参・莫逆の友

 それは異様にも幻想的ではあった。

 花と実が隣り合わせに並び、風に煽られれば花弁がこぼれるように舞う。美しくも、奇妙な現象には困惑を隠しきれない。

「何かます?」

 仁科が安穏と訊いた。鳴海がチラリとこちらを振り返る。

「居る、けれど、あんたが何も分からないってのは仕方のないことかもね」

「どういうことです」

 すかさず彼が問う。真文も同じ思いを抱いた。異様な美しさには見惚れるというよりも畏れが強く浮かぶ。青と白の華やかな一本梅を恐る恐る見やった。

 一方で、鳴海は小さく笑みをこぼしていた。

「なんてことはないさ。この木は臆病なだけで、悪さなんて考えちゃいないよ」

 柔らかい声で言う。それから鳴海は梅の木へと近寄った。

「臆病な上にドジなもんだから、こんなことを起こしちまったんだろう? 大丈夫。真文は何もしないから。あんたと同じ臆病でドジな娘さ」

 梅に話しかけているのだろうか。木の幹を慰めるように撫でている。

 仁科と真文はキョトンと目を合わせた。

「えぇ、まぁ、悪いものじゃあないとは思ってましたがね……」

「そりゃそうさ。怯えてるだけなんだから。櫻にびっくりして、うっかり歩いたんだと。それからこんな大事になっちまって余計に怖がったらしい」

「成る程ね。怖いから隠れていると。それで正体が見えないわけだ」

「あぁ」

 仁科は合点がいったようだが、真文はこんがらがっている。怪訝に見ているだけでいると、鳴海が手招きした。

「あんたのこと、心配してるんだよ」

 そう言い、ゆるりと梅の木を見上げる。

「真文が小さい時からずっと見てきたんだって。すごく心配してる。それにヨシさんのことも。この梅はずっと森家を見てきたんだね」

 花は情を持つ。

 それはたおやかに優しいものもあれば、荒れ狂う雷のように激しい想いもある。

 櫻と梅は違いこそすれ、どちらも情を持つ花だった。

 真文は指先を伸ばし、梅の木に触れた。何かを感じ取れるほどの力はないのに温かみを覚える。それは冬の凍てつく寒さに灯る小さな火のような。冷えた朝に飲む味噌汁のような。頭に柔らかな手を乗せられ、愛しげに撫でられるような。じわりと染みる温かさ。

「ありがとう、ございます……」

 小さく囁く。聴こえたのだろうか。梅の木に伝わったのだろうか。

 怖いと感じていたのは、己か梅か。募らせた想いが不思議と同調したのだろう。感情は伝播するのだ。

 しかし、今は実と花を同時につけてしまうくらいの慌て者な梅が愛しく思える。

「さて、あたしから文彦さんに言っておこうかね。絶対に伐らんように注意しておかないと」

「それがいいですね。このままだとご夫婦の仲も危ぶまれますし」

 真文の後ろで鳴海と仁科が苦笑を漏らした。

「でしたら私も共に祖父へお願いします」

 梅を撫でながら言ってみる。

 すると、鳴海はまばたきを二回し、真文をまじまじと見つめた。

「……じゃあ、一緒に行くかい」

「はい!」

 梅のおかげか、心はすっきりと晴れやかだ。笑顔を見せれば、鳴海はぎこちなく笑った。

 相容れないと思い込むあまり、互いに理解が及ばないのだろう。ならば、一歩ずつ歩み寄ればいい。

「じゃあ、ついといで」

 鳴海は調子が狂ったのか、顔を背けて森家の玄関へと早足に行く。その後ろを真文は小走りで向かった。

 ふと振り返れば仁科がにこやかに手を振っている。

 梅だけでなく、彼も背を押してくれたように思えた。


 ***


「――そういうことなら、やめておこう」

 渋っていた文彦がとうとう折れたのは、祖母のヨシまでもが混ざって三人がかりで説得を試みた結果だった。さすがに三対一では分が悪いと思ったのだろう。

 特に鳴海の言葉は強い力を持っている。

「あの梅は御神木、いや御神花なんだ。間違っても伐っちゃいけないよ。絶対に。怖がらせるのもダメ。いいね?」

 ピシャリと言い放てば、背後でヨシも真文も首を縦に振って頷いた。

「それじゃあ、怪異はもう起きなくなるのかね」

 安心したヨシが訊く。

 鳴海は「うーん」と唸り、やがてクスリと忍び笑った。その顔はなんだか仁科のよう。

「さてどうだろう。また誰かさんが『伐ろう』なんて言ったら、今度こそ逃げ出すかもしれないねぇ。何せ、慌て者のドジな梅だから」

 この悪戯めいた口調に文彦は身震いし、ヨシは顔をしかめた。

 これには笑わずにいられない。真文もクスクス忍び笑えば、祖父母はさらに目を丸くさせた。


 ***


 梅の木は、一夜のうちに元の場所まで戻っていた。

 もう安心したのか、花はつけたままだが実を熟させて佇んでいる。

「季節外れの花ですが、とても可愛らしくて。散ってこぼれてしまうのが惜しいくらいに」

 霊媒堂猫乃手にて。

 出された茶を堪能し、真文は舌を滑らかに話す。それを鳴海は茶請けに出した餡餅あんもちを頬張りながら「ほぉ」と頷いた。

「すっかり仲が良くなったようじゃないの」

「はい、お陰様で!」

「大事にしてやんなよ。あの木はあんたのことを変わらず見守ってくれるだろうから」

 そう言い、茶を啜ると鳴海は「そうだ」と何か思い当たった。

「真文、梅が好きならいいものがある」

 それから鳴海は手招きし、真文を裏の部屋へと呼び寄せた。

 一体なんだろう。光が入らない薄暗い廊下を行き、鳴海の後をついていく。その部屋はどうやら、鳴海が普段寝起きに使う間だった。

 真四角の箪笥を引き出し、何やら物色している。

「あ、あったあった」

 言いながら抽斗の奥地から鮮やかな淡桃の着物を引っ張り出した。少し褪せた淡色に白い花が散りばめられている。真文は思わず「わぁ」と声を漏らした。

「あの碌でなしに見つからなくて良かったよ。これね、あたしがあんたくらいのとしに着ていたものなんだ。仁ったら、着なくなったものを片っ端から雑貨に換えちまうから奥に仕舞っててね」

 畳に着物を放ると、鳴海はさらに奥へと腕を突っ込んだ。次々と鮮やかな藍染の浴衣が出てくる。花の帯留めや簪などなど雑貨も掘り出され、たちまち古着で溢れかえった。

「これ、気に入ったものがあったらやるよ」

 着物を折りたたみながら鳴海が言う。

 真文はすぐさま首を横へ振った。

「そんなそんな、いただくなんて……」

「着ないもんを持ってたって仕方ないだろう。今なら仁に見つかって雑貨の品にされても文句は言わんが……まぁ、なんだ。愛着があったんだよ。でも、こういうのはあんたの方がよく似合う」

 ぐいっと強引に押し付けられ、真文は呆気にとられた。淡色の着物に施された花を撫でる。白く小さな花弁がまさしく梅であった。

「仁に見つかったら切り刻まれちまうからね……もらっといておくれよ」

 苦々しく、名残惜しく、そんな顔で言われてしまえば後には引けない。

 よほど梅が好きなのだろう。ここはもう好意に甘えるしかなかった。

「鳴海さん、ありがとうございます」

「いいよ、そんくらい。大事にお使いよ」

「はい!」

 嬉しさに破顔し、着物を抱きしめると鳴海も照れくさそうに頬を緩める。

 いつの間にか距離が縮んだことに気が付かず、それからも二人はあれこれと花柄の着物を物色しては和やかに笑いあった。

 夏はもうすぐそこに――



《初夏の章 飛梅、了》

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