私、九時までは執事ではございません





「桜子……」


 朝、桜子が起きて来ないので、遅刻するだろ、と思った佐丸は、いつものように、申し訳程度のノックをして、ドアを開けた。


 桜子はベッドでお姫様のように寝ていたが、何故かその胸には、あの赤い靴を抱いている。


 何故、俺がやった方じゃなく……と思いながら、枕許にあるピンクの靴を見た。


 あの女が買ってやった方がいいというのか?

と腹が立ち、そのまま起こさずに、放っておいた。





「佐丸ーっ」


 しばらくして、桜子が着替えて駆け下りてきた。


 もう九時だ。


 芹沢は今日は残務処理で午前中は前の会社に行ってくると聞いていたので、放っておいたのだ。


「なんで起こしてくれないのよーっ」

と桜子が飛び跳ねる。


 髪の分け目が少しおかしい。


 手で直してやりながら、

「私、九時までは執事ではございません」

と言うと、


「友だちでも起こしなさいよねーっ」

と言ってきた。


 友だちか、と思いながら、

「目覚ましくらいかけたらどうですか? 桜子様」

と言うと、


「いつもは自然に目が覚めるんだけど。

 今朝は、悪い夢を見て、大変だったのよ。


 魔女なお妃様が、いひひひひって」

とわからぬことを言う。


 その足許には自分が買ってやったピンクの靴。


「赤い靴の方が気に入ってるんじゃなかったんですか?」

とあの靴を抱いて寝ていた桜子を思い出しながら、多少嫌みまじりに訊くと、


「どっちも好きなんだけど。

 高いヒールは普段はね。


 それに、志保さんが、いざってときに履きなさいって言ってたから。


 ……いざっていつなのかしら?」

と訊いてくるが。


 俺が知るか、と思いながら、まるっと無視して、

「さあ、参りましょう」

と言うと、


「答えたくないときには答えない執事ってどうなのよっ。

 っていうか、私を置いて、先を歩く執事ってどうなのよっ」

と後ろから文句を言ってくる。


 先導してやってるんだろ。

 それとも、後ろから、ボールペンか銃で、早く行け、と小突いてやろうか、と思っていると、戸口の近くで控えていた小方が笑って見送っていた。


「行ってらっしゃいませ」







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