたりは、僕が直生さんに伝えた内容だ。僕も頷くし、佐々木と山崎も反論するつもりはないようで、大人しく聞いていた。
「けれど、それならば、ますます写真部に入らず新聞部に所属していることが不思議でなりません。河原口さんは、写真部と兼部などはされていたのですか?」
「それは……してないけど……」
「……さっきも言っただろ、先輩の押しが強かったんだって。河原口の写真が必要だから、って」
「そうだとしても、写真部に入部した河原口さんに、たまに協力していただくだけでも十分なのでは? 先ほどお伺いした限りでは、各班につき活動は年に四回。他の部活に入部しながらでも十分にお手伝いができる頻度です。それでも河原口さんは新聞部に入りました。……いえ、入らされたのです。河原口さんの秘密を握る、先輩によって」
直生さんの言葉に、怯んだように二人が身じろぐ。
最初こそ当てずっぽうかと思っていたけれど、思いのほか図星をついているらしい。二人が言い返せていないのが何よりもの証拠だろう。どうやら、その先輩とやらが現在目下の重要参考人となりそうだ。
ふむ。
僭越ながら、僕も授業中に質問をする生徒のように挙手をして、口を挟ませてもらうことにした。
「質問なんだけど、二人はそのことを知ってたんだよね?」
「……」
答えはない。二人は直生さんと僕の様子を窺うように、アイコンタクトだけを横目で交わしている。まあ、その反応でわかるから別にいいんだけど。
「それを知っていて、どうして助けてあげようとしなかったの?」
「幸大」
「別に意地悪言ってるわけじゃあないですよ。純粋な疑問なんです。だって、無理矢理入らされてるわけでしょう? しかも何か不本意な理由があるらしい。そこまで知ってるのに、どうして放っておいてるのかな、と思うのは自然かと」
「――幸大」
咎めるように直生さんの声が飛ぶ。仕方なく僕は肩を竦めるけれど、二人から目は逸らさなかった。
長い沈黙のあと、山崎が言った。
「……別に放っておいたわけじゃない」
「君たちにそのつもりがなくても、結果的にそうなってると思うけど」
「でも、なんで脅されてるかは河原口も言ってくれなくて」
「じゃあ知らなかったってこと?」
「―――――何してんだよ」
突如として、僕の背後から鋭い声が割り込んだ。
僕と直生さんは扉の前に立ち、佐々木と山崎に向かいながら話していたから、自然、背後から掛けてきたのは闖入者ということになる。もっとも、この場において、間違いなく本来の意味にあたるのは僕らだろうけれど。
振り返ると、予想通り、そこにいたのは河原口だった。
状況説明役と憎まれ役を同時に買って出ようとしたものの、先に口を開いたのは直生さんだ。
「申し訳ありません。わたしが自分でお話を伺いたくてお邪魔したんです」
「今度は嬉野さんか……カメラのことはもういいよ。戻ってきたんだし」
「あら。データは戻ってきていないじゃないですか」
「それは……いいんだよ。そりゃ多少は消えたけど、そんなに大したものは撮ってない。その辺に落としたのと変わんねぇって」
「だとしても、盗まれたのは事実なのでしょう? それに、先輩に秘密を握られて脅されているのも」
一度、河原口の視線が鋭く山崎と佐々木の間を動く。アフレコをするなら「言ったのか」だろう。二人は曖昧に首を振るが、先ほどのことを思い返すに、言ってはいないが沈黙が肯定を促しているのだ。意図を掬うのなら「言いました」が正解だろう。
重く長いため息が響いた。河原口のものだ。
「……じゃあ嬉野さんに聞くけど、その秘密って何なわけ?」
そういえば、その件をすっかり忘れていた。すっかり河原口の動向を窺っていた僕だけれど、この時ばかりは我がお嬢さんに意識が向く。
「河原口さんが握られている秘密、それは―――………」
その様子を、僕はこわごわ見守る。序盤の推理からそれなりに的を射てはいるのだろうけれど、油断はできない。
自慢じゃあないが、僕は直生さんのことなら何でも知っているのだ。
ミステリーを好む直生さん。
自分自身こそが名探偵になるために〈さて部〉を作った直生さん。
けれど、名探偵になりたい彼女は、だいたいの場合において、迷探偵にしかなりえない。
「それは、河原口さんが恋い慕う女の子のことでしょう!」
漫画であれば集中線とババーンなどという陳腐な効果音がついていそうな勢いで、河原口に人差し指を向ける直生さん。それこそゲームであれば「異議あり!」だとか「これでどうだ!」などという吹き出しもつくのだろうが――見える。見えるぞ。頓珍漢な推理にぽかんと口を開く山崎と佐々木の姿が……! 直生さんがおばか……いや、迷探偵であるという現実を見せつけられるのが嫌で、僕は河原口の顔色を窺うことができなかった。
「ははは。直生さん、まったくこの間読んだばかりの少女漫画に毒されすぎですよまいったなぁ」
「なにを言ってるの、幸大。わたしはいたってまじめ……」
「なんでしたっけ、逃げるは恥だが役に立つだか私たちには壁ドンがあるだか……ああ、タイトルが思い出せなくてまいったなぁ。これは今すぐに戻って書庫を確認しないとなりませんね。ささ、行きますよ直生さん」
我が唯一無二の主君の名誉を守るため、僕は下手な芝居を打つことにした。非礼にならない程度(といっても直生さんからすれば無理矢理身体を動かしている時点で十二分に非礼なのだが)に彼女の肩を抱き、そのまま背中を押してパソコン室の出口へと向かってゆく。この間といい今といい、パソコン室にはあまりいい思い出がないな。このままトラウマになりそうだ。
直生さんはぶうたれていたが、僕らをその場に留めるものはいなかった。当然のことだろう。
けれど、予想に反して、扉を閉めようと取っ手に手をかけたところで、背後から声がかけられる。
「正之守」
「うん?」
「――――もうこれ以上、この件に触れないでくれないか」
思わず振り返ると、河原口の表情に浮かんでいたのは、怒りでも、呆れでもない。
「頼む」
ただ、途方もない切実さ。真剣な表情が、そこにあった。
◇◇◇
「なんというか、ちょっと予想外だったわね」
「河原口のことですかですか? 確かに、もっと軽薄なイメージでした」
「あなた、河原口さんに何の恨みがあるのよ……」
パソコン室を後にした僕らは、そのまま古典資料室への道を辿ってゆく。高嶺に話をしたいなら電話をかけるよりも確実だ。テスト前の部活動停止期間中に隠れて部室に集まる新聞部も新聞部だが、古典資料室をほぼ住まいにしている高嶺の上を行けるものはなかなかいない。
足を進めながら、ふと先ほどは尋ねられなかった疑問が頭に浮かんだ。
「そういえば、お伺いしたいんですが」
「なあに?」
「さっきの推理に根拠はあるんですか?」
「あら、何を言っているのよ。根拠しかないでしょう?」
「そういう言葉遊びは結構ですから」
やれやれ、とため息を吐くと、直生さんは可憐なえくぼを滲ませて、
「河原口さんの幼なじみの女の子と仲がよいと言ったでしょう」
「……」
「もう忘れたの? 朴念仁」
「いや、覚えてますってば」
委員会の時にいわゆる恋話(通説によると“こいばな”、と読むらしい)で盛り上がっていた、という話で登場したお方のことだろう。でもそれはその子だけが想いを寄せているという話だったような。
「甘く見ないでちょうだい、幸大」
「はあ」
「わたしにだって、女の勘というものがあるのよ」
そのわりにお付き合いはおろか、初恋のうわさすら聞きませんが。
ということを口にすると僕の生活の危機が訪れるので、代わりに話題を変えておく。
「ちなみにその幼なじみというのは?」
「あなた本当に周りに興味がないわね」
「お嬢さんと違って交友関係が広くないだけですよ」
「お嬢さん?」
直生さんの足が止まり、ぴくり、と柳眉が動く。
「……直生さん」
満足した直生さんは、「よろしい」とでも言うように頷くと、再び歩みを進めるとともに話も進めていった。
「彼女はお手玉研究会の若き新鋭、
「ほほう」
「手芸部期待のホープでもあるの」
「ははあ」
「それから図書委員会の眠り姫とも言われていて……」
「肩書きが過多すぎやしませんか」
「あら。不満かしら? ちなみに肩書きの命名はわたしがしているの」
「それ直生さん以外に浸透してます?」
そんな会話を繰り広げているところで、目的の場所へと辿り着いたようだ。まるで自動ドアの如く引き戸が開いて驚いた。もっとも、数秒後には高嶺の小汚い素足と対面して一気に気分が下がるのだけれど。
パイプ椅子とともに崩れ去った高嶺の代わりに、部屋にあった紅茶を淹れる。たっぷり蒸らして、直生さんと、不本意だが高嶺の前にも置いておいた。
僕はあたたかな紅茶が喉を通り、指先やつま先に巡ってゆく様を思い浮かべながら、先ほどの河原口の言葉を思い浮かべていた。ああ言われるとこれ以上首を突っ込むのもどうかと思うが……
「これは明日も聞き込みをするしかないわね」
……我が主君がそれだけじゃあ聞き入れないことも知っている。
「直生さん、試験期間中ですよ……」
「大丈夫、いざとなったら怪盗ばりの手癖の悪さで試験問題を」
「その冗談は洒落にならないのでやめましょうね」
「わかってるわよ。だいたい、わたしにそれが必要だと本気で思っているの?」
言い忘れていたが、直生さんは常に学年で五本の指に入るお方だ。というわけで、答えは否。そもそもこの場にいる人間にはそんな悪あがきは必要ないだろう。高嶺もこの素行の悪さが許されるのは、それをはるかに凌ぐ頭脳があるからこそ。二人に比べれば僕なんてスッポンレベルだろうが、そう悪い成績でもない。
「河原口が嫌だと言ってる時点で、これ以上調べる必要はないと思いますけど」
「あら。触れないでくれと言われただけでしょう? 河原口さんに直接聞かなければ問題ないわよ」
そういう問題だろうか。
僕はぐっと色んな感情を押し込め紅茶を啜る。触らぬ神に祟りなしである。
「それにもしわたしの推理が当たっているとしたら、河原口さんは脅されているわけでしょう? 捜査を続けてほしくても、お願いします、なんて言えるわけないじゃない」
ぐぬぬ。思った以上にごもっともだ。これには僕も言い返せない。
もちろん、そこには名探偵になりたいという直生さんの下心があることも知っている。けれど、うちのお嬢さんは基本的にお人よしなのだ。困っているひとがいると思うと見過ごせない。将来会社を継ぐのかは僕の知るところではないが、その度に損をしそうなほどに、お人よし。
だからこそ、僕は直生さんの心を痛めることがないようにしたい。そしてそれでいて、極力直生さんの望みが叶うように物事を運びたい。
直生さんの眉尻が困ったように下がるのを見つめながら、僕はしばし思案する。
すると、ふとこちらを見る高嶺と目が合った。
思わせぶりに数秒のアイコンタクトをくれた高嶺は、しかしすぐに視線を落として、手のひらサイズの手帳を読み上げるように口を開いた。
「そういえば、洒落にならない話がもうひとつ」
「というと?」と首を傾げるは直生さん。
僕はなんでもないような調子でもったいぶった高嶺の言葉を待っていた。紅茶をまた一口含んで。一秒後に、それを後悔するとも知らずに。
「怪盗はいからが今期の試験問題を盗んだそうだ」
「ええ!?」という直生さんの高い声が響く頃には、僕は一口を噴き出していた。さすがに霧散するほどじゃあないが、唇の端から滲む水分を、慌てて手の甲で拭う。この乱雑な場所にはティッシュも安全な布巾もないのだ。
醜態を晒しかけている僕を見て笑う高嶺だが、直生さんは大真面目に心配している。
「いったいどういうことなんですか?!」
「どうもこうも、今日聞いたばかりの情報だよ。他の生徒には知られてないみたいだけどな。だが、試験問題が盗まれたのは本当らしい。事実試験問題を作り替えるために教師陣は残業続きとのことだ」
「でも……怪盗はいからが盗むはずはありませんよね?」
「それは教師陣がそう信じてるってこと?」と、僕はようやく復活して言った。というか、そうなると、今にも教師陣はここに乗り込んできそうなものだけれど。
「いや? 噂が出回ってるだけだと思う。一応依頼箱の件で内々に質問もされたが、何も入ってなかっただろ」
「そうですね。デジカメの依頼以外に、は…………」
頷いていた直生さんの語尾が、音楽の切れ目のようにフェードアウトしてゆく。白雪姫のような唇に白い指先を宛てがい、ちいさく息を呑み込んだ喉が僅かに上下した。
「もしかして…………」
僕はそんな直生さんの様子を見ながら、考えていた。河原口のこと。デジタルカメラのこと。米粒のこと。直生さんのこと。
「さて」
意図せぬ声が漏れた。
「どうしたものですかね」
心優しきお嬢さん。直生さん。僕は彼女が望むことならば、なんだって叶えてやりたいのだ。
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