さようなら
私は西園寺蘭子。霊能者です。
史上最悪の呪術師である内海帯刀との戦いも終盤です。
いよいよケリを付ける時が訪れようとしています。
「うぬがまさか、六字大明王陀羅尼を使いこなせるとはな……。やはり侮り難きは西園寺の血か」
帯刀は自嘲気味の笑みを浮かべているように見えました。
六字大明王陀羅尼は究極の浄化真言です。
悪鬼羅刹ですら浄化すると言われているほど強力です。
ですから、例え人間の領域から飛び出してしまった帯刀でも、無事ですむはずがありません。
彼の妖気は
「うは」
親友の八木麗華が呻き声をあげたのも無理はありません。
あの見目麗しかった帯刀の顔が見る見るうちに老いていき、皺だらけの顔になってしまったからです。
「帯刀……」
帯刀の弟弟子であった名倉英賢さんは悲しそうに彼を見つめていました。
江原雅功さんも同様です。
「見ん方がいい、嬢ちゃん」
出羽の修験者の遠野泉進様は気功少女の柳原まりさんの目を背けさせました。
まだ若いまりさんにはあまりにも刺激が強過ぎるからです。
「ぐああ!」
その力を喪失したためか、その身に宿していた二つの魂が解放され、帯刀の口から飛び出してきました。
「良かった、解き放つ事ができたのね」
私はホッとして呟きました。飛び出してきた魂は融合していた帯刀の魂と分離し、元の状態に戻りました。
一つは若い気功師、もう一つは徳の高い僧侶の魂だったようです。
二つの魂はしばらく私達の周囲を感謝の意を表しているかのように巡り、天へと昇って行きました。
「さあ、貴方ももうお逝きなさい、内海帯刀」
私は力を消失してすでに只の老人になってしまった帯刀に微笑んで告げました。
「先生、ダメです!」
その時、弟子の小松崎瑠希弥が叫びました。
「え?」
私は何が起こったのか、一瞬わかりませんでした。
老人になった帯刀の中から彼の魂が飛び出してきたのです。
「我だけでは逝かぬ、西園寺の者よ! うぬも連れて行くぞ!」
帯刀の魂は力を失いましたが、彼に取り憑いている歴代の内海一門の宗主に追放された者達の残留思念は消えていませんでした。
「何という執念だ。あの浄化の波を受けてもなお、消えていないとは……」
麗華のお父さんである矢部隆史さんが言いました。
「先生!」
「西園寺さん!」
「蘭子!」
「蘭子ちゃん!」
みんなが私の身を案じて、駆けて来ました。
『まだこの世に未練があるのなら、この西園寺蘭子様がまとめて引導渡してやるよ!』
いけない私が心の中で叫びました。
『そうね、もう一人の私。結局こうなる運命だったのかな?』
私は妙に晴れ晴れとした気持ちになりました。
『これもまたいいじゃないか、もう一人の蘭子』
いけない私が応じます。私は襲い掛かってくる
六字大明王陀羅尼はそう簡単には唱えられない真言です。
彼らの執念を鎮めるには私自身が水先案内人になるしかないと思いました。
『あなた達の念は全て私が引き受けます。これ以上この世に留まる事は諦めなさい』
私は幽体離脱をしていました。その身に残留思念が放つ恨みや憎しみを吸収しながら、天を目指そうとしました。
後ろの方で瑠希弥達が叫んでいるのが聞こえますが、もう戻る事はできません。
『西園寺蘭子!』
目の前に帯刀の霊体が現れました。彼はまだ強い憎しみの念を放っています。
『もうやめなさい、内海帯刀。鎮まりなさい』
私は観音菩薩の真言を唱えながら言いましたが、帯刀の憎しみは衰えません。
『我に説教するな、西園寺蘭子! うぬ如きに何がわかるか!』
帯刀は泣いていました。私はその顔を見て息を呑んでしまいました。
憎しみだけではない。帯刀の魂の奥には、父である内海黎真様への思慕の情が眠っていたのです。
父親に突き放され、そのやり場のない悲しみを封じ込めた時、彼は残留思念に取り込まれました。
私は戸惑いました。帯刀も救いを求めていたのだとわかって、もっとやりようがあったのではないかと思ってしまいました。
そう思った途端、力が吸い取られているような気がしました。
私の力が欲しいのならあげるわ。でも、貴方はもう、この世に留まってはならない。
道連れにするつもりなら、それでも構わない。何としても帯刀を霊界に連れて行こうと思いました。
『西園寺先生、貴女様がそこまでなさる事はない』
どこからか、声が聞こえました。振り返ると、そこには椿直美さんが連れて来た霊媒師の里の皆さんがいました。
『内海帯刀がそこまでになってしまったのは、儂らが自分達の里の事ばかりに専念し、何もしなかったのがそもそもの始まりです』
『え?』
私はギョッとしてしまいました。皆さんは死を覚悟していました。
『儂らは気づいていながら、見ないふりをしておりました。そのせいで、巡り巡って、帯刀の悪意を受け継いだ鴻池大仙のサヨカ会に潰されかけました』
霊媒師の皆さんは、ご自分達の不作為を悔いているのです。
『今こそ、その罪を
そう告げると、霊媒師の皆さんは帯刀の魂を囲み始めました。
『何をする、ババア共が!』
帯刀はそれを振り払おうとしましたが、もう力がほとんど残っていない彼にはそんな事はできません。
霊媒師の皆さんは帯刀を覆い尽くし、天へと昇り始めました。
『西園寺さん、貴女はまだ死んではいかんのです。直美と瑠希弥をよろしゅうお頼み申します』
温かい気が私を包み込みました。私は泣いていました。
『何だよ、バアさん達、最後にいいとこ持っていきやがって!』
いけない私が憎まれ口を叩きましたが、彼女も泣いていたのは私にはわかりました。
だって、二人で一人ですから。
やがて、帯刀の魂を取り囲んだ霊媒師の皆さんの魂は見えなくなりました。
私は疲れからなのか、ホッとしたからなのか、急に睡魔に襲われ、崩れ落ちるようにその場に倒れてしまいました。
瑠希弥や麗華や直美さんが私を抱き起こして呼びかけているのがわかりましたが、眠くて眠くて……。
お休みなさい……。
私はどことも知れない場所を漂っていました。
前後左右上下、どこを見ても霧がかかっているような状態で、ほんの少し先までしか見えません。
(ここは一体どこかしら?)
そんな事を考えながら、更に漂っていると、人影が見えて来ました。
次第にその人影は輪郭がはっきりして来て、やがて誰なのかわかりました。
(お父さん?)
亡くなった父でした。いつも着ていた黒のスーツに黒のネクタイをしています。
父がいるという事は、私は死んだのでしょうね。
『蘭子、よくやった。見事な戦いだった』
父に褒められて、何だかこそばゆくなった私は、微笑んで応じました。
『だが、まだお前はこちらに来てはならん。もっと励め。いいな、蘭子』
父は優しい笑顔でそう言うと、霧の中に消えてしまいました。
『お父さん!』
思わず叫びましたが、もう気配すらありませんでした。
こちらに来てはならん? という事は、私はまだ死んではいないのでしょうか?
するとまた人影が見えて来ました。今度は女性のようです。
母かと思いましたが、違いました。いけない私でした。どういう事でしょうか?
『やあ、もう一人の蘭子、もうここまで来たのか。だけど、この先は行けないぜ』
いけない私はニヤリとして言います。
『どうして?』
私は疑問に思って尋ねました。するといけない私は、
『何故なら、私達はまだ死んではいないからさ。そろそろ起きろよ、もう一人の蘭子』
そう言って、私の頭を軽く叩きました。
『きゃっ!』
その途端、私はクルクルと回転しながら飛ばされ、目を回して気絶してしまいました。
『今まで楽しかったよ、もう一人の蘭子。もうあんた一人で大丈夫だよな。でも、何かあったら呼んでくれ。私はいつでもあんたのそばにいるからな』
いけない私が耳元で囁く声が聞こえました。
「え?」
私は目を開けました。そこはどこかの病院のベッドの上でした。
「先生!」
枕元に目に涙をいっぱい溜めた瑠希弥がいました。反対側には、麗華と直美さんがいました。
「おとん、おかん、蘭子が目ェ覚ましたで!」
麗華が大声で叫びました。
「麗華、病院で大声出しちゃダメよ……」
私は朦朧とする意識の中でも、そんな事を言いました。
「西園寺さん、気がつきましたか」
矢部さんが岡本教授と共に部屋に入って来ました。
だんだん状況がわかって来ます。ここは矢部さんの診療所です。
「心配したんやからな、蘭子! あれから何か月経ったと思ってるねん」
麗華が顔をグチャグチャにして言います。え? 何か月?
「先生は半年以上眠ったままだったんです」
瑠希弥が嗚咽を上げながら教えてくれました。
「蘭子さんなら、必ず戻って来てくれると信じていました」
直美さんも涙を拭いながら言ってくれました。混濁した記憶が少しずつ戻って来ます。
「直美さん、里の皆さんの事……」
言いかけると、直美さんは首を横に振って、
「お気になさらず。ここに来る時、私はあの方達の覚悟を聞いていました。最初から、ああするつもりだったのです。蘭子さんのせいではありませんよ」
「そう、ですか……」
そんな事を言われてしまうと、もう何も言えません。起き上がろうとすると、瑠希弥と直美さんが手を貸してくれました。
「半年以上何も食べていないからかしら?」
私はクウッと鳴ったお腹の事が恥ずかしかったので、そんな言い訳をしました。
「はい、すぐにお食事の用意を致します」
瑠希弥は涙を流しながら言いました。そこへ江原さんと英賢さんが入って来ました。
「西園寺さん、本当にありがとう。貴女は最後まで帯刀を救おうとしてくれたのじゃな」
心なしか、英賢さんも目が潤んでいるようです。
「おう、蘭子ちゃん、お帰り」
泉進様と髪が伸びてすっかり女の子らしくなったまりさんも来ました。
「お帰りなさい、蘭子さん」
まりさんは高校に入学して、制服は紺のブレザーと赤チェックのプリーツスカートになっていました。
みんなが居合わせたのは、いけない私のお陰でした。
彼女が全員の夢に出て、今日私が意識を回復すると教えたのだそうです。ああ、そんな話を聞いたら、涙が出てしまいました。
「蘭子さんは、行ってしまったのですか?」
瑠希弥が悲しそうに言いました。私は首を横に振って、
「違うわ。行ってしまった訳じゃないの。私が独り立ちできるように旅に出たのよ」
「そうなんですか」
瑠希弥はホッとした顔をしました。
「え? 蘭子さん、戻ってくるん?」
逆に麗華は顔を引きつらせていました。
「皆さん、ありがとうございました」
私は頭を下げてお礼を言いました。この人達と出会えた事に感謝したいと思います。
これからは、もう少し穏やかに暮らせる事を願って。
西園寺蘭子でした。
西園寺蘭子の霊感情話 神村律子 @rittannbakkonn
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