7 私だけのものでいて

19 私だけのものでいて1

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 父娘の間に出来てしまった心の距離。会わなかった数年間。それらを何とか埋めようとするかのように華パパは今、華との時を過ごしている。

 帰る場所はまだ別々で、正月休みが終わればまた海外。二人が昔住んでいた家は他人に貸しているらしく、日本にいる間華パパはホテル住まいなんだと言っていた。華が帰る場所はこの休みの間は毎日オレの家で、あのマンションに帰って絵を描こうとはしていない。スケッチブックも、開かない。こんなにも長い間絵を描こうとしない華を見るのは初めてだ。

 華パパは毎日、華に会う為うちに通っている。出掛ける時は必ずオレも一緒で、二人はまだ、オレを通して会話する。だからって華はパパと一緒にいたくない訳ではないみたいで、パパが来るだろう時間になるとこっそりそわそわ玄関を気にして待ってるんだ。

「父娘水入らずに、オレって邪魔じゃないですか?」

 流石に気になって聞いてみた。二人きりが気まずいのは理解出来るんだけど、毎回オレが一緒って迷惑なんじゃないかなって思ったから。だけど華パパは、オレの言葉に首を振る。

「今私が華の笑顔を見られているのは君のお陰で、君がいなければ華はきっと……戻ってしまう」

 華パパが言うには、今は許しを得る為の努力期間らしい。華の方もオレの手を離そうとしないって事は、まだ二人きりになる勇気はないんだと思う。

「リハビリみたいなものよ。華ちゃんのお父さんと華ちゃんはまだ、お互いにどうやって接していたのか思い出せないの。あまりにも長い間離れていたし、華ちゃんだってもう小さな子供ではないでしょう? 父娘だからって、血が繋がっているからって何の努力もなしに家族にはなれないものなのよ。二人は今家族に戻る為のリハビリ中で、補助者がいた方がリハビリはスムーズに進む。その補助者っていうのが、あんたなのよ」

 連日の外出で疲れたのかパパとの外出だから気を張っていて疲れたのかはわからないけど、華が早めに眠ってしまった夜、二人の事を相談したら母親に言われた事。

「大丈夫よ、きっと。華ちゃんのお父さんは立ち止まっている事をやめたんだから」

 柔らかな笑みを浮かべた母親は、小さな子供にするようにオレの頭を撫でた。

 大晦日はクリスマスの時みたいに田所も呼んでうちで過ごした。元旦もみんな一緒。いつの間にか家族が増えたみたいだ。

 初詣の為に華パパは、華に振袖を買って来た。華は嫌がる素振りを見せずに受け取り、田所に着せてもらう。これまでも、華の家にあった着物は田所が着付けを担当していたらしい。化粧もヘアメイクもやっていたと言うんだから驚きだ。うちの鉄人が万能過ぎる。

「最初はプロに任せようとしたんですが酷い拒否反応を示されまして。何とか出来ないものかと、勉強したんです」

 拒否反応っていうのが大変で、いつも無反応だった華が怯えたように泣き出したからかなり焦ったと言って田所は苦笑を浮かべた。

「プロに触られるのは嫌だったのに田所は平気だったの?」

 勉強したって、華が嫌がれば着付けや化粧どころじゃなかっただろう。

「……いつも、聞いてくれたから」

 田所自身も嫌がられなかった理由は気になっていたようで、オレと一緒に華が発した言葉の続きを待つ。

「しゃがんで、目を見て、話してくれたから。大丈夫って思った」

 田所と華の間にはもしかしたら、五年の間で築いた絆のようなものがあるのかもしれないって、感じた。

 振袖を着た華はすっごく綺麗で、それを見た華パパはまた涙を零す。

「百合と話していたんだ。華がお腹の中にいる時に。女の子だってわかったら百合が、いろんな服を着せてみたいと言ってね。雑誌を見ながらあれを着せよう、これを着せよう……絶対に、可愛いからと」

 零れ落ちる涙を何度も拭いながら、華パパはあのマンションにある大量のドレスや着物の理由を話した。

「若い娘が着る服はよくわからなくて、ドレスや着物ばかりになってしまったけれど……百合の望みを叶えたかった。百合に見せてやりたかった。逃げ出したくせに自分の願望ばかり押し付けて……私は本当に、自分勝手な父親だ」

 頬を濡らした涙を拭きとり、自嘲するような表情で華パパは言葉を落とす。視線は伏せられて華には向けられていない。華はパパの言葉を聞きながら、視線を逸らさなかった。華の唇が何かを言いたそうに開かれて、迷った末に閉じられる。何となくだけどオレは、華の言いたい事がわかった気がした。

「……オレ、母さんが聞かせてくれる親父の話、好きなんです。小さい時にいなくなっちゃったからほとんど覚えてなくて……でも、だからこそ余計に聞きたい。華は? 華はママの話、聞きたい?」

 華の唇が「ママ」って、動いたように見えたんだ。

「聞きたい。もっと……ママの事」

 望みを声に出した華は、自分の想いを吐き出していく。

「わたしは白が好き。前にパパが、ママは白百合が好きだったて教えてくれたから。自分の名前も好き。ママとパパが二人で考えてくれたって、教えてくれたから。服はずっとパパのを着てた。それを取りにパパが帰って来てくれるんじゃないかって思ったから。パパが側に居てくれてるような気に、なれたから」

 一瞬止まったはずの涙が溢れて零れて、華パパはゆっくりと華へ歩み寄る。

 華はまっすぐに、パパを見上げている。

「パパからママを奪って、ごめんなさい」

 激しく頭が横に振られている所為で涙が宙を舞う。崩れた先にいた華へと縋り付くようにして華パパは、華の体を掻き抱いた。

「ごめん。ごめんな、華」

 嗚咽と共に絞り出されたその言葉には、いろんな意味が込められているんだと思う。

 言葉を受け止めた華は、涙を零さず目を伏せる。華は……泣かない。華はどんな想いでパパに「ごめんなさい」と言ったんだろう。

「……パパ。初詣、行こう?」

 華に促された華パパが泣き止んだ後で、五人で近所の神社へ向かった。その道中ぽつりぽつりと、華パパが華のママの事を話してくれる。パパの声で紡がれるママの話に華は、黙ってじっと、聞き入っていた。


 正月休みが明けると華パパは海外へ戻って行った。だけど前と違うのは、仕事の合間を見つけては日本へ帰って来るようになった事。華パパは一生懸命、華との距離を埋めようと頑張っているんだ。オレは、華パパとメールでのやり取りをするようになった。話題はいつでも華の事。華の様子や撮った写真を華のパパへ送ってる。

「ねぇ華。これ、覚えてる?」

 オレがスマホの画面に表示させて華に見せたのはきっかけの絵。黒板に桜と入学式の絵を描いている華の後ろ姿を撮った写真だ。華はその写真を見て首を傾げている。予想はしていたものの、覚えられていなかった事に、ちょっとだけがっかり。

「この絵ってどうしたの? 描いてすぐに消しちゃった?」

 視線を斜め上へと向けて華は記憶を探っている。オレは手を繋いで歩く華の横顔を眺めながら、答えを待つ。

「消えた」

「誰かが消しちゃったの?」

 こくんと一つ、華の頭が動いた。教師は「東華の絵」を消す行為はきっと出来ないだろうから、掃除する時に生徒の誰かが消したんだろうな。

「このデータってさ、オレが持ってたらまずいのかな? 華のパパに聞いてみた方が良いよね?」

 何千万円っていう値が付く絵を描く、東華が描いた絵の写真だ。華が誰かに絵をあげるとパパが怒るって前に言ってたし……なんだか持っているのが少し怖いような気もする。だけど、オレを見上げた華がゆるゆると首を横に振った。

「秋の」

 華の顔には、柔らかな笑み。

「くれるの?」

「思い出」

「……写真を撮ったオレの事、覚えてた?」

「覚えてない。けど、秋だったんだと思ったら嬉しい」

 誰かが写真を撮った事は覚えていたけど、それがオレだとは認識されてなかったみたいだ。そりゃそうだよな。オレはその時華にとっては風景の一部だったんだから。オレ個人を認識してなかったんだとしても、その出来事を覚えていてくれた事が嬉しくてオレは、立ち止まって小さな体をぎゅうっと抱き締めた。

「ありがと。でも念の為華のパパにも聞いてみるね」

「怒られる?」

「どうかなぁ?」

 不安で曇った互いの顔を見合わせながら話し合い、黙っているのも良くないよねって結論に辿り着いてすぐにオレはメールを打つ。今はどこの国にいるんだったかなって考えながら時差の計算をしようとしてみたけど……よくわらからないや。

 華パパからの返事は、メールじゃなくて電話だった。

 その日の夜、夕飯の後で母親と華とテレビを観ながらまったりしていた時にオレのスマホが震えた。画面に表示された名前を見たオレと華は、電話で怒られるんじゃないかって心配になって顔を見合わせて、でも出ない訳にはいかないから電話に出る。

「今、平気かな?」

「大丈夫です。あの……メールの、華の絵を撮った写真についてですよね?」

 返って来たのは肯定で、隣で耳を澄ませていた華がオレを勇気付けるように右手をぎゅっと握ってくれた。

「華が良いというのならそれは君の物だ。ただ、他の人に話したり見せたりしてはいけないよ。良からぬ事を企む人間に知られたら、君や君のお母さんの身に危険が及ぶ可能性があるからね」

 どうやら、華パパがしているのは泥棒の心配みたいだ。東華が描いたってだけで、大金を叩く人がいる。だから華が描いた絵はたとえ落書きだったとしても誰かにあげるのはダメなんだって言い聞かせてきたらしい。その話を聞いたオレの頭に浮かんだのは、アニメで見た怪盗だ。もしそんな奴に狙われでもしたらうちにある物は簡単に盗まれちゃう。

「あの……現像したらダメですか? データのままだといつか消えちゃうそうで、怖くて」

「君が個人的に楽しむ為なら構わない。田所に頼めばきっとやってくれるよ。それで……今日は、華は?」

「隣にいますよ。代わりましょうか?」

「いや……その……」

 華パパが躊躇っているからオレは、隣でくっついて会話を聞いていた華へと視線を向けた。オレと目が合った華の表情は一気に険しくなって、緊張してるっぽい。でも拒否する気はなさそうだから、オレは手の中のスマホを華の耳へ押し付ける。

「ぱ、パパ」

 表情だけでなく声もがちがちに緊張してる。

「夜なの。おやすみっ」

 オレからスマホを奪うと華は、通話を切っちゃった。

 華のあまりの可愛さに笑いが込み上げてくる。すぐ側で一連の出来事を見ていた母親も笑みを浮かべ、がんばったねって褒めるように華の頭を撫でた。余程緊張したみたいで、華はオレのスマホを握り締めたまま空いた手を胸に当てて心臓を抑えている。そのままこてんと甘えるように身を寄せてきたからオレは、華の体を包み込むようにして抱き締めた。



 ※あけましておめでとうございます。残り四話、本日一気に更新します※

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