執事様、満足げです
その翌日、佐丸は普通にスーツ姿で、部屋を訪ねてきた。
九時きっかりに。
ノックをしろと言ったので、そこは、主人に忠実にノックをしてきた。
まあ、はたから見ていたら、おかしな光景かもしれないと桜子は思う。
主人の部屋のドアをノックしないで開けていいはずの執事のときには、ちゃんとノックをして。
執事でないときには、勝手にドアを開けてくる。
うーむ、と思っていると、新米執事の佐丸は、新入社員のお手本になれそうな正しい姿勢で一礼してくる。
さっちゃんとか居たら、うっとりしそうだな、と佐丸に憧れている友人を思い出しながら、桜子はその様子を眺めていた。
私は見慣れてるから、見惚れたりとかしないけど。
……いやいや、ほんとに、と思っていると、佐丸が言ってきた。
「おはようございます、桜子様」
「おはよう」
と言うと、そのまま沈黙している。
嘘くさい笑顔のまま、恐ろしいくらい表情が動かない。
この執事、怖いよ、と思っていると、
「なにかご用事はございませんか」
と訊いてくる。
笑った唇のまま、ほとんど形を崩さずに。
……腹話術か、と思いながら、桜子は言った。
「ご用事なんてないわよ。
身の回りのことは自分で出来るし」
と言うと、佐丸は沈黙したが、その目は桜子の髪を見ていた。
身の回りのことは自分で出来るって、その仕上がりでか? という顔をしている。
ほっとけ、と思いながら、
「っていうか、そういう指示待ち、良くないんじゃないの?
仕事をする上で」
と言ってやると、佐丸は、ほう、そう来たか、という目をした。
「では、桜子様。
身支度を整えられるのをお手伝い致しましょう」
とさっと手を取り、白いドレッサーの前の椅子に桜子を座らせる。
というか、いつ、座らせられたのかわからなかった。
気がついたら、座っていたというか。
柔道の達人に手を取られた瞬間に、いつの間にか、畳に叩き付けられていた、くらいのスムーズさだった。
いや、例えが悪いか……と思っている間に、佐丸は桜子の髪をとかし直し、邪魔だったサイドの髪を少しふんわりとさせて、後ろで止めてくれる。
「いつもどうかなと思っておりました」
と言う余計な一言を付け加えながら。
この執事ーっ、と佐丸が置いたブラシを握っていると、佐丸は楕円の鏡の中の桜子を見て、頷く。
「今朝も完璧な美しさですね、桜子様」
だが、佐丸が心の中では全然違うことを考えているのを桜子は知っていた。
『完璧な美しさですね』
私の仕上げた髪が――。
どうですか、凄いでしょう、
『桜子様』
あのー、飲み込んだ言葉が、目に表れてるんだけど、と桜子は思う。
満足げな佐丸は私のことなど見てはいない。
自分の仕事に満足しているだけだと桜子は知っていた。
佐丸は自分のことを完璧な執事になれると思っているようだが――。
確かに慣れてくれば、気もきいて、仕事も完璧になるだろう。
だが、主人にその心の内を読み取られるようでは執事として失格なのでは……と思っていた。
そんな佐丸の仕事を始めた当初のことを思い出しながら、桜子は、今、目の前で紅茶を淹れている佐丸を見ていた。
どうやら上手く淹れられたらしい。
満足げだ。
どうも暇な私がこいつの執事ごっこに付き合わされているような気がしてしょうがないんだが、気のせいだろうか、と思っていると、佐丸は、エインズレイのオーチャードゴールドのカップで紅茶を出してくる。
イエローゴールドのカップの内側にも外側にも鮮やかに果物が描かれたそれに、佐丸の淹れた紅茶の色がよく映えていた。
うん。
悔しいが、美味しいな。
本当に技術的なことでは、あっという間に一人前の執事になったと思う。
まあ、元々、なんでも出来る人だからな、と思っていると、
「ところで、桜子様。
会社を作るに当たり、なにかビジョンとかあるのですか?」
と佐丸が訊いてきた。
「そうねえ。
人の役に立つ仕事とか?」
と言うと、
「桜子様。
すべての仕事が人の役に立つ仕事でございます」
と言う。
……たまには、いいこと言うな、佐丸、と思っていると、
「他に、なにかお決めになったことはないのですか?」
と更に突っ込んで訊いてきた。
家庭教師に詰問されているような気分になりながら、
「そうね。
……あっ、そうだ。
このビルに私のお気に入りの珈琲ショップが入るらしいから、とりあえず、珈琲はそこから取ろうと思うんだけどっ」
早口にそう言ってみたが、佐丸の黒い瞳の中には、このクソたわけが、と書いてあった。
「なによ。
細かいことでも、ひとつずつ決めていったら、いつか会社が完成するのよ。
道路を作って、線路を敷いて、駅を設置して、いろいろ誘致していたら、いつか街が出来るようにっ!」
都市開発ゲームかよ、と突っ込みたかったらしい。
だが、さすがは執事、その言葉は飲み込んだようだった。
代わりに、佐丸の口から出たのは、
「そうでございますか。
では、次は文房具などの消耗品を何処で買うのか、決められたらいいと思いますよ」
という嫌味だった。
目で訴えていることも、口から出ていることも、大差ない気がするのは気のせいだろうか……?
やはり、完璧な執事だと思っているのは、本人だけだな。
主人にこんなストレスを与える執事は間違っている、と桜子は思っていた。
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