天敵ですっ!




 京介が帰ったあと、桜子はチラシを作り、芹沢は何処から持ってきたのかわからない靴を磨き、佐丸はアフタヌーンティーの本を熱心に読んでいた。


 一応、職場なんだろうけど。

 全員が趣味を満喫しているようにしか見えないんだが……、今のとこ。


 いや、趣味を仕事にしているということか? と思いながら、桜子は、

「ねえ、佐丸」

と呼びかけた。


「アフタヌーンティーの講座とかやったらどうかしら?」


 佐丸が本から目を上げる。


「あれ、意外と決まりが細かいじゃない。

 私はごちゃごちゃ言わずに食べさせろって思うけど」


 昔は一皿ずつ給仕されていたらしいが、今はその手間を省くために、大抵、二段か三段のケーキスタンドで出てくるが。


 基本、サンドイッチ、スコーン、ケーキの順に食べるようになっている。


 一度、次の皿に手をつけたら、もう前の皿に戻ってはいけない……


 ことになっているが、硬いこと言わないで欲しいな~と桜子は常々思っていた。


「まあ、もともとは夕食前のつまみ食いから始まったことなので、どっちでもいい気もしますけどね」

と佐丸は言う。


「辛いものから甘いものに言ったら、また、辛いものに行きたくならない?」

と桜子が主張すると、芹沢が、


「じゃあ、タクアンでも忍ばせていけ」

と言い出す。


 ……いや、そこまでは。


「そうだ。

 辛いものといえば、自動車学校のとき一緒だった人が、日本酒は塩で呑むって言ってたんだけど」

と桜子が話し出すと、前のめりで靴を磨いていた芹沢が顔を上げ、言う。


「……お前の話はどうしてそう取りとめがないんだ」


「慣れてください」

とつれなく佐丸が言っていた。






 アフタヌーンティーの話をしたら、スコーンが食べたくなった、と桜子は近くに店に買いに走った。


 佐丸はまだ本を読んでいて、芹沢は靴を磨いていた。


「三足持ってきたんだ」


 ふいにそう言った芹沢に、佐丸は顔を上げる。


「俺の我が儘を許してくれた叔父たちの靴を磨いてやろうかと思ってな」


 お前も磨いていいぞ、と言ってくるが、

「いや、遠慮しておきます」

と佐丸は言った。


 なんだろう。

 この間も感じたのだが、あまり磨きたいという気持ちになれない。


 あれだけ靴磨きにはまってるのにな、と思う。


 そんな自分の顔を見ていた芹沢が、

「やっぱり、お前は『執事』には向いてないな」

と笑っていた。


「靴磨きも向いてない」

と言う。


 ……なんだろう。


 ひどくけなされている気もするが、愛情も伝わってくる言葉だった。


 芹沢が嫌味で言っているわけではないのはわかる。


 自分が気づいていない事実に気づいている彼が、敢えて言葉には出さずに教え諭そうとしてくれているような。


 小方さんでもないのに、何故、お前にわかる?


 芹沢っ。

 教えてくれっ、と思っていたが、プライドから口が開けなかった。


 自分のこういうところがいけないのだとわかっている。


 こんなとき、桜子はだったら、なんのてらいもなく、

『えー? どうしてなんですか?

 なんでなんですかー?』

と笑顔で訊くだろう。


 ……どうしよう。

 俺より、あいつの方が立派な人間のような気がしてきた。


 今まで、ただの甘ったれだと思っていたのに。


 そして、俺はこういうところを直したくて、執事になったような気もしているのに。


 マイペースな芹沢はもう靴磨きに戻っていて、靴の履き皺に熱心にクリームを塗り込んでいた。


 それを見ながら、確かに俺は此処まで、靴磨きに執心は出来ないかな、と思っていた。


 美しく蘇った靴を見るのは楽しいが、芹沢ほど集中してやってもいない気もするし。


 銀食器だって、そうだ。


 磨くのは楽しかったが、超音波洗浄機で済むのなら、それでいいじゃないかとも思ってしまう。


「……一生の仕事ってなんだろうな」


 つい、普段の口調で、ぼそりとそう言ってしまった。


 芹沢は特に違和感も抱かなかったのか、まだクリームを指で塗り込みながら、

「そうだな。

 とりあえず、それをやって生きて、後悔のない仕事かな。

 まあ、やってみなけりゃわからないけどな」

と言う。


 なるほど。


 とりあえず、靴磨きはやってみたが。

 楽しいが天職ではなさそうだ、と気づいたからな。


 そう思った。






 買い占めちゃった。


 桜子のお気に入りのカフェで、スコーンを売っているのだが。


 ちょうど焼きたてが出てきたので、数も少なかったし、全部買い占めてきてしまった。


 唐橋さんも来るかもしれないし、京ちゃんもプレゼンが終わったら寄るかもしれないし。


 そんなことを考えながら、ビルの近くまで来たとき、鳥をくわえている手嶋さんに出会ってしまった。


「て……手嶋さん」


 手嶋さんが野生にかえっておられる……。


 いや、もともと野良か、と思いながらも、固まっていると、手嶋さんは、ばたつく鳥を口にくわえたまま、なによ~という目でこちらを見る。


 そ、そうだ。

 鳥、まだ生きてるし、と思った桜子は、手嶋さんに呼びかけた。


「て、手嶋さん。

 スコーンあげるから、その鳥離して」


 えー、という顔で、手嶋さんはこちらを見ている。


 鳥は、ひーっ、お助けーっ、という感じで、バタバタ暴れていた。


 今、離せば、まだ大丈夫そうだ。


「鳥がいいなら、ササミ買ってあげるから、その鳥離してっ」


 いや、ササミになってる鳥の命はいいのか、と言われそうだが、まあ、とりあえず、もうササミになってしまっているし、と薄情なことを思いながら、桜子がスコーンを手に手嶋さんの前にしゃがむと、手嶋さんは、それ、なに? という顔をしたあと、鳥を離して、こちらに来た。


 鳥は、ひーっ、殺されるかと思ったーっ、という顔で、逃げていく。


 手嶋さんはスコーンの匂いは嗅いだが、特にお好みではないようだった。


 そのとき、

「なにやってんだ」

と声がした。


 振り返ると、普段着の唐橋が立っていた。


「あれ? 先生。

 今日はツナギじゃないんですね」

と言うと、


「あれは制服だからな。

 返すのに、なかなか家じゃ汚れも取れないんで、今、クリーニングに出してきた」

と言う。


「で、お前は、道端にしゃがんで、なにやってる?」

と問われ、


「いえ。

 今、手嶋さんが野生にかえったので――」

と説明しかけたとき、


「道明寺桜子!」

と女の声がした。


 フルネームで私を呼ぶ人間は、私に敵意がある。


 そう思いながら、顔を上げると、鳴海とあの女が立っていた。


 若いのに、全身ブランド物の女。


 今風に、アレンジはしているが、昭和初期のモダンガールのようにも見えるいでだちだ。


 十文字夜子じゅうもんじ やこ


 佐丸の元婚約者だった――。






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