我が家の執事は、みな間違っている……!
小方がたまには、佐丸の仕事ぶりを見てみようというので、佐丸は朝、他の執事や使用人たちとともに、働いてみていた。
……楽しそうだな、と桜子はそれを眺める。
いずれ、佐丸は執事を辞めるだろうと小方は言ったという。
まあ、そうなるんだろうな、とは思っている。
佐丸が武田佐丸として産まれて、全うすべき責任が他にもあるからだ。
でも、とりあえず、今は鍛えられて楽しそうだ、とそれを眺める。
玄関でみなに―― 佐丸にも送られる。
「いってらっしゃいませ、桜子様」
「行ってきます」
と桜子は出て行きかけて、また戻る。
まだ頭を下げていた佐丸のところに行き、
「佐丸。
今日、十一時にはあっちに来てよ。
業者の人が来るから」
と小声で言うと、実に楽しく働いていたらしい佐丸が、少し顔を上げ、
「それは命令ですか? お嬢様」
と不満げに言ってきた。
「……前から思ってたんだけど。
いちいち、命令ですか? って訊く執事、おかしくない?」
ものすごい反抗精神を感じるんだけどっ、と言うと、佐丸は姿勢を正し、
「下の者は上の者に物言っちゃいけないのか」
と言ってきた。
いや、いけないだろうよ……。
「っていうか、なにこの執事っ、小方さんっ」
と小方に訴えると、小方は笑っていたが、佐丸は、
「まだ九時になっていない」
と反論してくる。
「本当にああいえば、こういう、技術だけ、完璧執事様ね。
っていうか、今、舌打ちしたーっ!?」
小方さーん、と見たが、小方は、
「いってらっしゃいませ、桜子様」
と笑顔で頭を下げてくる。
佐丸ももう素知らぬ顔で頭を下げていた。
「……行ってきます」
と執事軍団に破れ、桜子は家を出て行った。
我が家の執事、みんな間違っている……と思いながら。
「ほう。
これがお前が考えた店の内装か。
なかなか悪くない」
桜子が3Dのインテリアデザインソフトを使って作り上げたリアルな店内の様子をデスクトップパソコンで見ながら芹沢が言う。
ソフトが重く、ノートでは動かしにくいので、デスクトップをスタッフルームまで家から運んできたのだ。
どれどれ、と唐橋も覗き込んでくる。
「ほう。
いいじゃないか。
っていうか、お前、こんなことが出来たのか。
意外だな」
店の内装のことではなく、3Dで店内の様子を作り出したことに対して言っているらしい。
「まあ、これまだイメージですけどね。
設計とかのこととかはよくわからないので」
と言うと、芹沢が、
「設計とか、インテリアとか、好きなら勉強して、やってみればいいじゃないか。
この店、なんでもありだからな」
と言ってくる。
そのうち、派遣会社的なことをするにしても。
とりあえず、こういう人材がここに居ますよ、ということを知ってもらうためにも、しばらく店に専念することにした。
店内で、唐橋によるお掃除教室なども催しながら。
「基本、カフェなんですけど。
表側。
道から見えるところに、芹沢さんの靴磨きのブースを作りました。
前も言いましたけど、王子様にガラスの靴を磨いてもらう感じのイメージで。
でも、男の人も来られるように、調度品は落ち着いたものを佐丸に選んでもらいました」
「王子様、靴磨かねえだろ」
と苦笑いした唐橋が突っ込んでくる。
いやいや、そこは乙女の夢ですから、と桜子が思っていると、芹沢が、
「俺のブースが前か?
佐丸のカフェが前に出た方が女性客を呼べるんじゃないか?」
と言ってくる。
「いやー、佐丸は愛想よくないので」
と言ったが、
「俺もよくないだろ」
と突っ込みが入る。
「見せたくないんだろー。
佐丸を女性客に。
店内に入れば同じだと思うが。
夜子とか通い詰めそうだな」
と笑う唐橋に桜子は、
「……夜子さんは、先生の方がお好みのようでしたよ」
と言ってやった。
あのとき、チラと唐橋を見た夜子は唐橋をイケメンだと言っていた。
唐橋は人好きのするタイプだが、イケメンかどうかは好みが別れるところなのに……。
「なんでもいいけど。
全体的に落ち着いた感じにしてよ」
いきなり後ろから声がして、振り向くと、何故か手嶋さんを抱いた杏太郎が立っていた。
「俺とか太田さんとかも寄るからさー」
……いつの間に入ってきた、と思っている間に、杏太郎は画面を覗き込み、
「手嶋さんのスペースは?」
と訊いてくる。
「手嶋さんは自由に闊歩してもらうから。
まあ……猫嫌いの人が来たときは、スタッフルームに避難しといてもらうけど」
と言うと、芹沢が、
「いっそ、猫カフェにしたらどうだ」
と言ってくる。
「うさぎカフェでもいいかもしれないが。
うさぎはああ見えて、めちゃめちゃ跳ねるからな」
と言い、渋い顔をしていた。
そういえば、昨日抱っこさせてもらったときも、危うく跳んで逃げられそうになったな、と思い出しながら、桜子は言った。
「それと、うちの店の開店は間に合わないんですが。
このビルのオープンが月末なので、記念パーティがあります。
みなさん、出られますか?」
「あ、それ、俺も出るよー」
と杏太郎が言ってくる。
そういえば、もともと仕事でこのビルに来てたんだったな、と思ったとき、唐橋が言い出した。
「俺、そういう場苦手なんだけど。
手嶋さん連れてっていいか?」
……手嶋さんにすがるな。
だが、まあ、マダムキラー唐橋。
ここに入る店舗のお得意様たちも呼んであるらしいから、すぐに場に溶け込むだろうと思った。
「いや、手嶋さんは置いてってください。
芹沢さんは――」
実は一番心配していたのは芹沢だ。
前の会社の支店が此処に入っているからだ。
「いや、構わんぞ。
俺は胸を張って行き、靴を磨こう」
いや……靴は磨かなくていいんですけど。
でも、なんか話の流れで磨き出しそうだな、と思いながら、パソコンを閉めた。
「じゃあ、佐丸居ないんなら、また来るよー」
と桜子が淹れてやろうと言ったアイスコーヒーを拒絶し、京介は帰っていった。
唐橋は、掃除の相談を受け、他のテナントに呼ばれていった。
芹沢と二人きりになった桜子は、さっき作った3Dの店舗画像をいじっていた。
「桜子」
と呼びかけられ、はい、とマウスを動かしながら返事をすると、芹沢は珍しく沈黙したあと、
「お前を好きになってもいいか?」
と訊いてきた。
思わず、手が止まる。
振り返ると、芹沢はまだソファに腰掛けたまま、こちらではなく、店舗に続く扉を見ていた。
「いや。
お前が佐丸を好きなのは知っている」
そう断言され、桜子は、不思議なものだな、と思っていた。
私自身に、佐丸を好きだという自覚はなかったのに。
そうなのかなあ、と思って生きてはきたけど、あまりにも身近に居過ぎて、確証はなかった。
佐丸を好きだと思うその感情が、幼なじみだからなのか、兄妹のようなものだからなのか。
それとも、異性として意識してのものなのか。
判別がつきづらかったからだ。
佐丸が夜子と婚約したとき嫌だったのも、ただ、ずっと側に居た人間が、他の人と行ってしまうのが嫌で、しがみついていただけなのかもと思ったり――。
だが、芹沢の中では、自分は異性として、佐丸を好き、ということで、確定してしまっているらしい。
他人の目の方が意外と正確なのかもな、と桜子は思う。
「お前が佐丸を好きなのは知っているんだが。
それでも俺は、お前を好きになったみたいだから、このまま好きでいていいか?」
律儀に芹沢はそんなことを訊いてくる。
「なんでだろうな。
お前になら気を許せる気がするし。
お前なら俺のような人間でも受け止めてくれそうな気がする。
でも、俺がお前を受け止められるかどうかは、いまいち自信がないんだが……」
そう素直に芹沢は白状してきた。
お前は、今まで見たどんな女とも違うから―― と。
桜子は芹沢の方に身体を向けて言った。
「確かに……私は佐丸を好きなのかもしれません。
でも、佐丸が私をどう思っているのかはわからないので」
と言って、
「いや、待て」
と言われる。
「あれで、お前を好きじゃないとかないぞ。
あいつの生活すべてがお前を中心に回ってないか?」
と言われるが、
「いや、それは佐丸が私の執事だからで……」
そんな桜子の言葉を遮るように芹沢は立ち上がり、手首をつかんできた。
「今までずっと側に居て、お前を見てきた佐丸は、お前のなにもかもを知り尽くしていて、心地いい存在だろう。
執事だし、気が利くからな」
いや……。
それは命令ですか? と訊いてきたり、舌打ちしたりするような執事なんですが……と思いながら見上げていると、芹沢は言う。
「でも、新しい男を試してみるのも悪くないぞ」
少し笑って、桜子の手の甲に口づけてきた。
女王様にかしずく騎士のように。
だが、そのとき、戸口の方から声がした。
「お逃げください、芹沢様」
え? 逃げる?
十一時前だった。
いつの間にか、扉が開いていて、業者の人と佐丸が立っている。
途中で出会ったのだろう。
慌てて、芹沢からおのれの手を取り返そうとしたとき、もう一度、佐丸が言ってきた。
「お逃げください、芹沢様。
早くしないと、殺されます」
佐丸と一緒に立つ業者の人たちが周囲を見回す。
特に不審な人物が侵入した痕跡はない。
「……誰に?」
と此処に居る全員の思いを芹沢が代弁すると、
「私にです」
と佐丸は言った。
「お逃げください、芹沢様。
私も、殺人犯になりたいわけではありません」
お逃げください、と佐丸は淡々とした口調で、桜子の手をつかでいる芹沢の手を見ながら繰り返す。
桜子は苦笑いし、芹沢は逃げる様子もなく、まだ桜子の手をつかんでいて。
業者の人たちは、とんでもない店に来てしまった、という顔で固まっていた。
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