16 三週目 木曜日

   木


 いつもと同じ朝。だけど今日は少しだけ特別な日。

 オレの手には学校鞄と華に食わせる為の朝食が入った袋がぶらさがってる。日課になりつつあるこれは、いつもなら小食の華に合わせたサイズで入れ物もかさばるようなものじゃない。だけど今日のオレが持って来たのはいつもより大きな皿。これを食べる華を想像すると、自然と頬が緩んじゃう。

 そわそわうきうき。弾んだ心のまま笑みを浮かべたオレは、華の家に招き入れられるとすぐに朝食の定位置へ腰を下ろして持って来た皿の上に掛けてあるラップを取った。

「ねぇ華。おめでとうって言ってくれる?」

 不思議そうな顔で皿を見ながらオレの対面へ座った華にお願いする。

「おめでとう」

「ありがとう!」

 にこにこ笑いながら、皿からアップルパイを一切れ取って華に差し出した。

「美味しい?」

 甘い物が好きな華は顔をキラキラさせて美味しそうにアップルパイを頬張っている。その姿を見てるだけで、幸せで死にそう。

 今日はオレの誕生日。アップルパイの二切れは母親の為に家の冷蔵庫に入れておいた。華からは昨日最高のプレゼントと、テスト勉強を終えて帰る時にリンゴをもらったからそれを使ってアップルパイを作ってみたんだ。生地は冷凍のだけど上手く焼けてると思う。オレって天才!

「美味しい」

 アップルパイを食べる合間に、水筒に入れてきた温めの紅茶を飲みながら華が笑う。ボリュームたっぷりに作ったから、華は一切れでお腹一杯になったみたいだ。オレも華に食べさせてもらってアップルパイを堪能した。

「華の誕生日はいつ?」

 昨日の編み込みお姫様ヘアが可愛かったから今日もそれにしようと決めて、華を洗面所の鏡の前に連れて行きながら聞いてみる。

「八月七日」

「あぁ。だから名前がハナ?」

 納得。でも華は頷かないで鏡越しにオレをじっと見てる。どうしたのって首を傾げて見せたら、ゆっくり口を開いた。

「ママが、百合なの」

 言葉の意味を考える。百合は花で、ゆりの花。なるほど。

「百合の、華?」

 華が頷いた。

「ママが考えたの?」

「パパも」

 なんだ、ちゃんと愛されてるじゃないか。なのにどうして父親は華を独りにしているんだろう。

「良い名前だね」

 鏡越しに、華がふわっと笑った。

 残ったアップルパイは放課後勉強の時にでも食べようと思い、華の家の冷蔵庫に入れた。一切れだけラップに包んだのは、タイミングよく下駄箱で会った祐介に渡す。昨日の良いきっかけのお礼だ。

「サンキュー! 誕生日おめでとう、秋」

「おう。サンキュー」

 華と手を繋いでるオレの前を歩きながら、祐介は早速アップルパイにかぶりついてる。

「うめぇ! 女子力たかっ」

「華に尽くす為に頑張ってるからな」

 何度も「うめぇうめぇ」を繰り返してまるで羊みたいになった祐介に女子力の高さについて茶化されながら教室へ入り、鞄を置く為自分の席へ向かったオレに、何故だか華もついて来た。

「華?」

 何か言いたい事があるのかなと思ったから、椅子に座って目線の高さを合わせる。

「秋、誕生日?」

「うん」

「誕生日は、おめでとう?」

「うん?」

 言いたい事が見えてこなくて首を傾げるオレを、華は不安そうに見てる。華が抱いている不安を和らげたくて小さな両手を握りながら謎掛けみたいな言葉の意味を考えて――わかった。

「華の誕生日は、おめでとうしないの?」

 華が頷いた。

「一回も?」

 また頷く。

「パパが、泣く日」

 父親、殴りてぇ。どれだけ奥さんを愛してたのかとか、オレにはわかんない。だけど、だからって、娘を蔑ろにして良い訳ない。オレは両手で華の頬を包み、おでことおでこをくっつける。華の瞳をまっすぐ覗き込んで、心からの気持ちを笑顔にする。

「オレは、産まれて、華に会えたのがすげぇ嬉しい。だからオレは、おめでとうが良い」

 華はオレの瞳をじっと見返して何かを考えてる。少ししてから口を開き、言葉を紡ぐ。

「秋。誕生日、おめでとう」

「ありがとう」

 オレが笑顔になって、華もつられるように笑う。

 八月七日。盛大に祝ってやろうって、オレはひっそり決心した。

「秋が昨日泣いた理由、わかったかも」

 朝のホームルーム中、祐介が呟いた。オレは祐介をチラッと見て、頬杖付きながら二列向こうの華の背中を見やる。

「華の家って、何にもないんだ」

「一人暮らし?」

「そう。すごい状態だった」

 大掃除前の華の家を思い出し、オレは目を伏せる。父親は何してんだって考えたら激しくムカついた。


「秋、オカンみたいだな」

「なんでまた一緒に食ってんだよ」

 オレの至福タイムを祐介が邪魔してくる。不機嫌に睨むオレを、祐介は楽しそうに見ていやがる。

「苦いの嫌」

 じゃれるように言い合うオレらの前では、華がピーマンを拒否中。

「苦くないよ。食ってみて?」

「嫌」

 華は断固拒否の姿勢だ。

「でも華、実はピーマンちょくちょく食ってんだよ?」

 オレはピーマンを細かく刻んでいろんな物に混ぜていて、華は気付かずに食べてる。だから今日はあからさまにピーマンって状態で持って来てみた。

「今まで、オレのご飯うまかっただろ?」

 華は疑うようにオレをじっと見てから恐る恐る口を開け、食べた。

「苦くないだろ?」

 咀嚼しながら、ちょっと驚いた顔してるのが可愛い。

 ご褒美代わりに華が好きな甘い卵焼きを差し出した。これでピーマンは克服したかな。

「東さん、お菓子食べる?」

 ごちそうさまをしてからスケッチブックを取り出した華に、祐介がお菓子を差し出した。けど華は無視。ざまあみろ。

「なぁこれ、秋がやってみて」

 祐介に促され、オレは袋から一本取って華の口の前へ持って行く。食った。

「か、可愛いっ」

「そんな気がしたんだよな」

 祐介が差し出して無視されて、オレが差し出したら食べるっていうのをもう一回やったら何故か祐介が満足そうにしてた。

「良かったな、秋」

 ニッと笑った祐介と顔を見合わせ、オレも笑顔になる。

「華、大好き」

 オレの言葉で華が絵から顔を上げて、小さく笑った。



 夜の遅い時間。布団で寝てるオレの頭を仕事から帰って来た母親が撫でてきた。オレは起きてたけど、そのままじっとしてる。

「誕生日おめでとう。産まれて来てくれてありがとう、秋」

 小さな声で母親が言うこれは、毎年の恒例行事。毎年、オレは起きてるけど寝たふりをする。でも今年は伝えたい事があった。

「産んでくれて、ありがとう」

 途端に抱き付いてきて母親が泣くもんだから、照れ臭くてオレは、そのまま寝た。

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