帰る時間が早すぎますっ






 桜子が唐橋を追っていったあと、彼のカップを下げていた佐丸に、芹沢が言ってきた。


「桜子は、ずいぶん気に入ってるんだな、あの先生」


 気に入ってる……。


 うーん。

 まあ、気に入ってるのか? と多少疑問に思いながらも思っていると、芹沢はいきなり、


「お前は桜子と結婚しないのか?」

と訊いてきた。


 この状況で出来ると思ってるのか、と思いながらも、黙っていると、

「俺とは結婚しないだろうかな」

と言い出した。


 誰が?


 桜子がか? まさか。


「確かに今の俺は職も安定してないから、少し申し訳ない気はするが。

 とりあえず、養えるだけの金はあるしな」


 京介に殴られるぞ。


「なにより、こういうものはタイミングだ。

 お前、桜子と結婚しないのか?」


 またこちらを向いて、そう訊いてきた。


「お前が桜子に申し込むというのなら、俺は待つ。

 ずっと桜子の側に居たお前にまず、権利があると思うからだ」


 ……どうしようかな。

 いい奴だ。


「だが、今すぐ決めろ」


 いい奴だが、せっかちだ。


「さっき、うっかり、ガラス張りなことを忘れてキスしそうになったから、早く決めて欲しいんだ」


 やっぱり、全然、いい奴じゃないぞっ、と思ったとき、ちょうど桜子が帰ってきた。


 その姿を見るなり、芹沢は言い出す。


「桜子、俺と結婚しないか?」


 お前、今、俺を待つって言ったろーっ!


 桜子は突然の展開についていけず、はあ? という顔をしている。


「――と、こいつの後に言おうと思っている」

と芹沢は、いきなり、こちらを指差し、言ってきた。


 それ、言ったも同然だろーっ。


 っていうか、いつの間にか、俺もプロポーズしたことになっているっ!


 ひとっことも喋ってないのにっ!


 この男、公明正大なのはいいが、いろいろと問題があるっ、と佐丸は思っていた。






 なんだかんだで、早めに切り上げ、桜子たちは、五時半には自宅に着いていた。


 なんだったんだ、さっきのは……と玄関前で桜子は思う。


 プロポーズ?


 それとも、冗談?


 そして、佐丸は一言もなにも言ってないんだけど、と横目に見たが、すうっと視線をそらされてしまった。


 やれやれ、と思いながら、佐丸にドアを開けてもらうと、

「お帰りなさいませ」

とちょうど玄関ホールに居た小方が微笑み、その後ろで用事をしていた執事と使用人たちが固まったのが見えた。


 うっ。

 佐丸様っ!


 まだ七時になってませんっ!


 彼らは七時前に佐丸に帰られると、非常にやりにくいようだった。


 だが、……ごめん、みんな、と思いながら、

「ただいま」

と言うと、引きつったような笑顔で、


「お帰りなさいませ」

と言ってくれる。


「あ、私のシューズが」


 洋館だが、一応、靴は脱ぐようになっているので、いつもお気に入りの可愛らしいシューズを用意しているのだが、履こうとしたとき、ストラップが外れてしまった。


 可愛いから、つい買っちゃったけど、雑貨屋で買った、びっくりするくらいの安物だからなーと思っていると、佐丸が、


「壊れましたか?

 お部屋に予備がございます」

と言ってきた。


 えっ? と顔を上げると、

「すぐ壊れそうな安……


 壊れそうな品だなと思いましたので、もうひとつ、同じ物を買い求めておきました」

と言う。


 それは執事らしく、大層気の利いたことだが、やはり、一言余計なようだ、と思い、見ていると、

「仕方ありませんね」

と言って、佐丸は、いきなりお姫様抱っこで抱き上げてきた。


「ストッキングが汚れます。

 部屋までお連れいたしましょう」


 いや、それっ、執事じゃなくて、花婿っ!


 ……どうしたことだ。


 さっきから、超能力者にでもなったかのように、執事たちの心の声が聞こえてくるが――。


 いや、私の心の叫びと彼らの表情が上手く連動しているだけなのか。


 赤くなったり青くなったりしながら、桜子は、ロビーの螺旋階段まで運ばれていった。


 小方が、

「では、夕食の時間を早めるように言って参りましょう」

と言ってキッチンの方に歩いていく。


 そういえば、小方さんは、笑顔、微動だにしませんでしたね、と思いながら、その後ろ姿を見送った。


 それも佐丸の張りついたような嘘くさい笑顔ではなく、実に自然だった。


 さすがだ。

 超執事、小方さん、と思いながら、二階に上がったところで気がついた。


「あっ、そういえば、さっき先生追いかけたとき、あそこの鍵渡そうとしたんだったのに、忘れてたっ」


「……馬鹿め」


「今、馬鹿めって言ったー!? この執事っ」


 抱きかかえられたまま、桜子は叫ぶ。


 だが、佐丸は、

「気のせいです、桜子様」

 しれっと、そう言いながら、小器用に片手でドアを開けていた。








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