遠ざかる希望

 私は西園寺蘭子。霊能者です。


 史上最悪の呪術師である内海帯刀との戦いに勝つために、私はいけない私と二十年以上の時を経て、一つになりました。


 ところが、帯刀は想像を遥かに超えた存在でした。


 分魂の儀という秘技中の秘技を使い、自分の魂を三つに分けていたのです。


 しかも、分けていただけではなく、それを自在に分離融合する事ができるのです。もはや人の規格をはみ出した存在です。


 でも、まだ一つ帯刀には謎がありました。


 分魂の儀を行って魂を分割すると、通常より消耗が激しくなり、とても長い時間戦う事などできないのです。


 ところが、帯刀は消耗するどころか、次第にその力を高めていました。どういう事なのか、感応力ではずば抜けている私の弟子の小松崎瑠希弥にすらわかりません。


「帯刀に勝つ方法があるとすれば、その秘密を見破る事。それしかないわ」


 瑠希弥の姉弟子的存在である椿直美さんが言いました。瑠希弥はそれに頷き、


「ええ。彼の弱点があるとすれば、そこです」


 そう言って私を見ます。今はそんな事を考えている場合ではないのですが、瑠希弥に見られると力が湧いてくる気がするバカな私です。


「無駄死にを選んだ事を心の底から悔いるがいい、愚か者共が!」


 帯刀の身体から発せられるのは、妖気と闘気。肉体を離れたもう一つの霊体からは、強烈な光の波動が放たれています。


 彼自身が言っていたように、まさに神に迫るような力です。


「あんなもののどこが神だ、ふざけた事を考えるな、もう一人の蘭子!」


 またいけない私が表に出て来て、帯刀の圧倒的な存在感に飲み込まれそうになっている私を叱咤しました。


「人間をやめた只の化け物に感心してるんじゃねえよ」


 いけない私の言葉は相変わらず品がありませんが、全くその通りです。


 魂を分割し、いくら力を強くしたとしても、そんな事で神に近づける訳ではありません。


「負け犬の遠吠えか?」


 帯刀が私達を嘲笑しました。


「西園寺さん、連携攻撃を仕掛けます」


 椿さんが印を結びながら言いました。


「蘭子でいいよ、直美」


 いけない私がそう言い返し、後ろに下がってくれました。


「はい」


 椿さん、いえ、直美さんは微笑んで応じてくれました。瑠希弥も直美さんと同じ印を結んでいます。


 どちらも浄化真言である摩利支天真言の印です。


 帯刀の身体を包み込むように存在している妖気をそれで吹き飛ばし、そこへいけない私と私の力が合わさった強力な攻撃真言の自在天真言を叩き込む作戦です。


「その前に、結界を取り除きます」


 気功少女の柳原まりさんが、自分を盾となって守ってくれた遠野泉進様に肩を貸して進み出ました。


「いくぞ、嬢ちゃん」


 泉進様はふらつきながらも、確実に気を高めています。それを目を細めて見ている帯刀は余裕の笑みを浮かべています。


「はい!」


 まりさんも気を再び高め始めました。二人の気の使い手の凄まじい気流が上空で合流し、まさに巨大な滝のように雪崩れ落ちて来ました。


「はあ!」


 二人は事前に打ち合わせたかのように呼吸を合わせ、怒濤のような気を針の細さまで集束させ、帯刀に向かわせました。


「貫け!」


 まりさんが叫びました。気の針が帯刀の張った三重の結界を突き破りました。そしてまさに本人に届こうとした時です。


「無駄よ」


 帯刀の身体から発せられていた闘気が壁のように立ち塞がり、気の針をへし折ってしまいました。


「でも、結界は破れたわ!」


 直美さんと瑠希弥が頷き合って、互いの感応力を同調させながら、真言を唱えます。


「オンマリシエイソワカ」


 二つの摩利支天真言が途中で一つになり、結界を失った帯刀に向かいました。


「オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン」


 帯刀の分離した霊体が光明真言を唱え、摩利支天真言を無に帰してしまいます。


「そこまでは想定内!」


 出番が来た私は一歩踏み出し、印を結びます。


「オンマケイシバラヤソワカ」


 自在天真言を唱えました。光明真言は摩利支天真言の打ち消しに使われましたから、自在天真言を打ち消す事はできません。


 連携攻撃の理由はここです。


「砕け散れ、化け物!」


 またいけない私が前に出て来てしまいました。


「届かぬ」


 帯刀の声が聞こえました。それは只の強がりに聞こえました。


「オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン」


 再び光明真言が唱えられました。


「何!?」


 私達は目を見開いてしまいました。帯刀はもう一つの霊体を分離し、真言を唱えていたのです。


「そんな……」


 直美さんと瑠希弥は唖然としています。まりさんは霊体が見えていないので、何が起こっているのか具体的にはわからないようですが、帯刀に何にも変化が見られないので、作戦が失敗したのは理解したようです。


「ダメだったみたいですね」


 彼女は悲しそうに泉進様を見ました。泉進様はまりさんの肩から抜け出して、


「だが、第一段階は成功じゃよ、嬢ちゃん。奴は手の内を明かしたのだからな」


 そう言って、三体に分かれた帯刀を睨みつけました。


「それがわかったところで、うぬらには何もできぬ。それすらもわからぬ程愚かであったか?」


 帯刀は相変わらず余裕の笑みを浮かべたままです。


「雅功、見極めよ。彼奴あやつが正体を」


 優れた退魔師である江原雅功さんのお師匠様である名倉英賢さんが言いました。


「はい」


 雅功さんは鋭い目で帯刀を見据えます。親友の八木麗華はお父さんの矢部隆史さんと共にお母さんである岡本綾乃教授を支えながら帯刀を見ていました。


「おかん、正直にうて。ウチら、勝てるん?」


 すると岡本教授は、


「何を弱気な。そんな事を言うのは、私の娘ではないわよ、麗華」


 言葉は厳しいですが、顔は微笑んでいます。


「勝てます。勝たなければならないんです」


 教授もまた帯刀を睨みつけました。


「思いだけで勝てるなら、それもよかろう。だが、この世はそれほど穏やかにあらず」


 帯刀がそう言った途端、彼の霊体が一つに戻りました。すると妖気も闘気も更に強力になり、結界は一体何重に張られたのかわからないほどです。


「帯刀……」


 英賢さんの呟きは悲しそうでした。仮にも兄弟子であった人物です。その人がもはや人でなくなっていくのを見るのは忍びないのでしょう。


「江原さん、私達の力を使ってください」


 躊躇いがちに瑠希弥の後ろにいる直美さんに代わって、瑠希弥が言いました。


「え?」


 江原さんがキョトンとしていると、瑠希弥と直美さんが江原さんの左手を瑠希弥の胸に、右手を直美さんの胸に触れさせました。江原さんは顔を真っ赤にしました。


「ああ!」


 次の瞬間、二人の感応力が江原さんに流れ込みました。


「ああん、ウチも参加させて欲しいわ!」


 何を思い違いしたのか、麗華が悔しそうに叫びましたが、もう手遅れです。


「ぬう?」


 江原さんの変化に帯刀も気づいたようです。


「おのれ、それ以上は覗かせぬぞ!」


 帯刀が気の塊を右手から放ちました。


「はああ!」


 それを泉進様とまりさんが気で跳ね飛ばしました。


「ならば!」


 帯刀は攻撃が届かないと悟ると、今度は妖気を濃くしました。


「江原さん、私も助太刀します!」


 岡本教授が護符を取り出し、江原さんの背中に貼りました。するとそれは江原さんの体に溶け込んで消えました。


「埒もない!」


 業を煮やした帯刀が叫びました。地鳴りのように周囲を揺らしながら、彼の気の流れが私達に襲いかかって来ました。


「ええい!」


 まりさんと泉進様が立ち塞がり、それを押し留めますが、流れは激流のように激しくて、二人はそのまま後退してしまいます。


「うわあ!」


 そしてとうとう、私達全員が揃って跳ね飛ばされてしまいました。


「何やねん、あのジイさんは?」


 麗華が涙ぐんでいます。誰もが絶望しかけたのですが、


「やっとわかりました、奴の秘密が」


 江原さんが起き上がりながら言いました。一同の視線が一斉に江原さんに集まりました。


「何を世迷い言を申しておるか? そのような事、あり得ぬ」


 余裕の笑みを浮かべるのをやめた帯刀が言い放つと、


「そう思っているのはお前の勝手だ」


 今度は江原さんが余裕の笑みです。今度こそ、私達は反撃できるのでしょうか? まだ不安です。


 


 西園寺蘭子でした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る