とりあえず、お茶の時間です



「ところで桜子様。

 お茶の時間ですが、今日はなにになさいますか?」


 上着から磨かれた懐中時計を出した佐丸が唐突に訊いてきた。


 お前は白ウサギか。


 腕時計やってるし、スマホも持ってるのに、何故、懐中時計を見る……と思いながら、

「今、喉乾いてないんだけど」

と言ったのだが、


「お茶の時間ですが、なにになさいますか?」

とあの目で自分を見下ろし、淡々と繰り返してくる。


 単に、自分がお茶を淹れたいんだな……と桜子は思っていた。

 佐丸は最近、紅茶を淹れるのに、はまっているのだ。


「では、どうぞ、奥の間に」


 奥の間、というか。


 本来、此処も会社か店舗スペースの一部になるはずなのだが、何故かそこには家のリビングのようにに、イギリスの美しいアンティーク家具が雑誌の一ページのように配置されている。


 悪くないが、これを揃えたのは自分ではないし、自分の趣味でもない。


 佐丸の仕事だ。


 人が来るたび、褒められるが、なにかが間違っている……と思っていた。


 こいつは、他人の目に完璧に映るように仕事をするが、主人の意向をまったくんでいない。


 どんな執事だ……。


 思えば、最初からなにかが間違っていた、と桜子はあの親族会議の晩のことを思い出す。


 小方に、自分に仕えてみろ、と言われたその晩、佐丸は部屋にやってきた。


 申し訳程度にノックされたが、いつものように返事をする前に、すぐにドアが開く。


 執事は主人の部屋のドアは、ノックをしないで開けていいとか言われているようだが、冗談はよせ、と思っていた。


 此処は日本だ。


 そして、佐丸は、そうは思っていないかもしれないが、私は年頃の娘だ。


 まあ、執事でもないのに、形だけのノックでドアを開けてくる男になにを言っても無駄かもしれないが……。


 そんなことを考えている間に、佐丸はこの部屋で一番のお気に入りらしい、フランス製の一人がけの椅子に腰を下ろしていた。


 落ち着いた柄のグリーンの布が張られた、ウォルナット材のアームチェアだ。


 優美でアンティークなその椅子は佐丸によく似合っている。


 佐丸には昔から、滲み出す品の良さと王者の貫禄のようなものがあった。


 砂場にスコップ持って立ってても王様みたいだったからな……。


 しかし、品が良いのは執事としてもいいことだが、この高慢そうな雰囲気をまとったまま、どうやって、執事に? と思っていると、佐丸はその偉そうな態度で腰掛けたまま、

「桜子。

 執事って、なにするんだろうな」

と言ってきた。


「見て覚えろと小方は言うが、九時から七時までお前についとけと言うんだよ。

 なにもしないお前についてて、なにがわかると言うんだ。

 見て覚えようにも、他の執事も小方も、全然違うところに居るじゃないか」


 それは、体よく追い払われたのでは……と思っていたが、言わなかった。


 それにしても――。


「執事か……。

 そういえば、執事って、具体的には、なにをしてるのかしらね?」


 みんないつも忙しそうだが、なにをしているのかよくわからない。


 そうねえ、と佐丸の側で、桜子は顎に手をやり、小首を傾げる。


「燕尾服を着るとか?」


「この日本に居るわけないだろ、そんな執事」


 お前、見たことあるのか、と言われてしまう。


 いや、まあ、確かに。


「燕尾服着て歩いたら、目立ってしょうがないだろうが。

 あそこに金持ちが居るとバレて、雇い主が狙撃されるわ」

と言われてしまう。


 執事が刺客になってしまうな……。


「ま、まあ、佐丸が燕尾服着ても、似合い過ぎて、コスプレかと思われるだけだと思うけど……」


 しかし、執事。

 執事か、と呟きながら、桜子は大きな書棚から、辞書を取り出そうとした。


 佐丸がさっと取って、デスクに置いてくれる。


 うーむ。

 こういうところは、最初から執事っぽいような気がする。


 佐丸は口は悪いが、女性に重いものを持たせたりしないように躾けられている。


 ……あのお母様の躾だろうな、と今は一緒に暮らしていない佐丸の母、志保しほを思い出していた。


「執事――。


 身分ある人の家で庶務を行う人。

 庶務……?」

と桜子はまたページを捲る。


 意味がわからなかったのではない。


 だから、どうしろと? と思ったからだ。


「庶務。

 雑多な事務」


 うーん、と二人で頭を抱えた。


「この俺にもわからないことがあるとは。

 いや、知識としては、わかってはいるんだ。


 本も読んだ。


 だが、実際に、お前の執事として働けと言われてもよくわからん」

と佐丸は言い出す。


 この頭でっかちめ。


 勉強は出来ても、実践で役に立たない典型だな、と思っていると、

「ところで、お前をお嬢様とか虫唾が走るから、桜子様でいいか」

と言い出した。


「もうなんでも好きにして……」


「気が向いたら言ってやる。

 じゃあ、おやすみ」


 はいはい、おやすみなさい、王様、と思っていると、佐丸は桜子の両肩に手を置き、その額に口づけてきた。


 佐丸……。

 前から言おうと思ってたんだけど、と桜子は思う。


 それ、日本の他の家庭ではやってないからっ!


 海外を点々として育った志保さんだけの習慣だからっ。


 確か、小さい頃は、兄、魁斗にもやっていた。

 さすがに今はやめたようだが……。


 女子にこそやめた方がいいと思うのだが、きっと佐丸の目には自分は年頃の娘には映っていないのだろうな、と思いながら、部屋から出て行く佐丸を見送る。


 通りかかった若い執事に、佐丸が、

「すまないが、ホットミルクを」

と言っていた。


 後ろから桜子は言う。

「そういうのをやるのが執事じゃないのっ?」


「実際やるのはフットマンだろっ」


 フットマンとは男性の使用人のことだ。


 この知識ばかり先走る頭でっかちめっ。


 さ……先が思いやられる、と思っていた。




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