第18話

「おかえりなさい」

帰宅すると、キッチンから

由美の快活な声が跳ね返ってきた。

亜希子は無言で自分の部屋に向かう。

扉を開けると、スクールバッグを放り投げ

ベッドに大の字になって寝転んだ。


「今日の晩御飯はシーフードパスタと

 鴨肉のソテーにアスパラガスとアボガドの

 サラダよ」


扉の向こうから由美の声が響いてくる。

以前だったら、そんな母親の言葉に

元気良く返事をしていたはずだ。

だが、父親の法要を終えたとはいえ、

あのいつもと変わらない態度はどうだ。

亜希子には、理解できなかった。


山村希一が事件にあった当初は、

さすがの由美も喪に服している様子だった。

しかし、わずか数日で、

いつもの由美に戻っていた。


1度は結婚し、愛し合ったはずの相手が

不慮の事件で命を落としたのだ。

もっと悲しんでいいはずではないか。

亜希子は悲しくも、くやしくもあった。


ふいにドアがノックされ、

由美が部屋をのぞきこんできた。


「聞こえたら返事しなさい」

由美は怒りをにじませた口調で言った。


「それとこんな物が届いているわよ」

由美が差し出したのは、

A3サイズほどの包みだった。

ブルーの包装紙でラッピングされ、

白いリボンが掛けられている。


「山村さんの再婚相手の方から送られてきたみたい」

由美はそう言うと、その包みを

亜希子の机の上に置き、出て行った。

山村さんの再婚相手―――すぐにはピンとこなかった。

だが、すぐに絵里子からだとわかった。


またしても亜希子の胸中に

怒りがこみあげてきた。

(パパのことを、山村さん・・・か)

どうしてそこまでドライになれるのだろう。

(パパのことを、苗字にさん付けなんて・・・)


亜希子は起き上がり、その包みを開いた。

厚紙のケースの中には、

フードのついた赤いコートが入っていた。

ボタンはレモン色で、

フードと袖口には白いファーがついている。

そのコートを広げた時に、

1通の手紙が落ちてきた。


亜希子はその手紙を拾うと、封を開けた。


『 前略 日向亜希子さま


  こんにちは、亜希子ちゃん、お元気ですか?

  といっても元気なんか出ませんよね。

  突然の希一さんの不幸で、悲しんでると思います。

  私も同様です。毎日、泣きはらしています。

  でも、いつまでも哀しんではいられません。

  そんなこと、希一さんが望んではないと思うからです。


  この赤いコートは、希一さんが事件に合う当日に

  亜希子ちゃんに、クリスマスプレゼントとして

  買われたものです。

  最初にラッピングされた包装紙は、警察の鑑識に

  保管されたため、私が包装し直しました。


  このコート、亜希子ちゃんに

  とても似合うと思います。

  さすが、希一さん。亜希子ちゃんのことを

  良く知ってますね。


  亜希子ちゃん、負けないでね。

  私も負けません。

  希一さんのことを、いつまでも忘れず

  強く生きていきたいと思います。


  またいつか、お食事でもしましょうね。

  その時は、きっと希一さんも一緒にいてくれると

  思います。


  その日を楽しみにしています。



  山村亜希子より』


手にした手紙に、

ぽつりぽつりと落ちる涙の跡が刻まれていく。

亜希子はこみ上げる嗚咽を止められなかった。

希一から贈られた、赤いコートと絵里子からの

手紙を胸に抱きしめ、立ちつくしたまま、

亜希子の頬には、いつまでも涙がつたい落ちた・・・。



晩秋の夕暮れ、路地裏の喫茶<アシンメトリー>は

仄暗い灯りを燈していた。

店内にはまばらな客しかいない。

BGMは、いつもの「ラ・カンパネラ」ではなかった。

ジュゼッペ・タルティーニの「悪魔のトリノ」だ。

その曲は、口にするコーヒーを、ほろ苦いものにする。


マスターの村田に対峙するように、

カウンンターに座るスーーツ姿の男は

椅子の背もたれに、くたびれたベージュのコートを

掛けていた。


「オレの甥っ子の・・・宮島祐介っていうんだが、

 この間の殺害事件の犠牲者、山村希一は

 奴の同級生の父親だったらしい」


村田の言葉に、その男――風間はカップを

持つ手を止めた。


「本当ですか?」


「ああ、その山村の娘にも

 オレは1度会ってる」


そう言いながら、村田は

くわえたタバコにジッポライターで

火をつけた。ゆっくりと煙をお味わい、

天井のクラシックな

ランプを見ながら白い煙を吐く。


「それと、もうひとつ。

 「呪会」のリストに今度の被害者、

 山村希一の名があった」

村田の眼光が鋭く風間を見据える。


「やはり、「呪会」が絡んでいると見て

 間違いなさそうですね」


「風間、お前らしくないな。

 コロシは初動捜査が肝心だと

 オレは教えたはずだぞ」

村田はまだ半分も吸っていないタバコを、

灰皿に押し付けた。


「先輩、そう言わないでください。

 捜査本部だってオレの一存で動けないことは

 知ってるでしょ」

風間は苦笑交じりに言っているが、

その台詞には村田に対する

せめてもの抵抗の感情が入り混じっていた。


「でも、「呪会」の管理者は

 プロバイダーに令状をとって

 すでにその身元はわかっています。

 現在、20人体制で24時間張らせています」

風間の目は不退転の迫力を村田に投げかけた。


「それでこそオレの後輩だ」

村田は微笑んで、風間のカップへ

サイフォンからコーヒーを注ぐ。


窓外には、夕闇が迫っている。

だが、やがて来る闇に閉ざされた夜は

必ず明ける。

勇退した元刑事と、その後輩である敏腕刑事は

窓の外に映えるクリムゾン色の夕焼けを見つめていた。

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