2 真っ白なキャンバス

2 真っ白なキャンバス1

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 布団が徐々に厚くなり、なかなか起きられなくなる季節。オレは寝ぼけながらすぐ側の温もりを抱き締め顔を埋めて満足する。柔らかくて、温かい。掌であちこち探りたくなる。

 目が覚めたオレは自分の手が不埒な動きをしないよう握り拳を作った。目を開けた先には大好きな女の子。安心しきった幸せそうな顔ですやすや眠っている。毎朝の試練。幸せな拷問。

 寝顔を眺めながら煩悩と戦ってるオレの腕の中で華が目を覚ました。

 オレと目が合うと、嬉しそうなふにゃりとした笑みを浮かべるんだ。

「おはよう。秋」

「おはよ、華」

 起きてるなら許されるだろうと考え、顔を近付けキスをする。

 唇合わせてる内に我慢出来なくなって、閉じている華の唇を舌先でノックした。チロチロとくすぐっていたら微かに開かれ、踏み入る許可が出る。柔らかな温もりの中へ潜り込み、逃げようとしていた小さな舌を見つけて捕まえた。緊張を解すように撫で、絡め取り、誘い出す。

 拳にしていたはずの自分の手がいつの間にか緩み、にじり寄るようにして華の体を上っていく。目的の場所は未だ触れた事ない柔らかな場所。頭の中が、触りたいという欲望で支配される。着替えを見ちゃった時にちらりと見えたそれは、大きすぎず小さくもなく柔らかそうだった。

 指先が、掠める。

「朝よーご飯よー起きなさーい」

 勢い良く襖が開かれたのを合図に手を握り込み、唇も離した。毎朝危うい所で邪魔する母親。助かるけど、出来ればもっと早く邪魔してくれねぇかな。

 赤い顔していつもよりも素早い動作で立ち上がった華が母親のもとへ向かい、残されたオレは布団の中でがっくり蹲る。生殺しも煩悩との戦いも、正直言って辛い。

 気合い入れて布団から立ち上がり、オレも自分の部屋から出た。華は居間の机の前でマグカップ抱えてホットミルクを飲んでる。オレのコーヒーも机の上に置かれていたから、華の隣に座って熱いコーヒーを啜った。

 最近の朝飯は華の家から持って来る食パンとか、バナナにヨーグルトをかけて食べるのが多い。華はバナナにヨーグルトが気に入ったみたいで毎日それ。オレは両方食う。

「華、筋肉痛きてない?」

 昨日は遊園地でたくさん歩いた。夜寝る前にマッサージをしてあげたんだけど、インドア派な華は筋肉痛酷いんじゃねぇかな。

「ふくらはぎピリピリ」

 だろうなと思い、オレは笑う。

「今日の体育マラソンだったよな。辛くない?」

「歩く」

 華は体育やる気ないもんなって、また笑う。サッカーの授業はパスが少し出来るようになった所で終わった。

「いいなぁ。私も行きたかったわぁ」

「仕事だったんだから仕方ねぇだろ。それに、息子のデートについてくんな」

「えー。私も華ちゃんと遊びたいー」

「ふざけんな。この前オレがバイトの時二人で買い物行ったくせに」

 日曜は母親の仕事が休みだから、オレがバイト頑張ってる間に華を一人締めしてやがる。昨日華が背負っていたリュックはその時母親が買った物だ。オレの知らない内にいつの間にか華の服が増えていたりする。別に良いけど、羨ましくて悔しい。だから来月はバイトを減らそうか悩み中なんだ。

 母親が遅出の時、華の髪は母親がやる。その間にオレも自分の準備。今日は遅出の日だから弁当も作ってくれたみたいだ。

 自分の身支度が終わり居間へ行くと、華の髪は頭のてっぺんで一つのお団子になっていた。

「可愛い! それも似合う!」

 きゅうって抱き締めると腕の中で華が嬉しそうに笑う。母親も満足そうに笑ってて、オレと華を玄関で見送ってくれた。

「華、すっげぇ可愛い。大好き」

 指絡めて繋いだ手を引っ張り抱き寄せる。おでこにキスして、華と笑い合ってからまた歩く。

 学校では最近やたらと視線を感じるようになった。振り向いた先にはオレと華をうっとりした顔で見てる女の子達がいて、あからさまに観賞されてるんだよな。でもあれから華が変な事されてる様子がなくなったから、見るだけなら好きにすればいいと思って放置してる。華も気にしてないし。

「おは。これやる」

 教室の自分の席でスマホをいじってた祐介に、昨日買った土産を渡した。

「サンキュー! おはよ、東さん。オレの名前は?」

「秋の友達。おはよう」

 がっくり肩を落とした祐介。見ていたオレは、ぶはっと噴き出して笑う。

 華は祐介を名前で呼ぶ気はないみたいだ。でも会話が成立するようにはなってきてる。祐介も華の絵の事は知ってるけど、芸術はわかんねぇなんて言って何かが変わる事はなかった。

 変わったといえば席替えしたんだ。

 オレは窓際一番後ろ。華はオレの前の席。華の前後と隣のクジを引いた子が交換してくれるって言ってくれたから、でかいオレが視線を遮らないよう後ろの子と交換してもらったんだ。みんな親切。その時何故か祐介も便乗して華の隣と交換してもらって、席替えしてからは絵を描く華を眺めながら祐介と会話してる。

「なぁ、写真撮ってねぇの? 何乗った?」

「撮った撮った。絶叫系一通り乗った」

 スマホを出し、昨日撮った写真を表示させて祐介に渡した。

「コスプレしてんじゃん。しかも似合ってるし。さすが二年の名物バカップル」

「んだよそれ?」

「秋が学校のどこでもデレてるから、結構有名」

 ファンクラブの次は名物とか……どんだけ見世物なんだよってげんなりする。オレの顔を見た裕介は他人事感丸出しで楽しそうに声上げて笑いやがった。

「てかさ、祐介のその情報通みたいなのは何なの?」

 写真を見終わった裕介からスマホを受け取りながら、最近疑問に思っていた事を口にする。

「普通だろ。知らないのは秋が当事者だからだよ。ほらあそこ。あれも秋と東さんを見に来てるんだぜ?」

 祐介が視線で示した教室の後ろの戸へ目を向けたら、数人の女の子が固まりこっちを見ていた。目が合った途端ひそひそ騒いでる。

「なんで華まで?」

 オレはファンクラブとかあったらしいけど、華を女の子達が見て喜ぶ理由がわかんない。

「東さんってちゃんとしてたら美少女じゃん? だから、秋と東さんの美形カップルのイチャイチャを愛でて楽しんでるらしい」

「暇人かよ」

 呆れて溜息が出る。本当にアイドルみたいだ。でもまぁ、そんなに有名なら迂闊に華には手を出せないだろうし、逆に安全なのかもしれない。

「華」

 呼んだら手を止め振り向いてくれる。オレが何も言わないで見つめていたら、首を傾げて「どうした?」って動作。

「可愛い。大好き」

 髪崩さないようにうなじへ手を添え引き寄せる。チュッと、唇に触れるだけのキス。

 顔を離したら、華がふんわり笑ってくれる。「あー幸せー」ってデレてるオレの耳に甲高い声が届いた。さっきの女の子達を横目で見ると、赤い顔で興奮して騒いでる。

「うるせぇ」

 ついつい出た舌打ちで、ピタリと静かになった。

「見るなら静かにしてろ」

 幸せ気分の邪魔をされたオレの機嫌は急降下。騒いだ奴らに顔だけ向けて睨む。こくこく頷いてるから、理解したっぽい。

「てかさ、クラスの連中まで見てるんだな」

 今まで気付かなかったけど、みんなチラチラこっちを見てる。オレと目が合うと誤魔化すみたいに笑ったり、焦って視線逸らしたりで色々な反応。

「何が楽しいの?」

 理解出来ない。不機嫌と呆れが混ざって顔を顰めたオレに、祐介は他人事感満載の笑みを向けて来た。

「害がなければいいんじゃね?」

 害はある。折角華が振り向いて笑ってくれたのに、前向いて絵を描き出しちゃったじゃねぇか。オレはしょんぼりしながら机に上半身倒して右手を伸ばす。後ろじゃなくて隣にするべきだった。顔が見たい。華のブレザーの縫い目を指先で辿り、小さな溜息を吐いた。

 本気で、さっき邪魔した奴らを恨む。


 ピンと冷たい空気の中、校舎の周りを男子は五周。女子は三周走る。この時期の体育はマラソン。オレは走るのが好きだから、運動部連中のちょい後ろをキープ。祐介も同じペースを維持して並んで走ってる。

 二周目の途中でのんびり散歩をしている華を見つけた。全くやる気のない姿に笑みが零れる。追い越す時に肩を叩き手を振ったら、気付いた華が柔らかい表情で振り返してくれた。華は学校ではほとんど無表情。よく笑うのはうちにいる時か完全にオレと二人きりの時くらい。でも学校で微かに動く表情の変化も可愛くて好きだ。

 オレが五周走る間、華はマイペースにずっと散歩してた。

 走り終わった生徒がどんどん戻って来て、オレと祐介がストレッチし終わって汗も引いた頃に華は帰って来た。絶対三周してないと思う。でももう授業が終わる時間だから戻されたみたいだ。

「華、筋肉痛大丈夫?」

 駆け寄ると華がオレを見上げて頷く。

「ストレッチしなよ。手伝ってあげる」

 終わった生徒がストレッチしてる所へ手を引き連れて行って、華にもストレッチをさせた。華って身体柔らかいんだよな。前屈すると膝にぴったりおでこが付く。前屈する華を手伝いながらちょっと不埒な想像しちゃって、慌てて追い払った。

 体育教師の号令で集合が掛かって、華を立たせて一緒に向かう。

「東に体育もやる気出させてくれたら助かるんだけどな」

授業終わりの挨拶をして更衣室へ向かおうとしたオレに、体育教師が声を掛けてきた。

「あー……サッカーは頑張りましたよね? マラソンは無理じゃないですか」

 笑って適当に流す。教師連中に華の保護者扱いされてる気がする今日この頃。

「華、今度マラソン頑張ったら焼きリンゴ作ってあげる」

「走るの嫌い」

 ほらねって顔して体育教師に視線を向けた。

 華が汗流して持久走する姿は想像出来ない。でも想像したら可愛い。赤い顔で必死に走る華。胸がきゅんきゅんする。

「……焼きリンゴ、食べたい」

「わかった! 明日作るね!」

 明日はバイトがない日だから帰ったら作ってあげようと決めて、手を繋いで更衣室へ向かった。そんなオレを体育教師ががっかりと呆れ混じりの表情で見ていたけどシカトだ。だってオレは、華にベタベタに甘いんだから。

 汗を吸った体操着から制服に着替えて教室に戻ると、先に戻ってた華の頭の上のお団子が完全に崩れていた。体育の時にも若干崩れてたし、止めが刺された感じ。

「華、髪ほどくよ」

 絵を描いてる華が頷いたのを確認してから、自分の机にケツ半分乗せて華の後ろに立つ。髪からピンを抜き、軽く梳かした所で予鈴が鳴った。オレの鞄に入れておいた黒猫のシュシュで簡単に右耳の下で一つに束ね、華の旋毛にキスをしてから席へ戻る。

「寺田。頼むから学校で堂々とそういう事をするな」

 クラス担任の現国の授業だったから、教壇の上からげんなりした顔で注意された。

「影でこっそりむっつりより良くないですか?」

 ニヤッと笑ってるオレを見て、担任はでっかい大袈裟な溜息を吐いている。

「鈴やんがんばー」

「鈴木先生と呼べって言っているだろう」

 クラスの連中が担任の応援をしてるけどみんな適当だ。担任がちゃんと鈴木先生って呼ばれてる所はあんまり見ない。親しみ易い感じの人だからな。

 マラソンの後の現国は、眠い。子守唄聞いてるみたい。目の前の華の華奢な背中を眺めてなんとか起きている。白いうなじ、噛みつきたい。

 華は窓側の席になってから授業中はよく外を見ている。空見上げたり、飛んでる鳥を眺めていたり、校庭でやってる体育の授業を眺めたり。そんな華をオレは授業を受けつつ視界に入れている。こんな時は後ろの席で正解だったかななんて、現金な事を考える。

 昼休みが来ると華はオレを椅子にする。窓を背にして横向きで座り、餌待ちのポーズ。

「東さんのその姿勢も定着したよなぁ」

 祐介は自分の席で弁当食いながらこっちを見てる。

「可愛いよな」

 デレデレに笑いながらオレは華に弁当を食わせる。

 華が終わるとオレが食わせてもらって、飯の後で前向きに姿勢を変えた華はオレの上に座ったままでスケッチブックを開く。華を背中から抱き締めて、オレは祐介とくだらない話をよくしてる。今日もくだらない話で笑って、祐介がふと華の絵を眺めた。

「東さんの絵っていつも人いねぇよな」

「それなぁ。……どうしてなんだろ」

 今華が描いてるのは窓から見えるグラウンド。まるで存在しないみたいに人は描かれてない。華が描いた絵で人間が描かれているのは一度も見た事がない。何か理由があるのかな。

「人は、難しい」

 華が手を止め呟いた。

「難しいの?」

「写し取る事は出来る。けど、それだけ」

「写真みたいな絵って事?」

 ちょっと考えるように止まってから、首を横に振る。

「中身がなくなる」

 華の言葉は謎掛けみたいなものが多い。祐介も考える顔になっている。でも、オレはなんとなくわかった。華が本気で気合入れて描いた絵は見ると伝わってくるものがある。多分それが、人間描くとなくなるんだ。それは華がずっと独りだったから。他人に興味がなかったから。だからわからなくて、難しい。

「ずっと一緒にいるから、いつかオレの事を描いて欲しいな」

 首だけで振り向いてオレをじっと瞳に映した華は、ほんのり笑った。

「秋なら、描けるかも」

「そうだったらすげぇ嬉しい」

 蕩けた顔になって、オレは微笑む。そうだったら良いなという願望抱いて、華のこめかみへキスをした。

 いつか、華が描く人間の絵を見てみたい。



※次回の更新は29日です※

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