働く気はないのだろうか……?



 こいつ、働く気はないのだろうかな、と思いながら、佐丸は桜子を見ていた。


 働きたい、という意志はあるようだが、なにもビジョンが見えてこない。


 ふと、思いついたんだろうな。

 まあ、昔からそういう奴だから。


「おかわりはいかがですか? 桜子様」


「うん。

 もらおうかな」

と言いながら、桜子はカップを手にぼんやりしている。


 ……割るなよ、と思っていた。


 まあ、ちょっと気持ちはわかる、と思いながら、佐丸は桜子のカップにお茶をそそいだあと、彼女のつむじを見ていた。


 魁斗も道明寺の会長も、自分はそのまま、道明寺の系列の会社で働くものだと思っていたようだ。


 自分もそう思っていた。


 だが、大学院を卒業し、いざ働くとなったとき、なんだか躊躇してしまったのだ。

 これは本当に自分の望む道なんだろうかと。


 父親が生きていて、会社も乗っ取られることもなく、後を継いでいたら、きっと、こんな風に立ち止まって考えることもなかっただろうに。


 そんなことを考えていたとき、父が亡くなり、すべてを失ったあと、特に慰めの言葉をかけることもなく、気遣ってくれた小方のことを思い出した。


 そうだ。

 執事になろう。


 俺は小方のような執事になりたい気がする――!


 桜子に言ったら、

「なにそれ、単純」

と罵られそうな気がするので、その思考の過程は話さなかったが。


 桜子の祖父である会長も、彼女の父も、自分の父親も立派に働いていた。


 尊敬に価する人物だとは思うのだが、忙しすぎて、子供にはその働きぶりが見えては来なかった。


 だから、身近に居て、仕事ぶりが見られる小方ををお手本としたいと思ったのかもしれない。


 そういえば、あのとき、自分を救ってくれたのは、小方だけではない。


 父の訃報は、桜子の家に遊びに来ていたときに届いた。


 小方に渡された電話でそれを知り、もう通話の切れた受話器を握ったまま、黙っていた自分の手をただ握ってくれていた桜子。


『ずっと此処に居て、佐丸。

 私たち、兄妹になりましょう』


 ……いや、俺は、お前と兄妹になりたいわけじゃないんだが、と思わなくもなかったが。


 世話になった道明寺家に恩返しをしたいのなら、魁斗と共に、会社をもりたてていくことが一番だいうのはわかっている。


 だが――。


「……働くってなんなんだろうな」


 思わず、そうぼそりと呟く。

 桜子がこちらを見た。


 彼女もきっと同じことを考えている。


 自分も桜子も特にお金に不自由したことはないが、そのお金も天から降ってきたものではない。


 自分や桜子の親たちが寝る間を惜しんで働き、稼いできた金だ。


 いや、寸暇を惜しんで働いてるのは、仕事が好きだからだろ、と言われたら、それまでなのだが。


 仕事とは、お金を得るためのものなのか。

 生き甲斐を見つけるためのものなのか。


 生き甲斐か。


 でも、幾ら好きな仕事だからって、あんまり賃金が安過ぎて、家族を養っていけないようではな。


 考え方は人それぞれだが、自分の理想を追い求めて、家族に苦労させるのも間違っている気がする。


 まあ、養う相手にもよるが。


 桜子はもう紅茶は飲まずに、窓の外の通りを見ていた。


 執事の年収は悪くないが、それは結構な激務だからだ。


 今の自分のように働いてるんだか働いてないんだかわからない状態でそれをもらっているのは申し訳ない感じだ。


 だから、会長たちのご恩に報いるには、せめて、この莫迦娘を一人前の社会人に育て上げなければ――!


 いや、自分のような半人前の人間にそれが出来るとも思えないが、せめて、道を踏み外さないように見張っておかなければ、と決意を新たに思っていると、桜子がこちらを見上げ、


「あのー、佐丸。

 人の顔見つめて考え事するのやめて……」

と言ってきた。


 どうやら、さっきからずっと桜子の顔を凝視していたようだ。


 自分には、考え事をするとき、人でも物でも、すぐ側にあるものを見つめてしまう癖があるらしい。


 そういえば、そのせいで、自分には謎の婚約者が居たな、と思い出す。


 自分が武田の後継ぎでなくなったことで、話は立ち消えたようだが。


 そのことだけは、まあ、よかったかな、と思っている。


「よしっ」

といきなり桜子が立ち上がった。


「ちょっとビルの中、歩いてくる」

「ついて参りましょうか」


「いや、一人で考え事したいから」

と言う桜子に、


「まだ工事中のところも多いから気をつけてくださいよ」

と言った。


 はーい、と言って、桜子は出て行く。


 もうすぐ、このビルの中も賑やかになる。


 まあ、うちの仕事始めは間に合わないだろうけどな、とティーセットを片付けながら、佐丸は思った。





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