相変わらず、困った人です

 



「佐丸、重曹はいいぞ、重曹は」


 なんの話をしてるんだ、この人たちは、と思いながら、桜子は、ソファから唐橋たちを見ていた。


 二人はスタッフルームについている簡易キッチンの掃除をしている。


「仕事では強力な専用の洗剤を使うことが多いんだが、俺は家ではもっぱら、重曹だ。


 特に重曹がクエン酸か酢で、ぶあーっと発泡するのが好きだ。


 ああ、排水管が綺麗になってるなあっ! って感じがするからな」


 生き生きと語ってるなーと唐橋の後ろ姿を見ながら、桜子は苦笑する。


「メラミンスポンジも好きだ」

と言いながら、持ってきた大きなメラミンスポンジを手でちぎっていた。


 そういえば確か、唐橋は、バスケ部の顧問だったが、

『先生、お宅の部室、汚いです』

と女性の先生に文句を言われても、まあいいじゃん。死ぬわけでもないしー、みたいな感じだったのに。


 変われば変わるもんだな、と思い、眺めていた。


「佐丸」


 四角く千切ったメラミンスポンジの角でシンクの細かい隙間も掃除しながら、唐橋は言う。


「俺は、教師を一生の職だと思っていた。

 学生時代の塾講師から始まり、それしかやって来なかったから、それしか出来ないと思ってた。


 ずっと学校から出たことのない人間だから、なんのつぶしもきかないんだろうな、と。


 だけど辞めてみて、そうでもないな、と気づいたよ。


 ちょっと目の前が開けた感じがするって言うか。


 一生同じ仕事をして大成出来る人も居るだろう。


 途中で転職して、前のスキルが意外に活かせる人も居るだろう。


 でも、俺みたいに、全然違う仕事について、こういう仕事もいいじゃないかって思える奴も居る。


 お前が将来、執事を辞めて、会社に戻ったときに、今やってることが活かせるか、活かせないかわからないけど。


 それでもいいんじゃないか?


 今、やってみたいのなら」


 佐丸がなにか言いかけた。


「まあ、そのまま執事で居続けるというのも、もちろん、アリだ。


 ただ、道明寺の会長は、お前が父親の会社を継ぐときに役に立つと思って、今、なにも言わないでお前の好きにさせている感じはするけどな」


 佐丸もそう思っているのか、黙り込んでいた。


「先生は、おじいさまをご存知なんでしたっけ?」


 そう桜子は訊いてみた。

 なんだか、会長の人となりを知っている感じだったからだ。


 うん、知ってるぞ、と磨きながら、唐橋は答えてくる。


「お前のイトコに、お前とは違う意味で問題のある奴が居たろ」


 お前とは違う意味で、の一言が気になるが……と思いながら、

「どのイトコですかね?」

と訊いてみた。


 イトコもたくさん居過ぎて、よくわからない。


 妾腹の子とかも居るしな、と思っていると、

「いや、親がてんで話にならない親で、俺が家まで怒鳴り込んでいったんだ。

 そのとき、道明寺の会長とやらが来てた」

と言う。


 佐丸は、てんで話にならない親っていうのは、あの辺かな? この辺かな? と思い浮かべてみているようだった。


 唐橋は笑いながら、

「その、お前のイトコと親が俺に怒鳴られてるのを見て、会長、笑ってたぞ」

と言う。


 ……笑ってそうだな。


「お前に似て、肝据わったジイさんだな、と思った」


 うーん。

 褒められたのか? と思っていると、佐丸が、

「ありがとうございました。

 お茶を淹れますので、どうぞ」

と言い出した。


 なんだかわからないが、気が済んだようだ、と思う。


 そうか、と笑った唐橋の人懐こそうな顔に、こういう表情が人気の秘密なのかな、と思っていると、唐橋はこちらを振り向き、


「そうだ、桜子。

 お前、手嶋さんに会いたがってたろ。


 さっき、外に居たぞ」

と言ってくる。


「えーっ!

 さっきって、いつですかっ?」

と桜子は立ち上がった。


「俺が来たとき」


「早く言ってくださいよっ」

と外に出ようとすると、


「桜子っ。

 このビルの付近だぞ。


 道路を渡るなよ。

 渡るときは、右見て左見て、また右を見ろっ」

と唐橋は小学生に言うようなことを言う。


 さすがの佐丸も口を挟む隙がなかったようで、少し笑って、

「いってらっしゃいませ、桜子様――」

と言っていた。


 その顔を見ながら、なんとなく、ほっとする。





「手嶋さーん」


 手嶋さん、やーい、と言いながら、このやーいってなんなんだろうな、と思いながら、桜子は、例の路地の前でしゃがむ。


 しかし、やはり、苦労してきた人の言葉は重みが違うな、と唐橋の言葉を思い出しながら、思っていた。


 佐丸の指針になればと思い、呼んでみたのだが、自分もまた、唐橋の話を聞いて、いろいろと思うところもあった。


 高層ビルの隙間の狭く薄暗い路地は、そこだけ切り離されたように冷たい風が吹いている。


 そこを覗き込んでいると、

「あら、桜子さん」

と声がした。


 振り向くと、ショートカットの美女が。


 見紛う事なき、佐丸の母がそこに立っていた。


 その歳で、真っ赤なタイトのワンピースを着こなせるのは貴女くらいですよ、と思いながら、志保を見上げる。


「お、お久しぶりです。

 佐丸に会いに来られたんですか?」

と言うと、


「あら、此処が噂の貴女たちのお店なの?」

と路地の横のまだなにもない店舗を見て言う。


 どうやら、たまたま通りかかったようだ。


「そうなの。

 佐丸によろしくね」

と言い、志保はあっさり行こうとする。


「あの、佐丸にお会いになって行かれませんか?」

と立ち上がりながら言うと、


「いいえ、結構よ。

 生まれたときから、ずっと見てる顔だもの。


 わざわざ、また見る必要はないわ」

と言ってくる。


「罵られるのも面倒臭いしね。

 佐丸をよろしくね、桜子さん」


 じゃあ、と志保はさっさと帰っていってしまった。


 相変わらず、困った人だな~と思いながら、桜子は、まったくスタイルの崩れていないその後ろ姿を見送った。






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