手嶋さんVS執事
喫茶店がいいよ!
ふう~、ちょっと疲れたな、と思いながら、杉原京介はまだオープンしていないそのビルの前を歩いていた。
喉も渇いた。
アイスコーヒーでも飲みたいな。
そんなことを考えながら、ふと見たのは、ちょうど桜子たちの店舗のところだった。
明かりのついていない、そのガランとしたスペースの奥になにかが見える。
見えそうで見えないと人は気になるものだ。
なんとなく足を止め、眺めていると、やはり、近くに居た女の子たちも同じように眺めていた。
薄暗く、広いスペースの奥の方。
白いものがゆらゆらと揺れている。
……霊!?
と思わず思ってしまったが、違った。
デパートで見かける下着や水着のマネキンのような。
歩くのとか不安定じゃないか? と問いたくなる、バランスの良すぎる長い手脚の女がレオタード姿で、バレエの基礎レッスンをしていた。
「此処、バレエ教室になるのかなあ」
「いいよね、大人のバレエ教室。
レオタード着たいなー」
少し離れた位置から覗いている女子たちが口々にそれを見ながら言っている。
……バレエ教室?
いや、俺は反対だっ!
そう思った京介は、オーブンを前に、人の出入りの激しくなっているビルの中に、自分も業者と共に入っていく。
桜子たちのスタッフルームになっているドアをノックした。
「はい。
おや、杉原様」
と何処がスタッフルームだと問いたくなるようなアンティークな家具が揃った部屋の前で、佐丸が顔を覗けて言ってきた。
佐丸に杉原様とか呼ばれると、ぞわぞわっと来るな、と思いながらも言う。
「桜子に伝えて。
――喫茶店がいいよ!」
またこいつ、なにを言い出した、という顔で佐丸が見る。
「此処、喫茶店がいいよ!」
とその顔を見ながらも繰り返す。
人の気配を感じてか、桜子がレオタードの上にウォームアップ用のニットを羽織って現れた。
「桜子、喫茶店がいいよ!」
「お帰りください」
「此処、喫茶店がいいよっ!」
「阿呆みたいに繰り返すなっ。
お帰りくださいっ」
と佐丸は胸を押して、自分を追い返そうとする。
「佐丸っ!
今、本音がもれたろっ。
桜子、此処、喫茶店が……っ!」
やかましいっ、入れっ、と周囲を気にした乱暴な執事に胸倉をつかまれ、引きずり込まれた。
「あー……。
生き返るー」
佐丸の趣味だという立派なソファに腰掛け、京介は淹れてもらったアイスコーヒーを飲んでいた。
「それ飲んだら、とっととお帰りください、杉原様」
「どんな執事よ、佐丸」
と向かいに座り、アイスコーヒーを飲む桜子は苦笑いしている。
「なにが喫茶店ですか。
単に今、アイスコーヒーが飲みたかっただけでしょう」
と冷たく佐丸は言ってくるが。
「いやー、営業で廻ってるとさー。
いつも、ちょうどこの辺でいつも喉が渇いてきて、ひと休みしたくなるんだよ」
喫茶店やるのに、いい場所だと思うよー、と言ってみた。
お前にとってはだろうが、という目をしたあとで、佐丸は、
「今のところ、靴屋か靴磨きの店になる可能性が高いです、杉原様」
とあまり嬉しくはなさそうに言ってくる。
「まあ、外では、今、此処、大人のバレエ教室になる話になってたけどね」
と教えると、佐丸は目だけで、
桜子っ! と睨んでいた。
相変わらず、目だけで、斬り殺しそうな奴だ、と思いながら、それを眺める。
桜子はアイスコーヒーを飲みながら、自然な感じを装い、視線をよそへとそらしていた。
「まあ、なんでもいいけど、早くしなよ。
もうこのビル、オープンだよね?」
と言うと、今度は桜子が渋い顔をする番だった。
「……京ちゃんはいつも、素敵な笑顔で恐ろしい真実を突いてくるわ。
私が幼稚園のとき、ステープラーで指をぱっちん、したときだって――」
痛い話をするな、という顔を佐丸はしていた。
アイスコーヒーを飲み終え、
「そうだ。
猫カフェは?」
と言うと、
「カフェから離れろ……。
……離れてください、杉原様」
と佐丸が言い直す。
見兼ねた桜子が、
「あのー、京ちゃんには敬語じゃなくていいんじゃないの?
佐丸は私の執事で、京ちゃんの執事じゃないし」
と言ってきた。
「いいえ。
一応、桜子様のお客様ですし」
と言われたので、
「じゃあ、お前の客でいいよ」
と言うと、
「私の客なら、そんな偉そうに寛がないでください」
と言われてしまう。
「何故、突然、猫カフェなんですか、杉原様」
と佐丸が訊いてきた。
「いや、さっき、そこで、ビルとビルの隙間を抜けてくブサ可愛な猫見たから」
と言うと、桜子が、
「手嶋さん!?」
とテンションを上げて言ってくる。
「え? 手嶋さん?」
と訊き返すと、
「そんな名前の猫が居るんですって。
メスの三毛でぶさ可愛なの」
「ああ、そう。
三毛だったよ。
メスかどうかは知らないけど」
と言うと、桜子は立ち上がり、
「うそっ。
見に行くっ。
教えて、京ちゃんっ」
と言い出した。
なんか幼稚園のときとテンション同じだな、と苦笑しながら、
「じゃあ、今から……」
と立ち上がりかけると、佐丸が顔を近づけ、言ってきた。
「そろそろお帰りください、杉原様。
お仕事お忙しいんじゃないんですか、杉原様」
顔が整ってる分、倍怖いな……と思いながらも、行こう、と手を引っ張ってくる桜子の指先の細さと柔らかさにだけ神経を向けていた。
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