遠い世界に送ってやる……

 




「あー、生き返るー」


 今日、何度目かのそのセリフを吐き、京介はふっと息をつくように天井を見る。


 その姿を見ながら、お前、どんだけ疲れてんだ、と佐丸は思っていた。


 ……まあ、おかわりを淹れてやることもやぶさかではない。


 そう思っていると、京介が言ってきた。


「で、この人材派遣会社は、社長一人、社員二人でスタートすんの?」


 まあ、人数的にも、仕事のバリエーション的にも、ちょっと寂しいかな、と思っていると、桜子も、


「そうねえ」

と言ったあとで、


「そうだ。

 手嶋さんは?」

と言い出した。


「手嶋さんに社員になってもらったら、社員、三人になるじゃない」


 二人と一匹だろうが。


「あの方は野良ですよ」

と思わず言うと、あの方? と桜子がこちらを見る。


 自分が手嶋さんを気に入っていることが伝わってしまったのかもしれないと思った。


「他の方にも養われているようですし。

 勝手に移動させるのはどうかと」

と言うと、そうよね、と桜子は言う。


「手嶋さんが訪れるのを楽しみにしている人も居るだろうしね。

 じゃあ、パートで」


 どうしても、手嶋さんに居て欲しいらしいな……。

 まあ、猫の居る店も悪くはないが。


 猫嫌いな人が来なくなるのはちょっと困るかな、と思っていると、

「でも、そうか。

 手嶋さん、今日は居ないのかー」

と戸口を振り返りながら、京介が言う。


「膝に乗って欲しかったのに。

 あの重みと温かさに癒されたい……」

と呟いた京介は、


「そんなに猫が好きなのか」

と芹沢に言われ、


「いや、落ち着くじゃないですか。

 温かくて、もふもふしているものに乗られると。


 桜子は乗ってくれそうにないし」

と言い出す。


「いや、私、もふもふはしてないからね……」

と桜子は反論していた。


 太っていると言われたと思ったようだ。


 別に太ってはいないが、女はやはり、筋肉の質や量の違いなのか、痩せていても、触ると柔らかいイメージがある。


 寝る前、額にキスするときつかむ桜子の腕もそうだ。

 余分な脂肪などついてなさそうに細いが、触れると柔らかい。


 それはさておき、京介め。


 桜子を膝に乗せようものなら、もう疲れる仕事もしなくていい遠い世界に送ってやる、と思いながら、幼なじみを見る。


 ……俺だって、乗せたこともないのに。


 だが、

『ビールに風呂に、桜子が居たら最高だね』


 そんな軽い調子で、桜子にプロポーズできる京介が少し羨ましい気もしている。


 それにしても、仕事を始めようというだけで、これだけ桜子の周りに男が現れるとは。


 実際に始めたら、もっと新しい出会いがあるんだろうな、と思う。


 今、自分が桜子の執事ではなく、道明寺の会社に入っていたら、この光景を見ることもなく、桜子は野放しだったわけだ。


 そういう意味では、執事をやっていてよかったような。


 いやいや、それが目的で、執事になりたかったわけではないのだが。


 そんな邪な気持ちで執事をしたかったわけではない。


 だからといって、技術だけ磨いても、小方のようにはなれないし、と思っている自分の前で、芹沢と京介は、しょうもない話をしている。


「靴屋といえば、小人さんが勝手に靴作ってくれる場所ってイメージがあるんですが」


「いや、靴屋じゃなくて、靴磨き屋なんだが……。

 第一、駄目だろ。

 勝手に、小人が靴作ったり、磨いたりしちゃ。

 その過程が楽しいんだから」

と芹沢は言っている。


 過程が楽しい、か。


 執事は常に主人の希望に沿うように動くもの。

 希望を叶えるために努力することが楽しいってことかな、と思う。


 桜子の願いは――


『働きたいんだけど』


 この世で最も難しいお嬢様の依頼だと思っていたが、と芹沢たちと楽しげに話している桜子を見る。


 そうでもないか。


 ……俺より、こいつの方が余程しっかりしている気がしてきた、と佐丸は思う。







「あ、自分の靴を磨き出した……」


 夜、靴置き場に居ると、桜子がそう言いながら、やってきて、側に腰掛ける。


「お前が今日、磨くほど汚さなかったから」

と言うと、


「じゃあ、水たまりの中歩いてこようか」

と阿呆なことを言い出す。


 しばらく、膝に両の手で頬杖をついて、桜子は目の前のシューズケースを見ていたが、


「煮詰まると、鍋磨いたり、水槽眺めたりする人が居るけど……」

と言いかけやめる。


 俺がそうだと言いたいんだろうな、と思いながら聞いていた。


 そして、芹沢も――。


 だが、芹沢は逆に、それを一生の仕事にすることにしたようだが。


「まあ、深く考えなくていいんじゃない?

 小方さんのようにしようと思っても無理だし。


 人真似も入り方としては悪くないかもしれないけど。

 小方さんは、佐丸には佐丸のやり方を編み出して欲しいと思って、自分から切り離した場所に置いたんじゃない?」

と桜子は言ってくる。


 指にクロスを巻きつけながら、

「お前は実は、経営者に向いてたな」

と呟くように言うと、桜子はそんな自分を意外そうに見た。


 いや、人の上に立つのに向いていた、というべきか。


 桜子は、意外とよく人を見ていて、相手の気持ちを盛り立てる言葉を知っている。


 そして、どんなときでも、前向きだ。


 あのまま父親が生きていたら、魁斗のように、なんの迷いもなく、人の上に立つ道を自分も突き進んでいたのだろう。


 それも悪くはないとは思うが。


 こうして、立ち止まって考えたことは、きっといつか、自分と自分が向き合うべき仕事にとって、役にたつんじゃないかと、今は思える。


 桜子のこんな一面に気づけたように。


「わかったよ。

 思うようにやってみるよ。


 おやすみ」

と桜子の腕をつかみ、額に口づけようとして迷う。


 キスしたい、唇に、今――。


 でも、今、それをする資格は自分にはない気がしたし。


 桜子はそれを望んでいないような気もしていた。


 軽く額に口づけたが、長年の習慣であるそれすらも、今は何故だか、するのが恥ずかしいような心地がしている。


 執事になりたいと言ったことを後悔はしていないが――。


 このままだったら、別の誰かが桜子と結婚するのだろうな、とは思う。


『今ならまだ間に合うぞ』


 そう魁斗に言われている気がした。





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