わざわざ嵐を呼んでくる人




「桜子っ」


 げっ。

 またこのめんどくさいときに来なくてもーっ!


 視界に入ったその人物に、桜子は心の中で絶叫する。

 ビルに入ったところで、鳴海と出くわしてしまったのだ。


 横に立つ佐丸が、

「鳴海元也……」

と口の中で呟くのが聞こえた。


 やはり、天敵を忘れてはいなかったようだ。


「桜子っ。

 ……と佐丸か」

と鳴海も嫌そうにその名を呼んでいる。


「佐丸。

 お前、まだ桜子につきまとってるのか?」


 ……いや、先輩。

 この人は一応、一緒に住んでる、ほぼ身内な人ですよ。


 周期的につきまっとているのは貴方の方です、と思いながらも、桜子は固まっていた。


 余計な口を挟むと、更にややこしいことになりそうな気がしたからだ。


 佐丸は、鳴海を冷ややかに見ながら、

「桜子様、また妙なものを釣り上げてこられましたね」

と言う。


「桜子様ってなんだ?」

と鳴海がその呼び方に違和感を覚え、彼を見上げた。


 少しばかり、佐丸の方が背が高いからだ。


「私、今は、桜子様の執事をさせていただいております」


 そう佐丸が言うと、なんだ、それ、と鳴海は笑った。


「似合わんぞ、佐丸。

 死ぬほど、偉そうだ!」


 あああ~、誰もが触れないでいるその事実をすっぱりと。


 佐丸は、むっとしているのかどうなのか。

 鳴海を見下ろす佐丸の視線は常に冷たいのでよくわからない。


 ……というか、執事がこんな目しちゃ駄目だろ。


 そこだけは、鳴海先輩が正しいな、と桜子は思っていた。


「そうだ。

 お前たち、会社を作るんだったな。

 訴訟の際は、俺が弁護してやろう」

と鳴海は名刺を佐丸にまで渡している。


「鳴海さーんっ」

とまた、この間の女性が彼を呼んでいた。


「もうーっ。

 行きますよーっ」


 今行くー、と返事をした鳴海はこちらを振り向き、

「そうだ。

 佐丸。


 お前の元婚約者、うちの顧客なんだ。

 お前が此処に居たって教えておいてやるよ」

と言い出す。


 待てっ。

 何故、わざわざ、嵐を呼んでくるっ!?


 それで揉め事を引き起こして、弁護を引き受けようとかっ?


 いや、そんな小細工のきく性格ではなかったか……と思っている間に、


「じゃあなっ。

 困ったことがあったら、連絡しろよ、お前たちっ」

と言って、鳴海は颯爽と去って行った。


 佐丸の手にある名刺を、その場で捨てないとは偉いな、と思って眺めながら、

「なんでうち、訴訟起こされることに決まってるのかしら。

 まだ、なんの会社かも決まってないのに……」


 そう桜子は呟いていた。






「どうした。

 朝から疲れて」


 十一時過ぎ、バイオリンを手に出社してきた芹沢が言ってくる。


「いや、鳴海先輩にまた出くわしてまして」

と桜子が力なく言うと、そうか、と言ったあとで、


「しかし、あの男、腕は確かなようだな。

 まだ新米なのに、なかなか評判がいいようだ」


 前の会社で聞いた、と言ってきた。


 そうか。

 芹沢さんも名刺もらってたよな、と思い出す。


「そうなんですよ。

 あれで意外と切れ者なんです。


 確かに、なにか問題が起こったときには頼りになるかもしれませんが」


 違う問題を呼び込んで来そうだからな、と思っていた。


 本当に佐丸の元婚約者を呼んで来なきゃいいんだが、と思っていると、芹沢が、

「桜子。

 今日は、バイオリンを教えてやろうか」

と言ってくる。


「あ、そうですね。

 じゃあ、私、生徒になってみます」


 芹沢がどんな風に人に教えるのか、自分で体験してみるのも悪くないと思ったのだ。






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