11 二週目 土曜日

   土


 ハンバーグの入ったタッパーとおにぎりを持ってバイトへ行く。休憩室の冷蔵庫にタッパーを入れてから着替え始めた所で、眠そうな祐介が来た。

「おはよ」

「あぁ、おは。どうした秋、やる気満々?」

 確かにオレは朝からやる気に満ち溢れてる。だって、今日は土曜なのに華に会えるんだ! 早くバイトを終わらせて華に会いたい。

「最近の秋、なんだか楽しそうだよな」

「そうか? まぁ、楽しい」

 会話しながら、祐介もロッカーを開けて着替え始める。

「野良猫の手懐けは順調なの?」

「あー、まぁな。バイトの後は野良猫に餌やりに行く」

 オレの答えを聞いた祐介が噴き出して笑った。失礼な奴だな。

「いや、悪い。昼休みの秋を思い出して」

「んだよそれ?」

「自覚ねぇの? お前すっげぇ幸せそうな顔して餌付けしてんの」

 いや、自覚はある。実際とんでもなく幸せだし。

「なぁんか、人って変わるもんだよな。あの秋がって感じ」

「どのオレだよ」

 茶化してみて、一年の時の自分を思い出す。寄って来る女の子を取っ替え引っ替えして、そのくせ餌はやらない。餌やらない事を文句言ってきたらバイバイ。くれる物をもらうだけ。そんな最低なオレ。

「でもさぁ、幸せなんだけど、前のオレのしっぺ返しが華に来てるかもしれねぇの」

「昨日のお姫様抱っこ事件?」

「それだけじゃなく、びしょ濡れ事件も」

 変な名前だよなって、心の中でちょっと笑う。

「あー。秋、王子様だからなぁ」

「王子ってなんだよ。バカにしてんの?」

 オレが眉間に皺を寄せると、祐介は驚いた顔でこっちを見た。

「秋知らねぇの? お前、ファンクラブあるんだぜ」

「はぁ?」

 アイドルじゃあるまいし、訳わかんねぇ。

「おーい。そろそろ表出ろー」

 店長からの声が掛かり、タイムカードを押して表に向かう。

「ま、オレの方でも気を付けて見といてやるよ」

 並んで歩きながら祐介がそんな事を言うから、こいつ良い奴だよなって、オレは無言で感動した。


 今日も一日頑張って働いた。ハンバーガーをたくさん作ってた所為で油臭くなった体を拭いて、制汗スプレーで誤魔化す。冷蔵庫からハンバーグのタッパー出して、休憩室のレンジでチンした。華の家には電子レンジすらない。

「それ野良猫の餌? 秋が作ったの?」

「まぁな」

 帰り支度をした祐介に聞かれて頷いたら、驚いた後で呆れたように笑われた。

「なんつーかまぁ、がんば」

「おう」

 明日祐介はバイトに来ないからまた月曜って挨拶して、オレは華の家へ急ぐ。駅から学校を通り越して約五分で華のマンション。オレの家はそのもっと先にある。

 自動ドア横のインターホンを押したら無言開錠。エレベーターで上がって、華の家のインターホンを押す。玄関から顔を出した華は絵の具だらけで寝起きみたいだった。もう夕方なのに、昼寝かな。

 華が無言で奥へ引っ込むからオレもついて行く。ドアを開けた先の広い部屋では、でっかい絵が完成してた。

 一本の木と、泣きたくなるような空の絵。幻想的で綺麗なのに、色使いが無性に寂しくなる。これが華に見えてる世界なら華は、寂しい、寂しいって、言ってる気がした。

「秋?」

 泣いてるオレを、華が不思議そうに見上げてる。顔は絵の具だらけで髪もボサボサ。もしかしたら、昨日帰ってからずっとこの絵を描いてたのかも。

「華、お腹空いた?」

 頷いた華を床へ座らせて、おにぎりと少し冷めちゃったハンバーグを出す。

「これは既製品です」

 手作り感丸出しのタッパーだけど華に暗示を掛ける。そんなオレを、華はじっと見ていた。

「美味しい?」

 ピーマン入りのハンバーグを華はゆっくり噛んで飲み込む。また口を開けたから気に入ったみたいだ。

「おにぎりもあるよ」

 三回ハンバーグを口に運んで、今度はおにぎりに海苔を巻く。梅干しの身を解して混ぜ込んだおにぎり。口元に差し出したら華が警戒するみたいに匂いを嗅いで、そっぽを向いた。マジで猫みたい。

「梅干し、嫌い?」

「すっぱいの嫌い」

「そっか。じゃあこっちにしよう」

 もう一個は昨日気に入ってたっぽい鮭と胡麻のおにぎり。これはまた、オレの手首を掴みながら一生懸命頬張ってた。

「ごちそうさまでした」

 満足そうにお腹をさすって、華は満腹を示す。残った分は置いて行ったら食べてくれるかなって考えてたら、華が箸を持ってハンバーグに突き刺した。それをそのままオレの口に持ってくるから、でっかい塊をオレは一口で食った。グーで箸を握ったまま、華はオレをじっと見てる。オレが飲み込んだのを確認すると今度は華が拒否した梅のおにぎりを取ろうとしたから、止めた。

「手、絵の具だらけ」

 不思議そうな表情を浮かべた華は、自分の手を見て納得したみたいだ。立ち上がって台所へ行き、手を洗ってる。戻って来た華の手からポタポタ水が垂れてるから、オレの鞄からタオルを出して拭いてやった。

 綺麗になった手で、華は梅のおにぎりを掴んで差し出してくる。

 これはもしかして、華は自分がやられて嬉しい事を返してきてるのかな? なんとなくそんな気がして、オレは黙って華の手からおにぎりを食う。華は自分で食うのも下手だけど、人に食べさせるのも下手くそで笑えた。

 飯食い終わったら華を風呂場に押し込む。自分の理性と戦うのはごめんだから、今回は事前に着替えを持たせた。その間にオレは台所掃除をする。これが終わったら至る所の埃を撲滅するつもりだ。

 コンロの埃を落としている所で華がびしゃびしゃの髪で戻って来たから、オレは掃除を中断して奪ったタオルで華の髪を拭く。

「その服、華の?」

 また華はサイズが合ってないズボンとシャツを着てる。しかも男物だ。

「華? 華、華、華、華?」

 華が無言のままだから、この前発見した名前連呼で答えを促してみたら答えた。

「パパの」

「パパ? パパはどこにいるの?」

「……日本に、いない」

 少し答えが怖かったけど、予想してたのとは違う答えで安心した。海外で仕事をしてる親なのか。でも生活力のない娘を一人にしてるなんて、どんな親なんだろ。

「ママもパパと一緒に海外にいるの?」

「ママはお空」

 あーなるほど、わかった。それ以上突っ込んで聞いて良いのか躊躇う。悩みながら華の手を引いて洗面所へ行き、ドライヤーで髪を乾かしてやる。

「ママは、いつお空に行ったの?」

 もういっそとことん突っ込む覚悟をして、乾いた髪を梳かしながら聞く。華は鏡越しにじっと、オレを見た。

「産んだ時」

「……パパとは、一緒に住まないの?」

 華が、目を閉じた。そのまま無言が続いて、今オレが許されるのはここまでなんだって、思った。

「華、好き。大好き。オレは、華が大好きだよ」

 梳かして髪がサラサラになった頭を後ろから抱き締めオレは、ちょっとだけ泣いた。


 気分を入れ替えて台所を磨き始めたオレを、華は体育座りでじっと見てた。段々黒猫の世話をしてる気分になってきて楽しくなる。ピカピカになったコンロとシンクに満足した所で、そういえばって思い出す。鞄から小さな容れ物を出して、体育座りしてる華の前に座った。

「手、貸して?」

 華はじっとオレを見て動かない。警戒してる猫みたいな華が可笑しくて、笑いが込み上げる。

「痛い事も怖い事もしないよ」

 笑顔で言うオレを見ながら、恐る恐るって感じで華は手を差し出した。容れ物からハンドクリームを取り、オレの掌で温めてから華の手に刷り込む。

「良い匂い」

 華が鼻をくんくんしてて可愛い。

「桜の香り。季節外れだけど、良い匂いだろ?」

 昨日の帰りに見つけて買ったハンドクリーム。オレにとって、華は桜のイメージ。多分、最初に見たのが桜を描いてる華だったからだ。

 イチゴ味のリップに桜の匂いのハンドクリーム。オレの鞄に、華の為の物が増えていく。

「気に入った?」

 聞くと華が頷くから、なんだかすっごい幸せな気分になってオレは笑う。

「明日また来て、掃除してもいい?」

 七時過ぎたし、今日はもう掃除は微妙だなと思って聞いてみた。

「いいよ」

 すぐに答えてくれたのが嬉しい。人の家で掃除しまくる変な奴になってるけど、気になるんだから仕方ないと思う。明日こそ床の埃撲滅だと誓って、玄関で靴を履く。

「また明日ね」

「……また、明日」

 返ってきた言葉に満足して、オレは玄関を出た。今日の夕飯と明日の事を考えながらの帰り道は、なんだか楽しかった。

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