23 四週目 木曜日

   木


 ベッドは寝心地が良かった。眠りすぎて起きるの怠い。華の家の絵の具の匂い、すげぇ好き。

 隣で寝てる華を抱き寄せようと手を伸ばし、いない事に気が付いた。

「華?」

 眠い目をなんとか開けて華を探す。寝室にはいない。絵の部屋覗いてもいない。風呂かなと思って洗面所のドアの前へ行ってみたらシャワーの音がした。オレも風呂入んなきゃなって考えながらトイレ行って、寝室に戻って時間を確認する。七時半。ベッドが気持ち良くて寝すぎた。このベッド、良いな。

「秋、おはよう」

 ぼんやりベッドに座っていたら華が来た。

「華? 食っちゃうよ、マジで」

 でっかい溜息吐いて、オレは頭を抱える。華はまた、ビショビショの髪でタオルだけ巻いた格好でオレの前に立っている。

「カニバリズム?」

 本気で言ってるんだろう華に近寄って、首に噛み付いてやった。苛立ち込めてちょっと強めに。

「秋、痛い」

「オレに食われたい?」

 抗議してくる華を無視して噛んだ場所から耳にかけてゆっくり唇這わせて、元に戻ってべろりと舐める。

「オレも風呂入ってくる。着替えたら髪、拭いとけよ。出たらドライヤーで乾かしてやるから」

 華の顔は見られなくて、逃げるように入った風呂でしばらくオレは冷たいシャワーを浴びて頭冷やした。

 風呂から上がったら昨日持って来ておいた制服に着替える。着てた服はここに置いておこうと考え洗濯機に突っ込んだ。ここの洗濯機はタイマーが付いてるから、学校が終わる頃に乾燥まで終わるようセットする。帰って来て畳めば皺くちゃになんねぇだろ。

 濡れた髪を拭きながら寝室に戻ると、制服に着替えた華が頭からタオル被って髪を拭いてる所だった。拭いてやろうと思って華の前に立ってタオル越しに頭に触れると、あからさまにビクッとされた。

「華、どうした?」

 顔を覗き込もうとしたオレから逃げるみたいに、華はタオルで顔を隠してる。

「華?」

 タオルをおさえてる華の手と長い髪をどかして出てきた顔は、真っ赤だ。真っ赤で泣きそうな顔してる。

「オレが、人肉食べる奴だってビビってんの?」

 膝立ちになって、立ったままの華を見上げる。華は首を激しく横に振った。濡れた髪が顔に当たって冷たい。

「なら嫌だった? ごめん」

 ぶんぶん首が横に振られた。

「どきどき、して、苦しい。病気?」

 あぁ、なるほど。理解して、オレは吐息で笑う。

「病気じゃないよ」

 華の濡れた髪を掻き分け、真っ赤な顔を探し当てる。唇で華の顎に触れ、そこから滑るように上って唇まで辿り着く。舌先でちろりと舐めてから、吸い付くように軽いキスをした。

「オレも華にこうするとドキドキして苦しい。華の事、すっげぇ好きだから」

「好きは、苦しい?」

「うん。でも悪い苦しいじゃなくて、幸せな苦しいだよ。華もそうじゃない?」

 華が頷いたから、もう一度唇にチュッと音を立てて触れて、立ち上がる。洗面所で華の髪を乾かそうと思い手を引いた。

「秋。手、冷たい」

「……黒猫の誘惑と戦ってたんだ」

 不思議そうに首を傾げた華にはそれ以上の事は答えないでおく。

 髪乾かして、華の髪は黒猫のゴムでポニーテールにした。昨日持って来たサンドイッチを華に食わせて、残ったのはオレが華に食わされる。それだけじゃ足りなくて、オレは冷蔵庫から食パンを出して何も塗らずに食べた。この家にジャムやマーガリンなんてものはない。

 二人で歯を磨き、昼飯用にリンゴを三個持って家を出る。指絡めて手を繋いで、学校までの道をゆっくり歩いた。華は小さいから歩幅も狭い。オレ一人で歩くより時間が掛かるから、あちこち景色見たり、華の横顔見たりして満たされる時間。

「華、可愛い。大好き」

 口から出さないと溢れる気持ちでどうにかなりそうになる。だからたくさん言う。華が嬉しそうに笑ってくれるから、オレは華の笑顔の為にも何度だって伝える。

「秋も可愛い」

「すっげぇ嬉しい! 幸せ! 大好き!」

 まっすぐ見上げて答えてくれる華は可愛すぎて堪らない。だから、オレの顔は緩みっぱなし。

「デレ顔王子と東さん、おは」

 下駄箱で祐介が追い付いて来て、背中をバシンと叩かれた。

「ってぇな。羨ましいのか」

「まぁな。てかオレ、東さんにすっげぇ警戒されてんだけど、なんで?」

 祐介に言われて華を見たら、華が毛を逆立てた猫みたいになって祐介を睨んでた。

「華、どうしたの?」

「秋、痛い?」

 華はオレの背中を心配そうに撫でてくる。

「かっわいいー! 華可愛い!」

 ぎゅうぎゅう抱き締めて喜びアピール。そんで、にこにこしながら華の頭を撫でた。

「心配してくれてありがとう、華。でもじゃれてるだけだから大丈夫だよ」

 オレに頭を撫でられながら、華は首を傾げてる。

「遊び?」

「そ、遊び」

 納得したらしい華は、祐介をチラッと見た。

「おはよう。秋の友達」

「おはよう東さん。オレ佐々木」

 名前を覚えてもらおうとした祐介の言葉は無視される。でもオレは、何でも『秋の』って付くのがオレ中心って思えてすげぇ嬉しい。

「で、おめでとな感じ?」

 指絡めて手を繋いでるオレと華を見て祐介がにやにや笑ってるから、オレは満面の笑みで答えてやる。

「まぁな! すっげぇ幸せ!」

「そか。良かったな」

 一緒に喜んでくれる祐介と、まだ祐介を警戒してる華と三人で四階まで上がって教室に入った。

 テストの返却で、華は勉強してない割にそこまで酷い点数じゃない事がわかった。オレは普通に勉強して平均点ギリ越えくらい。華もそんくらい。でもこの成績で授業中でもずっと絵を描いてるのが許されるのは、学校側も華の絵の事を知ってるからじゃねぇかと思った。

「華、今日母親が休みで華に会いたいって言ってるんだけど、泊まる?」

 一日目のテスト返却が終わって放課後。帰り道を歩きながら確認する。一昨日昨日は母親が華に会えなかったから、会わせろってメールが来たんだよな。

「行く」

「今日の飯は母親が作るけど、食える? 無理ならオレが何か作るよ」

「秋ママも平気」

「そっか」

 オレ以外が作った飯も食える事に、ほっとした。

「華の家の洗濯機をセットして来ちゃったからさ、一旦寄っていい?」

 華が頷いたから、うちに帰る途中にある華のマンションへ寄って洗濯物を片付ける事にした。華の家に着いて、乾燥まで終わっていた洗濯物を皺にならないように畳む。畳んだ洗濯物を持って絵の部屋入ったら、華が可愛かった。

「かっわいい! 着替えたの? 着てくれたの?」

 こくんて頷いた華はこの前買ったワンピースに着替えてた。グレーのパーカーワンピ。マキシ丈だけど背の低い華に合うのがあって、オレが選んだ。カジュアルで楽そうだと思ったんだ。洗濯物は床に置いて、可愛いを言いまくって華を抱き締め顔中にキスをする。

「ほんと、可愛すぎて今すぐ食べちゃいたい」

 掠れた声で言うオレを見上げて、華は困った顔してる。

「食べられるの、困る」

 本当に困った顔をしてるから、オレは噴き出して笑った。

「オレでもダメ?」

「ダメ。痛い。死ぬ」

「そっか。でもオレは、華にだったら食われたい」

 心底わからないって表情で華は首を傾げてる。まだわからなくてもいいやって思う。その内。

「洗濯物片付けたらうちに行こう」

 床に置いていた洗濯物を取って、華の服は寝室にある箪笥へ片付ける。オレの着替えはクローゼットの隅に置かせてもらった。

 華の制服と学校の荷物を持って、鍵閉めて手を繋ぎ二人でうちまでの道をのんびり歩く。

「おかえり華ちゃん! 今日はグラタンよー」

 玄関開けたら母親が華に飛び付いた。息子は無視かよ。

「秋ママ、ただいま」

 母親の腕の中で、華がはにかんでる。

「おかえりなさい。あら、これこの前買った服ね。可愛い似合ってる可愛すぎー」

「おい、とりあえず落ち着け。中入らせろ」

 玄関から先に進めなくて注意したら、母親は渋々華から離れた。

 家に入った途端に母親が華に抱き付いたまま放そうとしなくなって、オレは溜息吐きながら着替えの為に自分の部屋に行く。また華を取られた。

 部屋から出ると、華がにこにこしながら体育座りしてオレを待っていた。うちにいる時の華はずっと笑ってる気がする。

「華、手洗いうがいした?」

 聞いたらこくんて頷いたから、オレも台所に行って手を洗ってうがいする。そしたら母親がホワイトソース作りながら体を寄せてきた。

「ご飯、華ちゃん食べられるって?」

「平気だってさ、秋ママ」

 心配そうに眉を寄せてる母親の眉間、人差し指で突いてやる。

「そ。それなら良かった」

 オレが突いた眉間を片手でさする母親は、優しい顔して笑ってた。オレは、この人の息子で良かったってよく思う。言ってやんねぇけど。

「華、本当にその服似合ってる。すげぇ可愛い」

 にこにこ笑ってオレらを見上げていた華の前にしゃがんでデコチュー。華は嬉しそうにくすくす笑って、鞄の所まで四つん這いで進みスケッチブックを取り出した。オレもその隣へ移動して、テレビ付けて夕方のニュースを聞きながら漫画読む事にする。しばらく二人でそうやって過ごしていたらチーズの焼ける良い匂いがしてきて、華が絵を描きながら鼻をすんすんさせた。

「華、可愛い」

 あまりにも可愛いから鼻の頭にキスして、オレは母親の手伝いに立つ。机拭いて、三人分のサラダとフォークを並べた。華は絵を描く手を止めて、じっとオレの動きを目で追ってる。でも無表情じゃなくて楽しそう。多分、グラタンが楽しみなんじゃねぇかな。

 猫舌の華の前には最初に焼けたグラタンを置く。瞳がキラキラし始めてる華は、本当にグラタンが大好きみたいだ。

 人数分焼き上がってから母親も座って、三人でいただきますをした。食いながら、母親が横目で華を気にしてる。熱々のグラタンに一生懸命息を吹き掛けて冷まし、ぱくりと口の中へ詰め込んだ華はゆっくり咀嚼して、幸せそうに笑った。

「秋と同じ味」

 オレも母親もほっとして笑って、二人同時に華の頭を撫でた。

「オレは母親の味で育ったからな。多分他の料理も一緒」

「秋のご飯、好き」

「すげぇ嬉しい! 華大好き!」

「でもそれ、私のご飯も好きって事かしら?」

 母親の質問に、華は頷く。

「嬉しい! 華ちゃん大好き!」

 にこにこ笑う華と華にデレデレの母親とオレ。ギャーギャー騒ぎながらの晩飯は、腹も気持ちも満たされた。

 風呂に入って寝る準備が終わってしばらくすると、漫画を読んでるオレの膝に華が擦り寄ってきた。

「秋」

 頭を腿に乗せて、オレの名前を呼ぶ。漫画から外した視線をやると、華はとろんと眠そうな目をしていた。

「どした?」

 頭撫でながら聞くオレを見上げて、華はふんにゃり笑ってオレを呼ぶ。

「秋」

「なに?」

「秋」

「……どした?」

 幸せそうな顔で笑って、華は満足そうに目を閉じた。

「華。好きだよ。大好きだ」

 目を閉じた華の頭を撫でながら囁くように告げる。華は嬉しそうに微笑み、寝息を立て始めた。

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