第9話 それぞれの思い(2)
香里はアパートの玄関で座りこんでいた。
今朝のニュースでずっと大好きだったバンドのリーダーが自殺したと知った。
ライブには毎月のように一人で出かけた。誰にも知られず音楽に没頭できる場所。それがライブだった。小さなライブ会場はいつも100人ほどで満員。ほとんどの客は黒い服を着てライブが終わるとそれぞれが黙って帰っていった。
たった一つの楽しみであり心のよりどころだった。
そこへアパートのドアのチャイムを鳴らす音がした。
近くに住む従姉妹の由佳だった。
由佳は母親の妹の娘で、同じ歳というこもあり、幼い頃から仲が良く、友達のいない香里が電話で話したりメールでやりとりする唯一の人間だった。
由佳は香里が大好きだったバンドを知っていたため香里が落ち込んでいると思いメールしたのだが返信が無いのでアパートにやってきたのだった。
「香里!大丈夫?落ち込んでるとは思ったけどやっぱり・・・」
由佳は香里がうつ病でリストカットしてしまうことを知っており、過去にアパートに駆けつけて浴槽で気を失っているところを助けたことがあった。
「香里、あんまり考え込むのはもうよそうよ。自分は自分だよ!楽しいこと考えて
前に進まなきゃ」
わかっていた。
自分でも落ち込むたびにそう言い聞かせてきた。
そう言い聞かせる自分に対して別の自分が「もういいよ、頑張るのはやめようよ」と言ってくるのだが、今年に入ってからはその声が更に強くなった。
香里「ねえ由佳、由佳が本当に楽しいって思う事ってなに?」
由佳「そうね、あたしは趣味の旅行とスキューバダイビングがあるでしょ、それと
普段は映画を観たりショッピングしたりお友達とお茶したり・・・」
香里「そう・・・」
由佳「何よ、香里だって、もっと今の女の子らしくそういうことを楽しんだらいい んだよ!あたしの友達と一緒にたまには出かけない?」
香里「うん、でもいいの、そういうの楽しいって思えないから私が行ったらブチ壊
しにしちゃうわ、きっと」
由佳「恋!恋をするといいよ、ボーイフレンドは?」
香里「そんなのいない。男なんてめんどくさい」
由佳「う~ん、そんなことないよ、今度合コン一緒にいこ!」
香里「・・・」
由佳「ふぅ・・・」
玲奈は女友達二人と渋谷にショッピングに出かけていた。お店を回ってスカートと春物のピンクのブラウスを買った。友達と過ごす一日はあっという間に時間が過ぎ、帰る前に喫茶店に寄った。この前の土曜日に権三達と出会った場所だった。
「なんだかな・・・」
店の中を見渡して玲奈がつぶやいた。
「ん?何?玲奈」
「ううん、何でもない」
急に権三のマンションで共同生活する話を思い出した。
友達と別れ、アパートに戻ってもまだ考えていた。
「共同生活」---意外と面白いかもしれない。家賃や食費は三人で分割できるから生活費は抑えられるし、あの二人なら特に危険でもなさそうだ。あれ?でも家事はあたしの仕事?それは困る。あたしは料理が苦手だもん。せめて家事は交代制にしてもらって。でも待てよ、あの二人も仕事を辞めちゃったはず。それじゃどうやって生活するの?いやいや、自殺願望の三人が生活なんて事考えなくてもいいじゃない。三人で自殺して大きく報道されて、あいつが驚けばいいわ。毎晩化けて出てあげるからね。
玲奈は部屋の荷物をまとめ始めた。
土曜日---
玲奈は横浜に向った。横浜駅東口からタクシーに乗り、運転手に行き先の住所を見せた。
「お客さん、ここから歩いてすぐですよ」
「ごめんなさい、でもわからないから行ってください」
しぶしぶ運転手は車を発車させると3分もかからずマンションの前に停車した。
料金を払ってタクシーを降りて見上げると空にそびえるタワーマンションがあった。
「すごい!こんなところに住んでるのね」
マンション入り口にあるインターホンカウンターで、権三からもらった住所のメモに書いてある部屋番号「2501」を押した。
「はい!」
権三の声がした。
「ミルキーです」
「おぉー!ミルキーちゃん来てくれたんだね、今開けるからね」
自動ドアが開き、中に入るともうひとつドアがあり同じインターホンカウンターがあった。
「すごいセキュリティね」
再度部屋番号を押すと自動ドアが開いた。
ずらっと並んだ住民用の郵便受けと宅配便用のボックスの奥にエレベータがあった。
「25階・・・」
そして2501号室の玄関のチャイムを鳴らすとすぐにドアが開き、権三が出てきた。
権三「いらっしゃい、ミルキーちゃん!ささ、あがってあがって」
勇輝「いらっしゃい」
勇輝も笑顔で玄関に出てきた。
玲奈「あ、ヨタハチさん、やっぱり来てたのね」
勇輝「僕はあの翌日にはもう来てたんだよ」
玲奈「そうだったの」
権三「かおりんは来ない?」
玲奈「彼女は来ないわ・・・こういうの好きじゃないみたいだから」
権三「そうか、残念だけど仕方がないな、それじゃ三人での共同生活の開始って
ことで」
権三と勇輝の二人は、月曜日からマンションの部屋を整理して残りの部屋も開けて掃除しておいた。どうせ死ぬつもりなのだから思い出の物も贅沢品もいらない、すべて処分した。
権三「ミルキーちゃんの部屋はここ。あ、こっちでもいいよ。かおりんが来ても
良いように2部屋開けてあるから」
玲奈「ありがとう。じゃ、こっちにしますね」
玲奈はリビングから一番離れた部屋を選んだ。
リビングに接した広めの部屋が権三、廊下を挟んで反対側が勇輝、その隣の部屋は空き部屋で一番奥の玄関に近い部屋が玲奈だった。
玲奈「えー収納これだけ?」
各部屋とも作り付けの収納は小さなものだった。
権三「マンションなんてこんなもんだよ、って言うかミルキーちゃん、荷物無い じゃん」
玲奈の荷物は少し大き目のトートバッグだけだった。
玲奈「明日、ダンボールが7個着きます」
権三「ダンボール7個?そんなに置けるわけないじゃん」
玲奈「どっかにおかせてくださいよ」
権三「うへー!俺の部屋しかないじゃんか」
玲奈「うわーっ!すごい眺め~。最高~」
権三「海を見ると落ち着くだろう?」
玲奈「ここに永住する!」
権三「自殺願望じゃないのかよ」
香里は由佳の励ましもあり、もう一度頑張ってみようかという気になってきた。
もう一度、社会に慣れるようにやってみてダメだったら本当に静かに消えていこうと。
そして権三からもらったマンションの住所の紙を取り出した。
「共同生活なんてできるかな。でもこれができなかったら社会に慣れるなんて絶対無理ってはっきりするな、じゃぁ挑戦してみようかな」
香里は荷物をまとめ始めた。わずかな衣類、下着と靴、化粧道具。
「あとはそのうち全部捨てればいいわ」
由佳に借りた旅行用のキャリーバッグ1つに詰めて横浜に向った。
権三のマンションのオートロックのチャイムが鳴った。
香里「香里です。先週の土曜日渋谷でお会いした」
権三「お~、かおりんか?お~よう来た、よう来た!」
香里「はい・・・」
権三「すぐ開けるからエレベータで25階に上がってきて。2501号室だから ね」
権三は振り向くと笑顔の二人に親指を立てて玄関に向った。
権三「よく来たね~はいはい上がって上がって。今日から君の家でもあるんだ気兼 ねは無用だからね」
香里「ありがとうございます」
四人はリビングに集まりソファに腰掛けた。
権三「今、コーヒー入れるからね」
玲奈「あたしがやるから。共同生活なんだからね、お客さんじゃないんだから」
権三「お、ほんじゃぁ頼むよ、さぁ今夜は共同生活開始のパーティーだ!
何食いたい?寿司か?」
勇輝「そうですね、鍋なんてどうです?」
玲奈「あたしはピザがいい!」
権三「かおりんは?」
香里「何でもいいです」
権三「よし!じゃ今日は鍋にしよう。カニとかいっぱい入れてさ」
勇輝「それじゃ買出しにいきましょう」
マンションのすぐ近くにスーパーがあるので四人で買い物に行った。
3月下旬にもなるとさすがに鍋用の食材も少なくなっていたが、四人はレジ袋が5個にもなるくらい食材を買い込んだ。
スーパーの横には公園があった。そこで香里が足を止めた。
香里「うわーきれい!」
玲奈「えっ?」
三人が振り向くと公園に咲く数十本の桜が満開になっていた。
勇輝「本当だ!すごい」
権三「俺も気がつかなかったよ」
権三はスーパーにはしばらく行っていなかったので気がつかなかったのだ。
買い物袋を提げたまま四人はしばらく桜を黙って見つめていた。
「かんぱ~い!」
権三「うんめ~!やっぱビールはうまい!」
勇輝「ふぅ~生きてて良かった」
権三「自殺願望者の集まりとは思えないな」
玲奈「いいの!いいの!生きてる間は楽しくやりましょ」
権三「これからの生活について考えたので発表します!
生活費は四人で均等割りにして月末に支払う。お金の管理は、ミルキーに
頼みたい。食事の支度と掃除は当番制、洗濯は男女別々でそれぞれで行う、
とこんな感じでどうかな?」
玲奈「早く死んじゃえば関係ないけど」
権三「ま、そうなんだけどこの前話したように死に方も決まらないだろ、だから
しばらくは生活すること考えなきゃ」
玲奈「まぁそうね」
権三の妻の仏壇を見て香里が呟いた。
香里「奥さんキレイな方ですね」
権三「そうだろう?最高の妻だった。キレイだし、気が利くし、働き者だし・・・
グスン。29日が月命日だから毎月29日にはお墓参りしてるんだ」
勇輝「今月はあさってですね、じゃぁみんなでお墓参りしましょう」
ヨタハチの提案に三人が頷いた。
鍋をつつきながら今度は日本酒を飲みだしていた権三は赤い顔で泣き出した。
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