とりあえず、お断りだ

 




 次の日、買い出しの途中に、佐丸はばったり十文字光晴みつはると道で出会った。


 いや、本当にばったりだったかはわからないのだが。


 光晴は夜子の父親だからだ。


「夜泣きがひどいから、夜子」

というよくわからないネーミングセンスの持ち主でもある。


 小さな夜子と同じで背は高くないが、恰幅はいい。


 また、如何にも大会社の社長という貫禄を醸し出しているせいか、実際の身長よりも、かなり大きく見えた。


「買い物かね」

と佐丸の手にある、桜子お気に入りのパン屋の袋を見ながら、訊いてくる。


 はい、と言うと、

「君、この間、夜子に会ったそうだね」

と言われた。


 はあ。

 会ったと言いますか、ばったり出くわしただけですが、今みたいに、と思っていると、


「佐丸くん、まだ夜子に未練はあるかね」

と光晴は訊いてきた。


 ……幻聴?


 今、なにか耳慣れない言葉を聞いた気が、と思っている間にも、光晴の話は続いていく。


「実は夜子の夫は女遊びが激しくて。

 まあ、聞いてはいたんだが、夜子ほどの女と結婚したら、おさまると思ってたんだがね」


 ある意味、幸せな親子だな……。


 少なくとも、うちのあの母親よりはマシな親かも、と思いながら聞いていた。


 このおっさんの親バカなところは嫌いではない。


 ちょっと微笑ましい感じがするからだ。


 だが、そのせいで、我が身に災厄が降り掛かってくるとなると話は別だが――。


 光晴は大仰に溜息をつき、言ってくる。


「夜子はストレスから買い物ざんまいだよ」


 そこは昔からですよ、と突っ込みたかったが、黙っていた。


 余計な茶々を入れると話が長くなるからだ。


 特に娘のことを否定しようものなら、延々と演説が始まってしまう。


 佐丸くん、と光晴が呼びかけてきた。


 その目つきに、此処からが本題らしいな、と思う。


「武田物産が道明寺の傘下に入るそうだね。

 君を執事にしたというから、もうその気はないのかと思っていたが。


 この間、道明寺の社長に訊いたら、何事も君にとってはいい経験だと言っていた。


 今、君がそこにそうしているのも、将来、君を社長に据えるつもりで、いろいろと経験を積ませようと思ってのことだろう。


 どうかね。

 夜子と寄りを戻すつもりはないかね」


 話のつながりがまったく見えないんだが、と思っている自分の前で、光晴は笑顔で訊いてきた。


「だいたい、いつぐらいまで執事をやってる予定かね?」







 ……何処から突っ込んでいいのかわからなかった。


 夜、いつもの靴置き場で、佐丸は溜息をついていた。


 物の考え方が違いすぎて、何処からどう反論していいのかわからない。


 いや、私は本気で執事をやりたいんです、とでも言えば引き下がっただろうか。


 おそらく、本気にはしないだろうな、と思われた。


 光晴は、使用人は人の数にも入れない、昔の貴族のような人間だからだ。


 しかも、悪気はゼロ。


 ああいう人からすれば、社長になれるのに、わざわざ執事になりたいだなんて、冗談だとしか思えないのだろう。


 いや、あんたのそのパリッとした服装を整えたのも、奥さんじゃなくて、あんたが下に見てる、使用人だろ、と言いたいところなのだが。


「佐丸、どうしたの?

 手が止まってるよ」


 いつの間にか横に座っていた桜子がそう言ってくる。


 ずっと居て、邪魔しては悪いと思っているのか、桜子は、毎晩、寝る前の短い時間だけ、此処に来る。


「十文字の家のことだろ」

 ふいにした声に桜子とは反対側を振り向く。


 ……増えてるっ!


 いつの間にか、魁斗まで、此処にしゃがんでいた。


 いい歳した大人が三人、子どもの頃のように狭い場所で頭を付き合わせてしゃがんでるとかどうなんだ、と思ったが、魁斗の言葉が気になった。


「武田をうちが傘下に入れることを聞きつけて、じゃあ、やっぱり、夜子はお前に、と思ったようだぞ、あのおっさん」


 娘想いだな、と言う。


 桜子は黙って、膝を抱え、聞いていた。


「どうする?

 今からでも、武田物産に入って、社長になるか?


 夜子もついてくるぞ」

と魁斗は笑う。


 いや……とりあえず、夜子だけは即行、お断りしたい、と思っていた。




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