第19話

今学期最後のホームルームも終わり、

教室の生徒たちは帰り支度を始めていた。

といっても、そのほとんどが塾へ向かうのだが。

明日から冬休みだが、

進学校の生徒たちには関係ないことだった。


閑散としつつある教室に

日向亜希子、米倉里美、加原真湖、

そして宮島祐介の姿があった。


「ねえ、アッキー。

 コンサート来週なんだけどどうする?」

里美が遠慮がちに訊いてきた。


「コンサート?」

亜希子は、きょとんとして訊き返した。


「忘れちゃったの?

 シュツルムビストーレのライブよ」

半ば呆れた顔で里美は返した。


そうだった。ほんの数ヶ月前に里美たちと

クリスマスの夜、

ライブに行く約束していたんだと

唐突に思い出す。


でも一緒に行く予定だった来島祥子の姿は無い。

亜希子の表情は無意識に固くなった。

そんな気配を察したのか、

里美も努めて軽い口調で返した。


「まあ、無理にとは言わないよ。

 あんなことあったんだから

 浮かれてる気分じゃないわよね」


里美は加原真湖にも声を掛けた。

「真湖、あんたはどうする?」


一瞬の間。そして

 真湖はかみしめるように答えた。

「わたし、悪いけど行く気分じゃない。

 祥子がいないと、つらくて・・・」


「わかった。そうだよね。

 行く気分なんかわかないよね」

里美は少し残念そうだ。


「里美、わたし行くよ」

やさしく微笑みながら、亜希子は言った。


「マジ?無理しなくていいんだよ」

里美は言葉の内容とは裏腹に、うれしそうだ。


「いつまでも哀しんではいられないって

 思ってるから。

 絵里子さんにもそう励まされたし・・・」


「絵里子さん?」

里美は怪訝そうな表情を浮かべる。


「ううん、なんでもない。それにパパだって

 行って楽しんで来いって言うはずだもん」

亜希子は笑顔とも泣き顔ともとれる顔で答えた。


「アッキー・・・」

里美も亜希子の心中を察したのか、うんうんとうなづく。


「チケット2枚余っちゃったけど、

 宮島ァ、あんた行かないよね?」

すでに席を離れ、教室の出口に向かっている

祐介の背に里美は呼びかけた。


祐介は立ち止まり、いくばくかの逡巡をみせた。

あきれたように溜息をつく。


「誰が行くか、そんなモン。

 言ったろ、オレはそんな

 チャラチャラしたバンドに興味ねえって」


「はいはい、わかりましたぁ。

 せっかくアッキーも一緒なのに

 みすみすチャンス逃す男は、

 いつまでたってもモテないよ~

 それに冬休みに入ったら、

 アッキーにもめったに会えないんじゃない?」

里美が口を尖らす。


だが祐介は里美の言葉を無視するかのように

口を開いた。背は向けたままだ。


「いいか、日向。充分気をつけるんだぞ。

 お前は「呪会」のリストに登録されてるんだ。

 怪しい奴には気をつけろ。里美から離れるな。いいな」


祐介はそれだけ言うと教室を出て行った。




風ひとつない漆黒の空から、

まるで綿毛のような雪が降っていた。

見上げると自分のまわりを踊っている、

妖精のようだ。

亜希子は希一からプレゼントしてもらった

赤いコートを着てフードを被り、

両手を虚空に差し上げた。

その両手に雪はゆっくりと舞い降りて、

亜希子にあいさつをしているようだ。


(お嬢さん、今夜はクリスマス・イヴ。楽しんでおいで)

今にも妖精のささやきが聞こえてきそうだ。


「さてと、二人だけだけど行こっか」

里美はレディスものの

ブルゾンにジーンズとナイキのスニーカー。

亜希子は赤いコートに、

ギンガムチェックのスカート、

そしてベージュのムートン。


メガネをはずしている亜希子は、

これまで以上に美しかった。

見慣れているはずの里美でさえ、

溜息をつくほどだ。


「小雪の妖精の中にいる、

 雪の王女様みたい・・・」

里美の口から自然とそんな言葉が漏れた。


「何言ってんのよ、里美ったら」

照れくさそうに

亜希子は里美を軽く突き飛ばす。


「いつもそんなカッコしてたら、

 学校中パニック起こすわ、マジで。

 とくに男子生徒。男性教員だって・・・

 それに間違いなく宮島は正気を失うわ」


あまりに里美が真顔で言ったので、

亜希子は笑いが抑えられなかった。


「里美、さあ行きましょ。

 ライブに遅れるわ」

亜希子は里美と腕を組み、

最寄の駅へと続く歩道を歩き始めた。


そのふたりの十数メートル離れたところから

見つめる人物がいた。

全身黒づくめだ。頭には

目深にワッチキャップを被っている。

街灯の影になって、表情までは読み取れない。

その黒づくめの人物は、亜希子と里美の後方から 

一定の距離を崩さず、尾行してきた。



しばらく歩くと、最寄の駅が見えてきた。

この駅から電車で20分ほど揺られれば

ライブ会場はもう間近だ。

駅のターミナルに行くには、

幅5メートルほどのゆるやかに

上に登る陸橋を渡らなければならない。

その大幅の陸橋は全部で4つあって

ターミナルを中心に4方向に延びている。


そしてターミナルの中心には、

鮮やかに飾り付けられた

高さ10メートルほどの

大きさもあるクリスマスツリーが

鎮座してある。降りしきる粉雪が、

その枝葉にうっすらと

降り積もり、幻想的な美しさを醸しだしていた。


そのクリスウマスツリーを

見上げながら里美は言った。

「これを見るだけでも来た甲斐があったわね」

亜希子も見上げながら、同意してうなづく。


ターミナルには人の姿はまばらだった。

カップルハはすでに

レストランやカフェに収まっているのだろう。

そんなにも美しいクリスマスツリーに目もくれず

帰宅の路に急ぐサラリーマンがほとんどだ。

寒さをしのぐためか、コートの襟を立てて急ぎ足で

ふたりのそばを通り過ぎて行く。


その時、亜希子と里美を尾行していた

黒づくめの人物がつぶやいた。


「そんなとこで、ボーっとしてないで、

 さっさと電車に乗れよ」

それは宮島祐介の声だった。

(はぁ オレ何やってんだ?

 これじゃまるでストーカーだよ)


祐介は心の中で、嘆いた。

心配のあまり、

亜希子の護衛のつもりで尾けてきたのだ。

だが、ここまでくれば心配ないだろう。

少ないとはいえ、人通りもある。

呪会も容易に手出しできまい。


祐介はコンサート会場に入らないまでも

亜希子が無事帰宅するまで、

ストーカーじみた護衛をすることに決めていた。

今では正直後悔している。

里美にライブに誘われた時に、

正直にチケットを受け取っていれば、

こんなマネなどしなくとも

堂々と亜希子の傍にいて、護衛をできたのだ。

しかし、ああ言った手前、

いまさらチケットをくれなど彼には言えなかった。


祐介が革ジャンの襟を立てた時、

何気に隣の陸橋に視線が移った。

そこには、比較的小柄で、

うづくまるように背を丸めた人物が

ゆっくりと上がってきた。

スキーキャップを目深に被り、

顔にはマスクをしていて

人相まではわからない。

黄色いダウンジャケットを着て

ジーンズをじとスニーカーを履いている。

スニーカーのサイズから

女性かもしれないと祐介は思った。


祐介の心臓はなぜか

早鐘のように打ち始めた。

その黄色いダウンジャケットの人物から

目が離せない。

するとその人物は、

亜希子と里美の方向にむけて

急に足早になって向かっていく。

そしてダウンジャケットのポケットから

何か光るものが、恒間見えた。


間違いない―――ナイフだ!


祐介は思い切り地を蹴った。

一気に階段を上っていく。

心臓は緊張といきなりのダッシュで

跳ね上がっている。

だが、そんなものは構わず、

亜希子と里美のいる方向に走った。


ダウンジャケットの人物も、駆け出していた。

距離的にはダウンジャケットのほうが

亜希子に近い。祐介は焦った。


のどが張り裂けんばかりの声で叫ぶ。

「日向ーッ!危ない!」


しかし祐介の口をついで出たのは

情けないばかりのかすれ声だった。

それに亜希子たちは祐介に気づいた様子も無い。


祐介はイチかバチか

ダウンジャケットの人物が亜希子に接触する前に

自分が間に合うよう、

より一層の力を込めて駆け出した。


祐介は横目でダウンジャケットの人物を見た。

その人物に追いつくには距離がありすぎる。

亜希子のいる位置のほうが近い。

祐介は走った。がむしゃらに走った。


ついに祐介のほうが一瞬早く

亜希子にたどりついた。

両手を広げ、彼女を覆い隠すようにかばう。

亜希子はその衝撃で、

地面に倒れこみそうになった。


ドン!


わずかな間の後、鈍い音がした。

祐介の身体が、わずかに揺れた。


「待てッ!」

祐介たちの背後から鋭い声が飛んできた。

スーツ姿にコートを着た、

二人の男が駆け寄ってくる。

彼らに気づくと、ダウンジャケットの人物は

脱兎のごとくその場から逃げようと駆け出したが、

すぐにスーツの男たちに取り押さえられた。

そして、その人物の腕を後ろ手に回し、

手首に手錠をかけた。

この二人の男は刑事だった。


ダウンジャケットの人物が

目深にかぶっていたスキー帽とマスクを剥ぎ取る。


「お前・・・加原?」

祐介は棒立ちのまま、

擦れ声でつぶやいた。

その声音は彼自身、目の前の事実を

許容できていない感情を帯びていた。


同様に、亜希子も里美も言葉も出ないでいる。


祐介はわき腹に、何か暖かいものが流れている

感覚を感じた。

ゆっくりと自分のその部分を見る。

そこにはナイフが刺さっていた。


「加原・・・何で・」

祐介はもう一度、刑事たちに

取り押さえられている加原真湖に視線を戻す。

彼女の眼鏡には、片方にヒビが入っていた。


急に下半身の力が抜けていく。

祐介はひざから崩れ落ちた。

地面に正座をする形になり、

なおも倒れこもうとした。


祐介の身に起こったことに気づいた亜希子が

あわてて彼の上半身を支えた。


「やだ・・・もうやだ・・・」

亜希子はあふれる涙を止められなかった。


「祐介君・・・だめだよ・・・

 絶対だめなんだから」


祐介は亜希子の胸に抱かれたまま、

彼女を仰ぎ見た。


「お前が・・・無事で良か・・・」

祐介の言葉はそこで途切れた。

彼のまぶたは、ゆっくりと閉じられる。

刺されたナイフを中心に、

鮮血が地面に、アメーバのように広がっていく。


亜希子の悲鳴が、クリスマスの夜に響いた・・・。

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