己の弱さ

「……暴力は良くない」


 逢原さんが僕と男の間に割ってはいる。


 ああ、優しいな逢原さん。でも危ないから、下がってて。

 そう言いたかったけど、お腹が苦しくて声が出そうにない。


「うるせえんだよ!」

 抑止しようとした逢原さんを、男が押す。彼女はよろめき、地面に倒れる。


 それを見た僕は怒った。よくも逢原さんに危害を加えたな。かつてないほど激怒した。この男を殴ってやりたいと思うほどに。


 でも、身体が動かなった。脳がどれだけ身体に動けと命令しても、指一本動かすことができない。


 僕は自分が情けないと思った。

 好きな女の子も守れない、自分の弱さを祟った。

 何もできない自分の小ささに、絶望した。

 こんなことならクロちゃんに言われたように、お肉食べて筋肉つけておけばよかったと後悔する。


 もうダメだ、そう思った。

 何度目か分からない、男の蹴りでメガネが吹き飛び、地面に転がった。


 限界寸前だったのか、その時僕はこれ以上ないくらいの吐き気を感じた。身体中の内臓が反転するような、意識が身体から離れてしまうような、そんな嘔吐感。


 まるで身体が自分のじゃないみたい、そう錯覚するくらいに。


 だがそれは錯覚ではなかった。


 心はほとんど諦めていたので、僕は身体に動く命令を出していない。

 なのに、身体が無断で動いた。

 男の蹴りを、勝手に動いた左手が受け止めていた。

 そして腕だけでなく、口が、声帯が、ひとりでに動いた。


「さっきから、何度も蹴りやがって。調子に乗るなよ、くそったれが……!」


 僕はその声に聞き覚えがあった。

 何度も頭の中で響いた声。

 時にはうるさくて鬱陶しく思っていた声。

 十年以上前から聞き続けていた声。


「(く、クロちゃん)」

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