20 私だけのものでいて2

     2


 黒板いっぱいにチョークを使って描かれた入学式の絵。それを描く華の背中を見つけてから一年が経ち、オレ達は進級した。華とオレは三年でも同じクラス。裕介が言うには、オレが華の世話係なのだと学校側に認識されている所為らしい。なんだそれは。オレは世話をしている訳じゃなく可愛い黒猫を愛でているだけだ。

「おはよう、東さん。オレの名前は?」

「…………佐々木裕介」

「せーかぁい!」

 クラスが離れたけど裕介はしょっちゅう遊びに来る。バイト先は同じだし、華が構ってくれない休日には遊びに行く事だってする。

「秋! オレはついにやった! 認識してもらえた! 覚えてもらえた! 名前呼んでもらえた!」

「おー。おめでと」

「東さん、東さん。佐々木くんって呼んで! あ! 裕介でもオッケー」

「うるさい、佐々木」

「苗字呼び捨ても全然ありだ!」

 オレと華のバカップル度合いは増して、相も変わらず観察されながら過ごす学校生活。三年になっても変わらずオレと仲の良い裕介と、華が言葉を交わすようになった。裕介以外でもクラスメイトの名前と顔を少しずつ覚え、オレがいない所でも他人と会話するようになってきている。

 日々は穏やかに過ぎていき、季節は移ろい、夏が来る。

 高校生活最後の夏休み。休みも半ばに差し掛かる頃の暑い日の夜、オレはキャンバスへ向かう華の背後の定位置でそわそわ時間を気にしてる。華はいつも通り夢中で絵と向き合っていて、これから来る明日が何日かなんて忘れているんじゃないかな。それとも覚えていて、絵を描き終わったらいつもと同じように空を眺めて過ごそうとか考えているのかな?

 オレの手の中には小さな白い箱が一つ。赤いリボンで飾られたそれは、開かれる時を待っている。

――あと一分

 八月六日が終わり、七日がやって来た。

「華」

 いつもなら絵を描く邪魔はしないけど、今日は手を止め、振り向いて欲しい。

「誕生日、おめでとう」

 心を込めて言葉にする。

 筆を止め振り向いてくれた華へ、オレは満面の笑みで想いを伝えた。

「産まれてくれてありがとう。オレは華に出会えて、すっごく嬉しい」

 言葉と共に立ち上がり、目をまぁるく見開いて驚いた表情の華へと歩み寄る。誕生日プレゼントが入った箱を差し出すと、慌てて筆とパレットを置いて手を差し出そうとしてから華は、自分の手を見下ろし躊躇った。絵の具だらけだからだ。

「これね、クリスマスのプレゼントと合わせて付けられるように選んでみたんだ」

 赤いリボンを解き、箱の蓋を開ける。中にはピンクゴールドのブレスレット。メインのハートの飾りの両側にはピンクと白の石の花が咲いている。オレは華から許可をもらってからブレスレットを取り出し、細い手首へ付けた。やっぱり、華のイメージにぴったり。よく似合う。

「ありがとう。わたしも、秋に会えて嬉しい」

 満開の笑顔を咲かせた華が腕を持ち上げ、ブレスレットを部屋の明かりにかざして眺める。そんな華の様子が可愛くて愛おしくて、オレは腰を屈めてすべすべのおでこへ唇で触れた。

「今日は華の為の日だよ。華が望む事は何でもしてあげる」

 白い絵の具がついた頬に触れ、両手で包み込んで瞳を覗き込む。イチゴだって用意してあるしご馳走だって作る。華パパは仕事で帰って来られないみたいだから、オレが全力で、これまで独りで過ごした誕生日を埋める勢いで盛大に祝うんだ!

「秋がいてくれたら、十分」

「……もっと、望んでよ」

「ならお風呂に入る」

 唐突な華の言葉にきょとんとなる。寝るのかな?

「わかった。行っておいで」

 いつも通り着替えを用意しようとしたオレの手を掴んで止めた華が、そのまま歩き出した。手を引かれて歩きながらオレは、首を傾げる。

「華?」

「秋といる時間が、一番好き」

 可愛いオレの彼女は嬉しい事を言ってくれる。オレもだよって想いを込めて、掴まれていた手をきゅっと握り返す。だけど、すぐに華の意図を察したオレは動揺して立ち止まった。ちょっと、ちょっと待って!

「華?」

 もう一度名前を呼べば、華はオレを振り仰ぐ。

「キスがたくさん欲しい。言葉も」

「っ、そんなのいくらだってあげる! 好き! 大好き! 愛してるよ、華」

「うん」

 照れた顔して俯いた華を抱き上げオレは、視線を合わせた。

「愛しすぎてどうにかなっちゃいそうなくらい、華を愛してる」

 今日は華の望みを全部叶える日。お願いを聞いたオレは、華から離れない。ずっと一緒。一晩中キスして愛の言葉を囁いて、華が限界で眠りに落ちるまでそれを続けた。

 目が覚めたのは昼間近。夜は田所と母親がここに来て誕生日パーティーの予定。だけどそれまでは、オレと華の二人きりの時間。瞼が閉じられた華の寝顔を眺めて、オレの胸は優しい温もりで満たされる。

 ママの命日で、ずっと一人きりだった誕生日。そんな悲しい思い出はオレが全部吹き飛ばしてやるんだ。

「可愛いオレの華。大好きだよ」

「…………うん」

「起こしちゃった?」

「……まだ、寝てる」

「寝言?」

「寝言」

 思わず笑みが零れた。

 ベッドから起き出して着替えたオレは、ハッピーバースデーの歌を口ずさみながらケーキを焼く。華の家にはオーブンレンジが増えたんだ。華パパが買ってくれて有難く使わせてもらっている。すっげぇ便利。この家で作れるメニューがかなり増えた。

「オレの愛しいお姫様。イチゴはいかが?」

 ベッドでうとうと微睡んでいた華へ、好物のイチゴを運ぶ。このイチゴは華パパから華へ。昨日の夕方に田所がこっそり届けてくれたんだ。

「秋も食べる?」

 いつもはベッドの上で何かを食べるなんてさせないけど、今日は特別。華はベッドの上で座ってイチゴを頬張り、にこにこ笑って一粒オレに差し出してくれる。甘酸っぱいイチゴ。二人で遅い朝食代わりに味わって、同じ味した唇を重ね合う。

「イチゴ、おいしいね」

「イチゴとオレだったら、どっちが一番?」

「秋」

 意地悪のつもりで問い掛けたのに、迷わず即座に返された答えでオレの顔が熱くなる。嬉しくて幸せで、でも今日は、オレじゃなくて華を幸せにする日なのに。

「オレにとっても華が一番だよ。大好き! 愛してる!」

 くすくすと幸せそうに笑う華をベッドへ押し倒し、何度もキスを交わす。オーブンの中のスポンジは焼けるまでもう少し。夜の誕生日パーティー用のご馳走だって、作るまでまだ猶予がある。だからこうしてベッドの上で、もう少し可愛い華を愛でたって、良いよね。

「秋、秋、秋」

 掌へキスして、そこからゆっくり腕を辿って上っていく。そんなオレの髪を撫でながら、華がオレを呼んだ。

「なぁに?」

 華の肌から唇を離さないまま目だけで見上げると、華は楽しそうに笑う。

「秋」

「んー?」

「愛してる」

「オレも愛してる。すっごく」

 微笑み合って、痺れるようなキスを交わした。

 飽きる事なくベッドの上で唇と言葉で互いの気持ちを確かめ合っていたら、唐突に玄関のベルが鳴らされた。自動ドアをスルーして玄関で鳴らす奴は決まってるけど……今日はまだ、仕事をしているはずの時間だ。約束は夕方。スマホを確認してみたけど、連絡は何も入っていない。

 首を傾げながらもオレは、華のおでこへキスを落としてから玄関へと向かった。

「何かありましたか?」

 微かな不安を抱えながら玄関のドアを開けたオレの視線に飛び込んで来たのは、赤いハートのバルーン。それを持っているのは田所と、今は仕事の時間のはずのオレの母親で……その後ろには特別ゲストまでいる。

「サプライズよ、秋」

 楽しそうな笑みを浮かべた母親が、唇の前で人差し指を立てた。

「実は、準備から手伝いたくて半休を取ったんです」

 赤いバルーンを抱えた田所は、ちらちらオレの後ろを気にしてる。華は今ベッドの上。寝起きのままだし、そこで座って待っている。

「恋人と二人きりの方が華にとっては良いのかもしれないとは思ったんだが……私も、誕生日を祝いたくて……」

 伏し目がちにそう言ったのは華パパで、仕事で帰って来られないと言っていたのはサプライズの為だったみたいだ。多分発案者はうちの母親なんだろう。三人の姿を見たオレの口元が綻ぶ。これは本当に、最高のサプライズになる予感がした。

「華ちゃん、ハッピーバースデー!」

「お誕生日おめでとうございます、華さん」

 音を立てずに玄関で靴を脱いだ三人の大人達。静かに絵の部屋へと続くドアを開けた母親がクラッカーを鳴らし、田所は抱えていたハートのバルーンを室内へ放つ。そんな二人の後ろからは遠慮がちに華パパが部屋へと足を踏み入れクラッカーを鳴らす。

 ベッドの上で驚きの表情を浮かべて固まっている華を見て、各々が違う反応を見せた。

 母親は、着替えさせると告げて寝室の戸を閉め華と引きこもる。危険を察知したオレはいそいそと台所へ向かった。鉄人ビームで焼き殺される予感。

「秋くん」

 鉄人田所は華の第二の父親みたいなもんで、多分華も田所本人にもそんな自覚はないんだろうけど、自覚なんてなくたって田所は華を大切に思ってる。それは「持って行く人」として認識していた時には見えなかったもので、田所本人と接するようになってから見えて来た事実。

「華さんを想うのなら自制を覚えなさい。彼女を大切に想うのなら余計にそれは重要な事ですよ」

 母親伝いに聞いた、田所の華へ対する想い。田所は長い間一人、東親子の幸せについて悩んでいた。華パパが娘を愛していない訳ではない様子を感じ取り、だけど日本で独り過ごす華の現状を見て、手出しが出来ないまま時を過ごしていた。何か行動を起こす勇気を持てず、見守る事しか出来ず、だけど華が心配で他の人間へこの仕事任せて逃げてしまう事も出来ずにいたらしい。もし田所が何か行動を起こしてしまえば決定的にこの親子の関係を壊してしまうかもしれない。だけどこのままでは、何も変わらないのかもしれない。「誰かがあなたを救ってくれますように」という言葉には一体、どれ程の願いが込められていたのだろうと、今なら思う。

「これでもたくさん、我慢してますよ」

 オレの理性との戦いを察しているのかいないのか、華は無自覚のまま煽ってくるけどオレは、これでも頑張って耐えている。大切に……これでもかってくらい大切にしている。

「……君の事は、信頼してます」

 ぽんと頭を撫でられて、二人並んで台所へ立つ。焼いたスポンジは粗熱を取っている所で、その間にやろうと考えていたご馳走の準備を手伝ってくれるみたいだ。背広を脱いだ田所がワイシャツの袖を捲っている。料理が全く出来ない華パパは、落ち着かない様子でこちらを窺っていた。

「そういえば、百合さんの方は何かするんですか?」

 華の誕生日はママの命日でもある。散骨したからお墓はないと華が言っていた。だから、華は毎年この日は一人で空を見上げていたんだって。

 オレが発した質問に、華パパは胸元へ掌を当てた。

「百合はいつもここに一緒にいるから、特には何もしないんだ」

 取り出されたのは銀色をした菱形のペンダント。それが何なのかわからず首を傾げたオレに、田所が教えてくれた。そのペンダントには遺骨が入っているらしい。

 オレ達男三人は会話を交わしながらパーティーの準備を進めていく。料理は主にオレ。助手に田所。華パパは部屋を飾り付けていく。

「主役の準備が整ったわよ」

 閉ざされていた戸の隙間から母親が顔を覗かせて、華の準備が出来た事を告げた。褒めて欲しそうな得意げな母親の表情で期待が高まる。「じゃじゃーん!」なんて言いながら母親が開け放った戸の向こうから出て来た華は、Aラインの真っ白なワンピースをその身に纏っていた。長い髪はオレが見た事のないバレッタでハーフアップに纏められている。ワンピースは華パパから、バレッタは田所からの誕生日プレゼントなんだって。母親からは新しい黒猫の財布をもらったと言って、嬉しそうな笑顔を浮かべた華が見せてくれた。

「華」

 誕生日プレゼントで着飾った自分の姿を鏡へ映し踊り出しちゃいそうなくらいに喜んでいる華を呼んだのは、パパの声。

「誕生日、おめでとう。パパとママの子として産まれてくれて、ありがとう。ママも、パパも……華に会いたかったんだ」

 勇気を出した、パパの想い。ちゃんと本心なんだって、伝わる言葉。

 華の目には涙が溢れて……零れ落ちた。幼い子供のように顔をくしゃりと歪めて、華が泣く。大きな声を上げて、空を仰いで、涙を零した。嗚咽で言葉にならない声が両親を呼んでいる。何度も何度も、「ママ、パパ」と唇が動いてる。そんな華の両手がオレへと伸ばされて、迷わずオレは駆け寄り抱き締めた。

「オレだけじゃなくてみんな、華を愛してる」

 華は余計に泣いちゃったけど、想いが届いた証拠なんだろうと感じた。

 オレが華と過ごす初めての八月七日。大切な彼女が産まれてくれた日。オレが立てていた計画以上に華の誕生日パーティーは盛大なものになった。これが、これからは毎年続く事になるんだ。

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