最高の食事

9741

第1話

 タツヲは自他ともに認める美食家であった。若い時に資産家として成功した彼は、その有り余る財産を、食に注ぎ込んだ。ガイドブックに掲載される一流料理店のフルコースから、隠れ家レストランのメニュー、全国でチェーン展開されているファストフード、未開拓の国の珍味まで、様々な料理を食した。

 彼にとって食事とは、何ものにも代え難い、至上の娯楽だった。

 だが近年、今年で初老となるタツヲの舌は肥えていた。肥え過ぎたのだ。

 若い頃からありとあらゆる物を食してきた彼は、新たなる食材を求めていた。

 そんなタツヲには一人の友人がいた。ジロウだ。ジロウとは数年前に訪れたバーで知り合い、そこで意気投合した。

 今日はタツヲの誕生日。ジロウは彼を自宅へ招き、手料理で誕生日を祝ってくれた。


「……ごちそうさま」


 タツヲはナイフとフォークを置き、ナプキンで口を拭う。


「その顔から察するに、この料理でも君を満足させることはできなかったようだね」


 空になった皿をさげながら、ジロウが言う。

 ジロウの料理は極上のものであったが、タツヲの舌は喜ばなかった。

 ジロウはワインのコルクを開け、二つのグラスに注ぐ。このワイン、実はとても貴重なのだが、タツヲにとっては飲みなれた物であった。


「誤解しないでくれ。君の料理はとても美味しかった。どうもありがとう」

「どういたしまして。でも誤解しているのは君の方だ。君への誕生日プレゼントは、僕の料理じゃないよ」


 どういうことだ、とタツヲは尋ねる。

 ジロウはワインを一口、間を空けてから言った。


「君は、虹ガモを知っているかい?」


 知らないわけがない。虹ガモはこの世でもっとも美しいとされる鳥類だ。図鑑などで表紙を飾ることも多い。


「その虹ガモ……食べてみたくはないかい?」


 その言葉にタツヲは息を呑んだ。

 虹ガモは繁殖力がとても低く、食べる以前に捕獲自体が条例で禁止されている。市場では絶対に出回らない。

 そんな虹ガモを、食べる?


「その話、詳しく聞かせてくれ」

「アフリカのとある辺境に隠れ家レストランがあってね。普通の隠れ家レストランとは比べ物にならない、超隠れ家レストランだ。そこにいる料理人は虹ガモを使った料理が得意なんだ」

「馬鹿な。虹ガモの捕獲は条例違反だ」

「だからこそ、超隠れ家レストランだ。情報を仕入れるのにとても苦労したよ」

「……にわかには信じられないな」


 タツヲが言う。別に友人の言っていることを疑っているわけではないが、どうしても信じられなかった。


「君はそのレストランに行ったことがあるのか?」

「あるよ」


 即座にジロウは答えた。


「食材もさることながら、コックの腕も一流のものだった。できればおかわりしたかったが、食材が切れたらしく、叶わなかったよ」


 ジロウが残念そうな顔をする。

 彼の話にタツヲは、口にしたワインの味が分からなくなるくらいに釘付けだった。


「コックの話によれば、もうすぐ食材が入荷できるらしい。僕はもう一度訪れようと思う。どうだい、君も?」


 考えるまでもなく、タツヲの答えは決まっていた。


「是非、同行させてくれ」

「そう言ってくれると思ったよ! さっそく準備をしよう」


 ジロウは喜んだ。






 準備と言ってもほとんどの仕度はジロウがやってくれた。

 タツヲがした準備といえば、ニヶ月間旅行に行くと周りの人間に宣言したことくらいだ。

 そして誕生日から三日後、タツヲとジロウはアフリカの地に降り立った。


「それじゃあ、行こうか」


 そう言ってジロウは先頭を切って歩き出す。車などは使わないのかと、尋ねるタツヲ。


「足がつくといけないから歩きだよ。何せ虹ガモだからね。一ヶ月は歩くことになるよ。……それとも、このままアフリカ観光をして帰るかい?」


 タツヲは首を横に振った。せっかく虹ガモを堪能できるのだ、帰るわけがない。


「オッケー! じゃあ行こう」


 意気揚々と歩くジロウの後ろを、タツヲは歩き始めた。






 それはとても辛い道のりだった。キャンプをしながら山を越え、谷を超え、森を抜ける。その繰り返しだった。

 日頃から食べるばかりで運動をしないタツヲにとって、この道のりは過酷なものだった。そして、道中の食事が彼にとって一番辛いものだった。極力荷物を軽くするため、食事は栄養価の高いサプリメントか、道端に生えている草のみだった。

 帰りたいと思った時もあった。しかし虹ガモへの食欲が、タツヲの足を動かした。






 そして一ヵ月後。


「おめでとう、着いたよ」


 タツヲの目の前には、煙突付きの小屋が建っていた。

 タツヲは駆け出し、小屋の扉を空ける。

 チャリンチャリンと、ドアに備え付けられたベルが鳴る。


「いらっしゃいませ」


 小屋の中には、タツヲより年取った老人がいた。


「やあ、先日食べた料理の味が忘れられなくてね。今日は友人を連れてきました」


 ジロウの言葉から察するに、この老人が料理人なのだろう。


「お好きな席へどうぞ」


 タツヲとジロウは近くのテーブルにつく。


「遠路はるばるようこそ。お疲れでしょう。コーヒーをどうぞ」


 料理人がコーヒーを二人の前に差し出す。

 喉を乾きを潤すため、タツヲはコーヒーを口に運ぶ。

 何の変哲もないただのコーヒーだったが、今のタツヲにとっては、最高級のエスプレッソに匹敵する飲み物だった。

 旅の疲れとやっと目的に着いた安堵からか、タツヲは睡魔に襲われる。


「少し疲れた。料理ができたら起こしてくれ」


 そう言って、タツヲは机にうつ伏せになって眠りに着いた。






「ごちそうさま」


 ジロウ達はナイフとフォークを置き、ナプキンで口を拭う。


「どうだった? 今回の食材は」

「脂身が多かったが、まあ良かったな」

「それは良かった」

「だが少し腐りかけていたな。次はもっと新鮮な食材を調達してくれ」

「はいはい」


 ジロウと料理人は、談笑しながら食後のワインを楽しんだ。

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