お気楽清掃員VS執事

脚立とともに現れました


 



 次の日、桜子は朝からご機嫌だった。


 佐丸の靴磨きの腕がどんどん上がって行っているからだ。


 今日の靴も新品同然。


 ふふ、と笑いながら、もう何処もかなり出来上がってきているビルの中を歩く。


 いきなり、佐丸が靴磨きに飽きなきゃいいけど、と思っていると、向こうから、脚立を担いだツナギ姿の男がやってきた。


 帽子の下の顔は、若いようなそうでもないような、男前のようなそうでもないような。


 ちょっと不思議な顔だったが、感じは悪くない。


 こちらを見、ペコリと頭を下げかけ、おや? という顔をした。


「桜子」


 いきなり名前を呼ばれ、へ? と足を止める。


「俺だ」

と男はツナギと同じ色の帽子を脱いだ。


「あっ、唐橋からはし先生っ」


 唐橋は、桜子の高校のときの担任だ。


「先生、なにしてるんですか?」

と懐かしさから微笑みかけながら訊くと、


「見てわからんのか、清掃員だ。

 婚約者に逃げられて、しばらく失踪してたんだが、今は立派に清掃員として働いている」

と言われた。


 そ、そんなことを笑顔で言われても……と思いながらも、沈黙するのはまずいかとなんとか言葉を紡ぎ出す。


「それにしても、先生、随分、穏やかになられましたね。

 一瞬、誰だかわかりませんでした」


「前からこんなもんだったぞ、仕事外では。

 阿呆な生徒を怒らなくてもいいからな」



 阿呆な生徒とは、私のことだろうか、と思っていると、唐橋は、

「俺はそうやって、オンとオフを切り替えてるつもりだったんだが、実生活でも、つい、先生になっていたらしく、ずっと命令口調で話していたらしい。


 貴方、家でも、一生、先生なの? って婚約者に言われて、式の直前に逃げられた」


 だから、笑顔で言わないでください……。


「で、今は清掃員をやっている。

 お前は此処でなにをしている桜子」


 その口調に、そういえば、佐丸程ではないが、上からだな、と思った。


 自分たちにとっては、先生だから気にならないが。


 婚約者だったら、確かに、気になるかも、と思ってしまう。


「そ、それが、実は、働こうかと」

と言うと、


「ほう。

 お前がか」

と微妙に莫迦にしたように言ってくる。


 婚約者の代わりに私が足を踏んでやる、と思っていると、


「まあいいじゃないか、頑張れ。

 実はちょっと心配してたんだ。


 こいつ、このまま、世間を知らないままで嫁に行くのかと」

と言い出した。


 そ、そうでしたか、と思っていると、

「まあ、佐丸のことだから、お前の扱いにはなれてるだろうけど」

と言うので、


「ちょ、ちょっと待ってください」

と話を止めた。


「なんで、そこに佐丸が出てくるんですか?」

と言うと、唐橋は、ん? という顔をする。


「お前の婚約者は佐丸じゃないのか?

 違う学校なのに、いつも迎えに来てただろ」


 ……それで、他の女生徒たちに、壁際の王子様とか呼ばれてたんだったな、と思い出す。


 それで唐橋も佐丸を知っていたのだ。


 だが、桜子は、壁際がなんだか、瀬戸際に聞こえて、ギリギリ王子様くらい、という意味だろうか、と思っていたのだが。


 王子様というには、言うことが手厳しかったから、そう思ってしまったのかもしれないが。


「佐丸の婚約者は別に居ますよ。

 もう逃げましたけど……」

と言うと、唐橋は、


「そうか、仲間だな!」

と笑い、


「今なら、あいつともゆっくり語り合えそうだ。

 今度、二人で呑もうと伝えてくれっ」

と言い出した。


 ……二人で嫌な話が始まりそうだ、と思っていると、


「桜子、お前、なんの仕事をするつもりか知らないが、用があったら呼んでくれ」

と言い、唐橋は清掃会社の名前入りの名刺をくれた。


 なんの仕事をするのか知らないが、か。


 いや、それ、私もわかってないんですけどね、と思いながらもとりあえず、ありがとうこざいます、と名刺を押し頂いた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る