第21話

「ただいま」

亜希子が祐介のお見舞いから

自宅に帰った時には、もう夕暮れだった。


リビングルームを覗いてみたが

灯りはついておらず、人の気配も無い。

やはりまだ、由美は仕事から帰っていないようだ。


亜希子は自室にスクールバッグを置くと

キッチンに向かう。

テーブルには、由美の自筆で置手紙があった。

その内容は、仕事で遅くなると思うので

冷蔵庫の中に、チャーハンと餃子の

作り置きがあるので、

レンジで暖めて食べてくれとのこと。


まあ、いつものことだ。

亜希子は特に食欲も無かったので

冷蔵庫からアイスコーヒーの

ペットボトルとグラスを持って

リビングルームに戻り、ソファに座った。

アイスコーヒーをグラスに注ぐと、

ごくりと一口飲む。

テレビのリモコンを手にすると、

適当な番組をザッピングしていく。


夕方のニュース番組を見ながら、

亜希子は思う。祐介が無事で、

本当に良かったと。

自分を命がけで守ってくれた祐介。

そんな彼にもしものことがあったらと

思うと、今でも戦慄が走る。


それにしても、中学生の頃に

自分のブログを通じて知り合った『カコ』が

加原真湖だったとは。

それに彼女は呪会の管理者でもあったのだ。

その上、自分の正体を

隠蔽するために祥子をも殺した・・・。


亜希子はテレビ画面に視線を向けながらも

その内容は頭に入ってこなかった。

この数ヶ月で、あまりに衝撃的なことが

起こりすぎた。

それにまだ呪会の呪縛から完全に

解かれたようには思えない。

確かに、「呪会」は一時的には消滅した。

でも、またどこかの誰かがサイトを

立ち上げることもあり得る。

インターネットは自由な仮想空間だ。

誰の制約も受けないのだ。

いつ、また呪会のようなサイトが

ネット上に現れるか?

それも時間の問題のように、

亜希子には思えた。


亜希子がテレビのスイッチを消し、

自室に行こうと立ち上がった時、

玄関傍にあるバスルームの扉が

ゆっくりと開いた。


(誰もいないはずなのに・・・)


亜希子はいいしれぬ恐怖を感じ、

その場に立ち尽くした。

バスルームから出てきたのは、

由美だった。


だが、由美の姿はいつも

見慣れているものとは違っていた。

上下にはめったに着ないジャージを着て、

室内にも関わらず、

裸足にスニーカーを履いている。

もっとも異様だったのは、手にはめた軍手。

そして、その手に握られた包丁だった。


「ママ?」

わけがわからず、亜希子震える声で

由美に語りかけた。


「亜希子、私はあなたの本当の母親じゃないの」

 由美は不気味な微笑とともに言った。


亜希子はわけがわからず、

頭の中が混乱したままだ。

由美が何を言っているのか、

理解できていなかった。


「あなたの本当の母親は、

 あなたが生まれてすぐ亡くなったの。

 その直後、私は山村希一と出会った。

 あなたのは私の実の娘として

 育てようと山村と約束したわ。

 私もそのつもりで、

 あなたを本当の娘だと思い込もうとした」


由美は実の母親ではなかった・・・。

想像だにしていなかったことを聞かされても

亜希子の心にすぐには浸透しなかった。

由美が自分のことを「あなた」と呼んでいることにも

強い違和感を覚える。

いつもは「亜希子」としか呼ばないのに・・・。


「あなたのパパの山村希一を

 『呪い殺すリスト』に登録したのは私よ。

 登録して、わずか2週間後に

 誰かが殺してくれるなんて思わなかったけど」

そこで由美は愉快そうに笑った。

信じられない・・・パパを死に追いやったのが

ママだったなんて。

亜希子の視界が急に暗くなったような気がした。


「どうして?パパをそんなに憎んでたの?」

亜希子は悲しみのあまり、涙声になっている。


「あなたがこっそり山村と会ってたことは知ってたわ。

 そして彼の再婚相手とも。

 わたしね、我慢できないのよ。

 わたしを捨てた男が

 わたしの持ってるものに、ちょっかい出してるの。

 わたしって独占欲強いのかしら?」


「パパはママを捨てたんじゃない。

 ママがパパを捨てたんだよ!」

亜希子は涙をこらえきれなかった。

それに亜希子自身のことを、

所有物のように語る由美のことに

怒りを覚えた。


「あなたに何がわかるの?

 でも、もういいわ。あなたはここで死ぬの。

 あなたの名前をリストに登録したのも私」


「ママ・・・?」


自分の名前を『呪い殺すリスト』に

書き込んだのも由美だったのか。

そうまでして自分を憎む理由が

亜希子には理解できなかった。


「山村が死んだら、あなたは

 この先ずっと私の娘になるはずだったのに・・・。

 あなたは呪会の秘密をばらし、

 あなたのお友達と警察が呪会を潰した」

由美の瞳が殺気を帯びて、細くなる。


「でも、あなたが死ねば、

 永遠に私の娘だわ。

 それに呪会にも顔向けできる」


ママは正気じゃない――。


由美は一歩また一歩と亜希子に迫ってくる。

亜希子は後ずさった。

しかし後ろはベランダに続くサッシが

あるだけだ。後ろ手で窓を開ける。


「どこへ逃げようっていうの?

 ここは6階よ!」


由美を見据えたまま、亜希子はベランダに出た。

外は木枯らしが吹いている。

亜希子の首筋には鳥肌が立っている。

それは寒いだけではなかった。

濃紺の制服の襟と、チェックのスカートが

寒風にはためく。


由美は包丁を突き出し、

ソファを乗り越え亜紀子に突進してきた。


亜希子はとっさに、その場にしゃがみこんだ。

殺される―――。強く両のまぶたを閉じた。


だが、包丁を突き出した由美の両腕は

亜希子の頭上で空を切り、

まだ雪の残る手すりの上を滑った。

由美のあまりの勢いに、彼女の上半身が

手すりからはみ出る形となった。

その重量バランスが崩れたのか、

由美の身体は孤を描くように

ベランダから落ちていく。


由美はかろうじて、手すりにつかまった。

右手にあった包丁は離れ落ちて、

20メートル下の駐車場に叩きつけられえて、

金属の乾いた音を立てた。


亜希子はゆっくり立ち上がり、

由美の身に起きていることを認めた。


「ママ、私につかまって!」

亜希子は必死に由美の左腕を

両手でつかんだ。由美の右手は力なく、

ぶらりとしている。


「ママ、両手でつかんで!支えきれない」

非力な亜紀子には、由美の体重をいつまでも

支えることはできない。


亜希子は由美を見た。

由美はやさしく微笑んでいる。

いつものママの笑顔だと亜希子は思った。

さっきまでのことは、

何かの間違いなんだと思った。

いや思い込もうとした。


由美は下げた右手を上げようとしない。

亜希子につかまれた左手さえ、

手すりに触れてもいない。


「亜希子、もういいのよ」


「よくないよ。私、ママの娘なんだから!」

亜希子は絶叫していた。涙が頬を伝う。


「ありがとう、亜希子。

 私なんかをママって呼んでくれて・・・

 それと、ごめんね

 あなたの大事なパパをあんな目にあわせて・・・」


由美の瞳ににじむ涙は、

肌をさすような寒風に飛ばされ、

氷の飛まつのように飛ばされていく。


由美はゆっくりと瞳を閉じた。

そして、亜紀子につかまれた左手を振りほどく。

由美は6階の高さから落ちていった。

亜希子の目には、

由美が次第に小さくなっているように見える。

亜希子は両目を固く閉じ、再びしゃがみこむ。

そして絶叫―――。


亜希子はその直後、

気を失いゆっくりと

ベランダに横倒しになって倒れた・・・。

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